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日記515


春らしい。

 
父のカメラですが、借りてもいい許可をいただきました。写真なんかてきとうに感覚で撮ってりゃいちばんと思っていたけれど、ちょっと勉強して、カメラが泣かないように、宝の持ち腐れにならないように、つかいこなせますように、がんばろうと思います。

写真にこだわりなんかないつもりだった。
でも、カメラを手にすると、わくわくしてしまう。
なんでだろ。うれしい。

このカメラは、シンプルに機能が制限されていて、まだちょっとなにができてなにができないのか、きっちりわかっていないけれど、取扱説明書を熟読しておぼえる。ふだん取説なんか読まないタイプですが、直感だけではわからないことは、やはりあります。学んではじめて、知る。基礎をしっかり学ばないと、10年やってもうまくはならないよ、と加藤一二三さんがテレビでこどもに教えていました。将棋の世界の話だけど、なんだっておなじだと思う。無手勝流には限界がある。先を行く人から学ぶこと。取説だって、このカメラをわたしより先に手にした、先人の知恵。


4月1日(日)。近所の神社で、さくら祭り。

もっとお祭りっぽい写真も撮りましたが、ひとが写っているものを勝手にweb上にアップしちゃうのは、控えたほうがいいかな。極力、許可をとってからしたい。あ、許可をとったものもあります。でも恥ずかしがっていたんでinstagramにだけ上げる。スーパーボールを売っていたあのおじさん、おもしろかったな。

ブログ、ここではこれが初回。1年半くらい、JUGEMブログを使っていたけれど、不具合がけっこうあるし、とても使いづらいからここに移動しました。 見てくださる方は、変わらないかな。場所を変えても。なんにも。

タイトルの数字は、書いた記事の数。515日目の日記。なるべくストイックに数字で通そうと思います。タイトルとか、そういうのいいよ。つかれてしまうよ。禁欲主義。というか、そんなに欲がないのです。禁じているわけでもなく。ストイシズムとも無縁か。

なんとなくふら~と立ち寄っていただける場所になりたい。それがいい。大きく振りかぶらない。バント職人になる。わたしもふら~と書いたり、撮ったり。日々のささやかな進塁をする。いてもいなくてもいいのよ。

思うんだけど、「いてもいなくてもいい」は暴言ではない。わたしにとっては、この上なくやさしいことば。お前なんかどっちにしろ、いてもいなくてもおんなじ。いいじゃん、気楽だよ、すごく。蹴りなんかいれない。そんなうれしいこと言ってくれて、ありがとう。抱きしめる。おことばに甘えて、いたりいなかったりします。存在価値? べつにいいよ。そもそもひとは、いたりいなかったりを繰り返すものです。いってきます。ただいま。おかえりなさい。そしてまた、いってきます。

いるようでいなかったり、いないようでそこにいたり。どこにもずっといることはできない。いつまでもここにいることは、できないよ。だれも。おなじこと、何回も書いている気がする。でも気にしない。

じぶんがやっているSNSへのリンクをいくつか、あとで貼っておきたいと思います。すこしずつカスタマイズしていきたい。慣れたら、こっちのほうがだんぜん使いやすい気がする。JUGEMにはない、記事の自動保存機能がありがたくてしかたがない。どんどん保存してくれ。数秒間隔で勝手に動く保存のボタンがうれしいぞ! 拝みたいくらい。

ありがたや~ありがたや~。


駐車場の端っこには、よく花が生えています。
アスファルトから、ど根性フラワー。

2年くらい前のこと。甥っ子へプレゼントした絵本、鈴木のりたけさんの『ケチャップマン』(ブロンズ新社)。彼はまだ2年前だと、4歳で、あまり絵本に興味を示してくれなかったけれど、6歳のいまになって『ケチャップマン』が大好きになってくれたみたい。

わたしは東京で、姉の家族は福岡にいるから、甥のようすを直に見たわけではありません。でも電話口で「『ケチャップマン』読んでよ~」と騒いでいるようすは知ることができて、うれしかった。ほかにも、アン・ジョナス『光の旅 かげの旅』(評論社)という、しかけ絵本も2年前にあげた。これもいま、おもしろがる。大ヒットしたヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)も、2年越しでおもしろがる。

ほかにも、絵本はいくつかあげた。時限式でヒットするプレゼント。なんでも長い目で見ておくといい。あせらない。いずれ、ね。本というものはとくに、そういうものかもしれない。はじめわからなくても、年月を経て、理解が進んだり、おもしろみを知ったり、逆に距離ができたり。という媒体が本ではないかな。

どんなことばも、ひとも、長い目で見たり読んだり、しておこう。ぜんぶいますぐってわけにはいかない。まだ先がある。それがいい。たとえ死ぬ間際でも、本をひらけば、まだ先にある世界へ、きっと触れ得る。過去のその先。未来のその先。読むことは終わらない営為です。知ることはあっても、わかることはない。だから、絶えず文字を通過する。理解には中断が必要。わかろうとするとき、ひとは立ち止まる。本はいつでも理解できないから、語から語から語から語へ。その先の、先へ。




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