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日記1001 ながい緩慢な腐食

  連日、起床時に泣いている。なんでか知らん。眠りのなかでやけにかなしいことが起こる。漠然と、起きぬけのかなしい気分をひきずりながら一日を過ごす。目の奥から喉のあたりにかけて、すこしひりつく感覚も残る。あるいは体のどこか、わずかな部分に、痺れるようなふるえるようなものが居座る。昼の陽射しを浴びているうちにやがて収まる(雨の日は収まりづらい)。そしてまた眠りに就き、朝を迎えるとふるえている。ちいかわみたいに。 かわいい小動物ならまだしも、おっさんである。でも、意識を失っているあいだのこと。かなしんでいるのは誰か。それはわたしではない、と抗弁することも可能だろう。だからといって、かなしみが消えるわけではないけれど。どんな理屈をこさえても、かなしいものはかなしい。 わたしではない。自分ひとりだけの感情なんてあるのか、わからない。どこかで拾ったものにちがいない。すべて。それをまた、こうして誰かに預けている。肉体をはじめ、なにもかも拾ったものだと思う。しらずしらず拾ったものを、ほうぼうへ媒介しつづけて死ぬ。よくわからないものをたくさん拾う。   人はさまざまなものを落としては拾う。感情もスナップ写真のような出会い頭の拾いものか。知らないあいだに付着した汚れにも似ている。 ぼくらのなかには 無数のものが生きている 自分が思い 感じるとき ぼくにはわからない 感じ 思っているのが誰なのか 自分とは 感覚や思念の 劇場にすぎない 澤田直『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』(集英社)に引かれていたペソア(リカルド・レイス)の詩の一部。劇場、比喩ではなく、劇場そのものだと感じる。あるいは容れ物というか、箱というか。自分とはそこにあるものではなく、想像上の空間に呼び出される何者か。呼ばないとこない。とくにわたしは、呼ばないとぜんぜんこない。 会話はその、自己の口寄せ方法のひとつではないか。書くことも、きっと。言語を使って、なんか呼び出している、みんな。なんかしらつれてきては、そいつを拾い合ったり、つついたり、捨て置いたり、なすりつけたり。たいせつにしたり。せわしない夢を見るために。 夢にたとえているのではない。夢なのだと思う。わたしはふつう比喩だと思われる言辞を、本気でとらえがちなところがある。このごろ人の晩年に立ち会うことが多く、お年寄りと接していると、「わたしたちは夢を見てい

日記1000

1000回目ということで、ふりかえる。1000回に1回だけふりかえるブログ。 文章を書きはじめたのは10年以上前、引きこもっていた時期だった。19歳か20歳かそれくらいのとき。ひまに飽かせ、書きまくっていた(現在はすべて非公開)。記事をカウントし始める、はるか前。最初から数えるなら、とうに1000回は通り越している。   “1時間に一回は「しにたい」と思う。ひどいときは2秒間に4回半ひねりくらいして着地まで綺麗にまとめることができる。しかし、いくら綺麗にまとめても、採点者は誰もいないのだ。こんなに綺麗にまとまっているのに。そこがひきこもりのいちばんつらいところである。”   初期の日記より。深刻なのか、ふざけているのかよくわからない。このような精神性は変わっていない。いや若さゆえか、初期のほうがずっとふざけていた。たとえば、いたずらに「尿道院放尿堂」とだけ書き込んでみたり。その翌日には、こんなことを書く。 “もしわたしがきょう自殺していたら、この「尿道院放尿堂」という最後の書き込みを見て、家族はなにを思っただろう。あるいは、わたしがなにか凶悪な事件を起こし、その犯行直前に書きつけた言葉が「尿道院放尿堂」だったとマスコミが知ったら、この事実はちゃんと報道されるのだろうか。報道されるとしたら、「尿道院放尿堂」という言葉をめぐって、なにか色々本が出版されたりするのだろうか。たとえば香山リカさんはどんな風に分析してくれるのだろうか。気になる。気になるあまりうっかり犯罪に走りたくなるが、こらえたい。もう大人だし。”   いまよりずっと愉快な日記だったと思う。「古き良きインターネット」という感じ。知らず知らずのうちにすこしずつ禁欲的になってしまった。思考が痩せた気がする。シュッと。体もこの頃と比較すると激痩せした。 日記を書き出した当初は、スポーツ中継をよく見ていた。野球とサッカーの話が多い。といっても、試合の内容をうんぬんするものではない。どうでもいいことばかり書いている。   “楽天×オリックス戦を見る。オリックスの先発ピッチャー木佐貫はわたしの中では「髭が妙に青いひと」という印象があるが「木佐貫洋 髭 青い」などで検索してもそうした話は見られないので世間的には木佐貫の髭の青さはあまり評価されていないみたいだ。ガレッティ先生は「黒々とした森に棲む黒色の獣は黒い」という名言を