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3月, 2019の投稿を表示しています

日記681

郵便の誤配達があった。近くの郵便局まで返しに行った。受付のお姉さんに「申し訳ございません」とあたまを下げられてしまう。ネガティブな雰囲気が嫌で「たまにはこちらからもお届けしないと」なんつって笑っておいた。気の利いたことが言えると、自分も捨てたもんじゃないと思える。 しばらくして配達員のおじさんが訪ねてきた。間違いに気づいたそう。「局まで返却しに行きました」と伝える。困り顔の働くおじさんを見送った。しょんぼりした眉毛だった。いいよ、そんな日もあるよ、と思いながら丸い背中を目で追った。 自分のふるまいをかえりみると、他人に対しては妙に明るいところがある。いっぽうで自分自身に対しては妙に悲観的なところがある。そうやって精神の平衡を保っているのかもしれない。 気が狂っていない限り、人間の精神はたぶん平衡状態へ向かおうとする。恒常性を保つ力学が根底にある。逆にいえば、その平衡が破れると気が狂う。恒常ではいられなくなる。 行きつ戻りつ。自分にとって書くことはまず、そうやって矛盾と向き合うことだ。千野帽子さんの『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)を読んでいるとき、ふと思った。人は矛盾を回避しようとする。そこで安易な物語化のこじつけが起こるのだという。 おそらく、何年も日記を書き続けていれば自分の思考と行動の矛盾は回避できなくなる。体のいい物語は早晩、破綻する。矛盾を避けようとすればするほど嘘くさくなってしまう。もう、仕方がないから引き受ける。どこかの時点で、かならずそうなる。 わたしは矛盾を避け続けられるほど器用ではなかったせいもある。自己矛盾と向き合うことは認知的な不快感をともなうだろう。この「不快感」が引き受けられなくなったら、書くことをやめてしまうのだと思う。 生きているということはまず不快で、そのために読んだり書いたり歌ったり踊ったり飛んだり跳ねたり笑ったり泣いたりできる。そう思っている。いまのところは。悲観ではなく、現実の解釈として。まず「不快である」という、そこを勘違いしてはいけない。鳥が空を飛べるのは、空気抵抗のおかげでもあるように。 日記は、時の空欄を文字で埋める作業だ。空欄がこわいから。しかし空欄はあくまで空欄だった。この世界にはもともと物語も因果も文法もない。たぶんね。いくら書い

日記680

他人の脈を取るだけで、その相手に対して非人間的な態度はとても取れなくなる。余りにも、生きているから。 — 吉村萬壱 (@yoshimuramanman) 2019年3月21日 その、余りにも生きているものを少しずつ殺す。一日一日。「生きている」とはそのようなことかと思う。時間の過ごし方、生活の仕方とはつまり、自分の殺し方でもある。他人の殺し方でも。少しずつ。いかに殺すか。いかに選び、そして捨てるか。 細かいことにこだわるのもいいけれど、たまには枝葉末節を振り切る勇気が、わたしには必要だと思う。前にも書いたかもしれない。いくらでも言い聞かせる。「ひとつずつ」を意識したい。一人一殺。血盟団かよ。 選び方は捨て方でもある。殺し方は残し方でもある。余りにも生きている。それを少しずつ残している。日記は「余りにも」が吹きこぼれた余りの部分。あるいはみずから掬い出し残すことにした、余り。 そこまで大袈裟なことばづかいはしなくていいとも思う。適当にぼんやりできるうちは、いいのかな、のほほんとして。チコちゃん(木村祐一)に叱られそう。ぼーっと生きてんじゃねーよ。祖母がたまに見ているテレビ番組です。そんな番組をぼーっと見て、ぼーっと晩年の宙に浮いた日々に棲む人と暮らしている。 知らない人の「余り」を読む。読んでいると、そこに生きている感じの立ち上がる瞬間がある。まるで脈が通うように。ネット上には、いくつもそうしたものがある。誰かの雑記。「どうでもいい」と言えばそう。報告価値はないのかもしれない。それらが伝えている情報は同じたったひとつ。でも内容はかぶらない。 もう更新されなくなった場所でも、たまに読み返す。わざわざarchive.orgから手繰ることもある。墓を掘り起こしているみたいだ。わたしが読まないと、あなたが世界からいないことにされてしまうような気がして。そんなことはありえないのだけれど。 3月23日(土) 風の冷たい日。東京都庭園美術館で岡上淑子の展示を観た。「沈黙の奇蹟」。忘れかけていたTOKYO ART BEATというアプリのクーポン券を使い、割引してもらう。成り行きで中国出身の留学生の女性とご一緒した。 ひとりで目黒駅に向かう途中、大井町線の運転手さんがホームで電車を見つめるこどもに手を振っていた。3~4

日記679

3月17日(日) あいさつをするときは帽子を脱ぐべきだったか。などと、どうでもいい反省をしながら新宿を歩いていた。そんなフォーマルな雰囲気ではなかったけれど、性分で細かなことを気にする。儀礼を無意識にこなせるようになりたい。 即時的には見えていなかった意識の部分が、あとになってじわじわと頭の中を侵食してくる。いつもの感覚。ファストな振る舞いは、スローな思考を裏切る。そして事後にスローがファストへの逆襲を仕掛ける。みたいな構図かと思う。いたちごっこのひとりプロレス。 すべての「こうすればよかった」は、ほうっておくと癌細胞のように記憶の中で増殖する。やがては過去の出来事を蝕み塗り替えてしまう。そうならぬよう、「反省」として未来への移植手術を行う。「こうすればよかった」ではなく「こんどはこうしよう」と。「学ぶ」とはそのようなことかと思う。過去の願望を未来へ移植すること。 帽子云々をそこまで気にしているわけではない。自分にそれほど社会的な真面目さはなかった。正確には「反省」というほどでもないことをただ薄ぼんやり感じながら歩いていた。3月の寒い夜だった。紀伊國屋書店まで向かう途中の道に、付け爪が落ちていた。 新宿の路地は、『グラップラー刃牙』の地下闘技場を彷彿とさせるものがある。闘技場のフィールドには砂が敷き詰められており、その砂はどこを掬っても闘士たちの剥がれた爪や抜け落ちた歯などが混ざっている。 同様に新宿の一角の脇を覗けば、そこにはなんらかの闘いの痕跡が見える。多くのヘパリーゼが落ちている。ちなみに刃牙は、その歴戦の残骸を手にして「もうこんなに闘いたい」と微笑むのだった。それを読んだ数年前のわたしは「もうそんなに……」と絶句していたのだった。ブックオフで。伊達じゃなく『グラップラー刃牙』の世界に入り込めてしまうタイプ。 石倉優さん、関根大樹さんの個展「初期微動/Intruder」を観る。@新宿Place M。写真の展示。最終日、終了時刻30分前ごろにすべりこみ。おふたり在廊されていた。わたしが明後日の方向からやって来たIntruderである感も多分にあったかもしれない。なにしろ優さんは、自分にとって一方的な思い入れのある人物だった。 ヒトは産み落とされてしばらくはたぶん、なすすべなく受け身だけをとる。赤ん坊がいっとう最

日記678

錆びたポール。干からびて錆びと同じ色になった小さな花弁。パサパサの雌しべ、雄しべ。茂る椿の葉。こんなもん撮る奴はそうとうなスケベにちがいないと思います。こいつはいいスケベをしている。とんだスケベ野郎だな! 「いいスケベしてますね~」という褒めことばが流行ればいい。ワレ、ええスケベしとんのう?ええ、わたくし、いいスケベをしている人間でございます。不肖ながら、スケベやらさしてもらってます。自作自演。でも、胸を張って。 スケベ始めました。 春だから。ことしからスケベ歴のキャリアを着々と積んでいきたい所存。スケベの階段のぼる。きみはもうスケベ野郎さ。「スケベ暦」という暦をつくってもいい。オリジナルカレンダー。スケベな時間を生きる。誰もがあこがれるスーパースケベタイムを。星野源のラジオネームにあやかりたい。 資本主義経済による賃金の論理で断片化された時間とはちがう、まったく別の、より大きなタイム・スケールによる「スケベ時間」を生きる能力がヒトにはあるんです。遥かむかしの人類が生きていた時間はそうでした。太古の人間は、スケベだった。 神は「スケベあれ」と言われた。するとスケベがあった。世界はまずそうやって創生されました。人類の遺伝子配列に、いまもなお刻まれています。「su/ke/be/dayo」と、ローマ字表記で。スケベな時空間の存在する証としての痕跡。肩甲骨が翼の名残であることと同様です。 しかし、現代人のスケベ時間は衰退の一途をたどっています。このままではやがてスケベも消えてしまう。人々が独力で空を飛ぶ能力を失ってしまったように。かつて人は疑いもなく自由に宙空を飛び交っていました。その翼の喪失をとりもどしたいと強く願う一心から、航空力学が発達したのです。いつの時代も人間の欲望の裏には、ありもしない過去の喪失からくるあこがれが充溢しています。 人々がありもしない過去に焦がれなくなってきている昨今。夢見るころを過ぎて、社会に出た現代の人々はおそらく大きく2種類に分かたれるのでしょう。かたやオトナになる人間。かたや、スケベになる人間です。わたしはどうやら後者の人間だったようです。 いや、オトナでもあります。いちおう。誰にでも両輪ありますか。いつなんどきも胸部の頂でひっそりと丸くなっている、わたしたちの乳輪、この横並びの一対と同じように。誰も

日記677

写真は大阪モノレール車内より。千里中央駅。 の、少し先。 ぼーっと座っていた。 モノレールが半端な位置で止まる。 なんか、おかしいと思った。 人がいない。 終点なのに降り忘れてしまった。 ほんの刹那、閉じ込められたかと焦る。 べつの車両に制服姿の人が見える。 お兄さんに平謝り。 「少々お待ちください」と言われる。 次の発車時間まで待機。 思いがけない空白の時間。 音楽をかけたり、写真を撮ったり。 誰もいなかった。 数分後には戻って、ちゃんと降りた。 外れた軌道から日々の軌道へ。 誰もが通る道へ。 へんに淋しい気もしつつ。 わたしたちに許された特別な時間の終わり。 小説のタイトルみたいな心地で。 二月のこと。 偶然であればあるほど忠実に一篇の詩はできていくそうです。泣きじゃくりながら。「二月。インクをとり泣くこと!」というボリス・パステルナークの詩にそうあります。工藤正廣の翻訳。同じ箇所の訳で「手の向くまま だがそれだけ 誠実に/詩が さめざめと 書かれていく」というものもありました。工藤順さんの個人ブログより。 題は「二月だ インクをとって泣け!」という訳が一般的かもしれない。「二月。インクをとり泣くこと!」は『亡命ロシア料理』(未知谷)という本にあった訳語です。私的には「泣くこと!」が好みです。 原語のニュアンスは不勉強ながらわかりません。でも「泣け!」とストレートな命令口調だと「やなこった!」と反射的に抵抗する天の邪鬼な性格が自分の心にはあらわれてしまいます。「泣くこと!」なら、すでにそう決められていたような、より大きな感覚で響くと思う。発語する主体が一個にとどまらない。悠かな過去から、あらかじめ響いていた声のごとく。 二月はインクをとって泣くこと。 二月の出来事を、まだ書いている。 キーを打って思うこと。 長時間のバス移動は疲れます。新宿から大阪までの移動だと、休憩もふくめて8~9時間はかかる。座っているだけですが、それがゆえの疲労感はバカにならない。そこで、疲れないための方法をあれこれ調べました。しかし、経験と照らし合わせた自分の結論としては、そんな虫のいい方法はありません。ないと悟る。何度か往復してわかったベターなやり方は、「ちゃんと疲れること」なんだと思います

日記676

二代目多肉植物(名付けて二谷くん)です。TANITAでもいいかな。TANITAの場合「くん」はつきません。100円ショップのやつ。昨年から育てているので、すでにだいぶ伸びました。写真を日常的に撮りだした2016年の秋頃、手始めによく撮っていた初代はお亡くなりになりました。ざんねん。生命力を過信して2週間以上ほうっておいたら枯死。 あたらしい多肉を同じ鉢に植えています。なくなれば、またべつの生命の居場所ができます。人間も同様、犬に喰われるほど自由です。薄情に思われそうですが「代わり」ではなく「べつの」生命の居場所です。交換ではない、存在の移動。あるいは継承というか。ちいさな鉢にも過去が堆積する。鉢という場所がある限り。  動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。 スーザン・ソンタグの本の一文を、そっと忍ばせた私信を送った。『良心の領界』(NTT出版)序文より。自分の私信は引用が多いけれど、煩雑になるためいちいち出典は記しません。思い浮かんだものをサンプリングするように継ぎ目なくそこにある文脈へ嵌入してしまう。完全犯罪です。もはや自分のことばでもいいと思っているフシも、ややある……。 『良心の領界』の序文は「若い読者へのアドバイス」というかたちをとっています。そしてそれはソンタグ自身が「ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある」と。  検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。 わたしは発言を、他人に伝えるときもたいてい自分に言いきかせるためにしている気がします。自分にきかせたくない発言はしない(検閲を忘れない、警戒しつつ)。とどめておきたいことは、まず自分の外側に置く。どんなことばも、伝わるときにはかならず「他」を経由しているのだと思います。自分自身にきかせる場合も例外ではありま

日記675

ある分野に特化した趣味性の強いお店に平気で足を運べるようになると、そこに置いてあるものが自分の趣味でもあるのだろうと思う。これあたりまえか……。ふつうは逆で「趣味だから」という自認がまずあって、趣味性の強いお店へ赴くのかも。 ともかく「他人の趣味が色濃く反映されている場所に行きたいと思える分野が、自分の趣味分野でもある」という、とうぜんの発見は自分にとって「確からしい趣味の定義」だと感じたのでした。趣味の発見は、欲望の発見でもあると思う。 聞こえる声に反応しているだけで、自分から声をあげることはない。ずっと黙っていたい気分もある。日曜日に古市憲寿さんをテレビで見かけて、「この人は他人の欲望を感じとることに長けているんだな」と思った。そして感じとった相手の欲望をすなおになぞる。無意識的だとしても。疑似餌のようなふるまい方に見えた。いいよ、これが欲しいんでしょ?みたいな。 すぐにテレビは消したから、これはいい加減な印象のお話。自分の見たいものを見ている。古市さんは、非常に純粋にすなおにスムーズに「聞こえる声に反応しているだけ」の人間に見えたのだった。賑やかそうな世界にいるけれど、まずあるのは、息をひそめるような観察的ものごしなのかもしれないと。そしてそこから上澄みだけを掬う反射神経の軽み。 きのう、「なる」ことを思った。それそのものに自分がなってしまえば、それについて差し挟むことばはきっと考えなくなる。ことばで対象を云々することは、自分がそれになれない、ないし、なっていないということの証左ではないか。そんなことを思った。 たとえば楽しくガンガンに盛り上がるパーティー会場の中で、その場を客観的に説明するような発言をするとしらけてしまう。空間をモニタリングする部外者のごとき視点からの発言は、「冷めたやつ」と思われるだろう。ベタにパーティーの一員として染まりきれていないために、距離をおいて状況が説明できる。 言語偏重の人間は「なれない」人間なのだと感じる。ことばは、自分がその対象になれないところから駆動されるようにも思う。まずは距離を認めるところから。「なれない」は、「成れない」も「馴れない」も「慣れない」もふくむ。 逆に行動は「なる」ことなのだと思う。言語のない生きものの世界にはたぶん「なる」しかない。動くことが本義で、すべ

日記674

昼食は高島屋新宿店で買った野菜ジュースとバナナ。2階建てバスの上側、先頭に乗った。雨の中を走る。2階の先頭は天井が急に低くなっていた。ぽっこりと。それに気がつかず、頭をぶつけた。頭蓋骨の鈍い音を聞く。先に座っていたギャル風の派手な女性もぶつけ済みだったようで「あたしと同じことしてる」と言われ、笑って会釈をした。 休憩時に乗り降りするたび、低い天井のことを忘れてしまった。東京から大阪までのあいだ3回の休憩があり、はじめと同じことを3回した。3回ともに頭をぶつけ、3回ともに笑われる。知らない人から。笑ってくれると助かる。でもそのたび、振り出しに戻ったような気分になった。最初の新宿へ。 さいごは「またぶつけてる」と呆れたように指をさされた。「わざとじゃないんですよ……」と頭を押さえながら小声でつぶやいた。彼女はわたしを笑うだけ笑って、バスをあとにした。着いたのは大阪駅で、振り出しには戻っていなかった。 わたしは「頭をぶつける男」として彼女の人生に登場した。そのまま単調に「頭をぶつける男」を演じ切り、幕が下りた。ギャルファッションの後ろ姿はだんだんと大阪の夜の街並みと区別がつかなくなっていった。 いつも行ったり来たりしている。言ったり聞いたりもしている。自分だけ。大半の人間とは一方向で別れる。大半のコミュニケーションは一方通行で流れる。大阪の国立国際美術館でクリスチャン・ボルタンスキーの“Lifetime”という展示を観た。それは「DEPART」と「ARRIUEE」のあいだに挟まれた部屋だった。出発と到着。 手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』の最終話を思い出していた。月並みな感想かもしれない。「この汽車は乗ってたのしいもんじゃない、おそいし、つかれるし、それに片道だけ、つまり行ったきり帰りの汽車がない」。「そんな不便な汽車に誰が好きこのんで乗りますかね」。最終話のタイトルは「人生という名のSL」だった。 「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という本間丈太郎のセリフをふだんからよく反芻する。わたしは亡くなった友人を惜しまない。悔やまない。彼の死は彼だけのものだ。他人が口を挟む性質のものではない。「まだ未来があった」とは思わない。なんの可能性もない。あの時点が彼の到着だった。以上。 誰の死も解

日記673

「The Three Outlaws」と書いてあった。北大路駅から京都駅への途上、烏丸線車内、ふたりの向かいに座る高校生くらいの女性、これもふたり組。談笑していた。左側の、ひとりのスウェット。光る棒人間の絵が三つ。それが三人のアウトローの図のようだった。緑色の生地。サイズは大きめ。 iPhoneのEvernoteに「The Three Outlaws」とだけ、さっとメモをとる。スリー・アウトローズさんの左側にはおそらく韓国人であろう若い男女が座っていた。いや日本人かも。女性のメイクが韓国アイドル風で大韓民国の方かなと推測。会話を交わしていたが、はっきりとは聞き取れなかった。女性は真っ赤な口紅、黒い革ジャン。服のサイズはタイト。小柄だった。となりの彼もスマートな印象。仲睦まじそうに並ぶ。ふたり。 京都駅で烏丸線からJR京都線へ乗り換える。その間にある辻利のコトチカ京都店で、あたたかい抹茶のラテを飲んだ。通り過ぎようとしていたところ、ひとりがラブリーサマーちゃんの歌を口遊み、もうひとりも辻利の存在に気づいて「飲もうか?」と提案したのだった。頼んだカップはひとつ。 座りながら、歌について「辻利の抹茶、生の汲み湯葉、あとなんだっけ……」などと思案して、検索をした。「メインは辻利じゃなかった気がする」とひとりは言ったが、正解はのっけから「辻利の抹茶」の連呼だった。 「食べることが好きになった12の春」という一行に、もうひとりはひっかかりを覚えていた。「食べることが好き」とは何か。「食べること」それ自体に好きも嫌いもないだろう。文句ではなく、純粋に疑問だ。そう述べた。ひとりは、ことば少なにうなづいた。 食事は否応なく生活の中にいつもある、生存条件のひとつ。感情的な付加価値は、あくまで個別的な付加価値であり、「食べること」そのもの全般には適用できない。そういう話だろうかと、あとでぼんやり整理をした。 辻利からJR京都線のホームへ向かう。前で階段をのぼっていた男性は黒いスーツにベージュのコート。大きめのかばんの中には、篠田英朗『ほんとうの憲法――戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)がささっていた。京都から、ふたりは大阪へ向かった。夜だった。月は見えなかった。 2月。さいごに乗った御堂筋線は混雑していた。青みがかったスーツ姿の男性