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3月, 2023の投稿を表示しています

日記992

  3月26日(日)  訃報にともなって湧き出した大江健三郎の話題をアレコレ読みながら、ほとんど関係ないが『ゆきゆきて、神軍』を思い出した。神軍平等兵、奥崎謙三を追った原一男監督のドキュメンタリー映画。奥崎氏の著書に、『奥崎謙三服役囚考 あいまいでない、宇宙の私』(新泉社)というタイトルがある。97年7月刊行。これは97年1月に刊行された大江健三郎の講演録『あいまいな日本の私』(岩波新書)をもじっている。と、そんな連想から『ゆきゆきて、神軍』の記憶にスポットライトが当たり、夕飯をつくり食べしつつ片手間に流し観たのだった。 ところで、わたしの頭の中では上記のような脈絡を逸した連想がしばしば働く。こうした傾向から、さらに連想したのは再読していたラルフ・ジェームズ・サヴァリーズの『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む』(みすず書房)だった。著名な自閉症者であるテンプル・グランディンのこんな話が引かれている。  たとえば、オリンピックのフィギュアスケートについて書かれた『タイム』誌の記事にこのような文章がある。「すべての要素が整っている――スポットライト、湧き上がるワルツやジャズの調べ、そしてスパンコールを身にまとい宙を舞う妖精たち」。テンプルは、この文章を読むと、「頭の中にスケートリンクとスケーターが思い浮かぶ。けれども『要素(エレメント)』という言葉をじっと考えていると、学校の化学教室の壁に貼ってあった元素(エレメント)の周期表という、この場面にそぐわない連想が生じる。『妖精(スプライト)』という言葉で立ち止まると、可憐な若いスケーターではなく、冷蔵庫の中の『スプライト』の缶のイメージが浮かんでくる」と言うのである。彼女自身は自分のこうした連想的性向を学習の妨げと見ていた。p.249   しかし、文芸作品の創作においてはむしろ強みやんけコラァ! とサヴァリーズ氏はこのあとにつづける。「やんけコラァ!」はわたしの創作だが、そのぐらいの勢いを感じた。「冷蔵庫を開けたらスプライトが二回転のトゥループジャンプを跳んで床に着地した。泡とスパンコールの乱舞だ!」(pp.249-250)とかなんとか書いてある。こっちはサヴァ氏の創作。 たしかに、比喩や掛詞などの方法を駆使して意味を重層化するにはうってつけの思考回路かもしれない。文学のなかでもとくに詩歌と親和的だろう。

日記991

  3月13日(月) ソーニャ・ダノウスキの『スモンスモン』(岩波書店)という絵本を読んだ。こんな文章から始まる。 “あさです。スモンスモンは のこりひとつになった ロンロンを オンオンのとなりに ヨンヨンでつるすと、トントンで かわをくだっていきました。” この時点でもう泣きそうになる。べつに泣ける内容ではないが、なんか胸に迫る。公園で無邪気にあそぶこどもたちを見て泣きそうになる感覚と近い。何年ぶりかに絵本を手にした。それをなんとなく記録しておきたくなった。 ついでに、何年ぶりかに霊柩車を見た。むかしはちょくちょく見かけたけれど、いまどきはとんと見ない。これもめずらしいので記録しておこう。注意深く過ごしていれば、まいにちのようにめずらしい出来事は発見できるのだろう。その日しか起こり得ないような。ほとんどは見過ごすか、忘却する。 さいきん、立て続けに映画を観た。これも自分としてはめずらしい。映画館に行ったわけではない。家で『ディザスター・アーティスト』、『こちらあみ子』、『サマーフィルムにのって』の3本。映画っていいなと、まるではじめて映画を観た人のように感じた。 『ディザスター・アーティスト』を観て思い出したのは、『トイ・ストーリー』のバズ・ライトイヤーだった。『トイ・ストーリー』は小学生のころ劇場で観て、生まれてはじめて「映画っていいな」と感じた作品だと思う。たしかそう。 バズはスペースレンジャーで、無限の彼方へほんとうに飛び立てる。ビームも出る。自分でそう思いこんでいた。しかしあるとき、おもちゃとしての自己に気づいてしまう。このシーンで小学生のわたしは、ひどく胸を痛めた。『ディザスター・アーティスト』の主人公、トミー・ウィゾーもバズと似た自惚れ屋で、自分は俳優として大成できると信じていた。でも、トミー自身が夢想するような成功はおとずれない。彼は予想だにしない角度からの成功を収めることになる。 ラストで「笑い」の意味がぐるっと反転する。世界は変わらない。変わったのは、あくまでトミーの世界観だった。劇的なアスペクトの転換。自分ひとりの虚構が破れ、みんなの虚構が受け皿になる。バズ・ライトイヤーも最初は、ひとりよがりな虚構の主人公だった。それが破れ、みんなの虚構へと徐々に合流していく。 わたしはたぶん、幼いころから一貫して、このような構造に興味がある。ひとりよがりな虚

日記990

人からは「さびしい」と言われる。写真のこと。いろんな人に、何回も言われた。自己分析に時間を費やすより、他人に聞いたほうがよほどクリティカルなことばが得られる。たったひとことであれ。「さびしい」。そんなつもりはないけれど、その通りかもしれない。 「さびしい」と言えば、ヘルン(小泉八雲)を思い出す。妻の小泉節子が回想する彼の姿。とてもさびしくて、素敵だ。    熊本で始めて夜、二人で散歩致しました時の事を今に思い出します。ある晩ヘルンは散歩から帰りまして『大層面白いところを見つけました、明晩散歩致しましょう』との事です。月のない夜でした。宅を二人で出まして、淋しい路を歩きまして、山の麓に参りますと、この上だと云うのです。草の茫々生えた小笹などの足にさわる小径を上りますと、墓場でした。薄暗い星光りに沢山の墓がまばらに立って居るのが見えます、淋しいところだと思いました。するとヘルンは『あなた、あの蛙の声聞いて下さい』と云うのです。  又熊本に居る頃でした。夜散歩から帰った時の事です。『今夜、私淋しい田舎道を歩いていました。暗いやみの中から、小さい優しい声で、あなたが呼びました。私あっと云って進みますとただやみです。誰もいませんでした』など申した事もございます。 小泉節子 思い出の記   はじめてこれを読んだとき、悶絶した。いま改めて読むと、親しい人に「大層面白いところを見つけました」と声をかけて墓場まで歩き、蛙の声に耳を澄ますようなことは、わたしもやりかねない。この境地には達した気がする。しかしまだ、「あなたが呼びました。(……)誰もいませんでした」の境地には達していない。こっちは時間の問題で、運良く老いてボケたら自然と到達するだろう。 一般に「さびしい」と言うと否定的に響くけれど、「思い出の記」に頻出する「淋しい」は受容的なニュアンスで使用されている。ヘルンは淋しさを慈しむように生きていた。その姿を思い返す小泉節子の「淋しい」にも熱が込もっている。それは埋めて無くしたいような感覚ではない。そこらじゅうにある。好むと好まざるとにかかわらず前提として、つねにある淋しさなのだと思う。 「埋めて無くしたい」という意力が高まると、おそらく「淋しい」は「恋しい」に変わる。九鬼周造の分析が念頭にある。  “「恋しさ」が、対象の欠如を基礎として成立している事実は、情緒の系図にあって大き