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1月, 2023の投稿を表示しています

日記987

  シロナガスクジラかな。twitterのエラー画面を思い出す。あるいは、韓国ドラマのウ・ヨンウ弁護士は天才肌。さいきんの出来事でクジラといえば、大阪の淀川にあらわれた「淀ちゃん」か。あれはマッコウクジラだった。「さいきん」といっても、すでに懐かしい気がする。ことしの年末にはもう、遙か遠い昔の出来事だろう。「そんな時代もあったね」と薄目で回想されるにちがいない。 年末Covid-19に感染して、そこから調子が戻るまで1ヶ月は要した。いちばんやられたのは喉で、まだ微かに違和感がある。戻ってないじゃん。いや、他人には悟られない。その意味で「戻った」としておく。ただ、たまに咳をすると血の味がこみ上げてくる。これも微かに。気管支炎になりやすいみたいだ。 この冬はできるだけ静かに過ごしたい。可能なら加湿と暖房の効いた部屋で春まで寝ていたい。本でも読みながら。しかし、そんなわけにもいかない。 後遺症として「ブレイン・フォグ」と呼ばれるモヤモヤ感が取り沙汰されるが、それはとくになかった。それとも、頭の回転がつねに鈍いために気がつかないだけか。倦怠感もない。つねに怠いせいで気がつかないだけか……。あとを引く顕著な症状は喉の違和感だけ。 先週、年末に顔を出す予定だった知り合いのおじいさん宅へ、招かれて行った。70代。脳梗塞で2ヶ月くらい入院していた人。退院後、はじめてお会いする。入院前よりお元気そうでよかった。相変わらず、青山繁晴のYouTube動画をすすめてくる。あと「チャンネル桜」。そのお変わりなさにひと安心。 倒れたからすこしは節制しているのかと思えば、それもない。変わらず酒を飲み、煙草をふかす。酒もすすめられたので、自分でつくる。お湯をなみなみと注いで薄めた蕎麦焼酎、雲海。「節制しないんですか?」と問うたら、「俺がそんなことするわけない!」と怒られてしまった。「すみません、健康志向で……」と言って笑う。 世間話の要領で「健康」はなんとなく気にするけれど、不健康を擁護したい思いもある。「健康」ということばの裏には優生思想の影がちらつく。不健康の擁護とは、生命一般とは相反する個人の生の擁護である。ちいさな物語の擁護ともいえる。「俺がそんなことするわけない!」という、「俺」の人生への敬意をもつこと。 なんだかんだ数時間過ごして、「ほら、交通費」とお小遣いをもらう。ありがたい。帰り際

日記986

  1月10日(火) いまに始まったことではないが、なにをしゃべっても書いてもぜんぜんちがう気がする。がんばってなんか言おうとしたときは、とくにちがう気がする。がんばったのに……。もう最初からボケに徹するしか道は残されていないのかもしれない。経験上、どうでもいい感じで適当に発信するとわりとうまくいく。まじめにやってもいいことがない。まじめにやったのに……。考えなしに事に当たるほうが自他ともに満足いくケースが多い。 つまりこう……ハッとしてグッときてパッと目覚める感じ。長嶋茂雄みたいなしゃべりを意識しよう。文章も擬音語・擬態語を多用し、パーッといきたい。「今日はシュッと起きてバタバタやってサッと寝た」といった、中身のない記述がいい。めんどくさくない。どうでもよくなりたい。これは積年の願い。 「間違うつもり・嘘をつくつもり」で話す。書く。「正しいつもり・ほんとうのつもり」より、そっちのほうが自分の生理に沿っている。 いずれにしろ「つもり」なのだから、嘘が悪いとは思わない。いや、ちがう。嘘は悪い。悪を為すつもりで、そこから始めたほうが行動しやすい。善を為すつもりだと行動しづらい。薄氷を踏むような思いがする。悪を為すなら、最初から薄氷踏み放題プランで自分ふくめ誰が溺れたってかまいやしない。まったく悪いなあ。そんなに悪いと、さすがに悪いか……。 そうだ。徒歩で、赤信号を待つとき思うことがある。車が通らず、余裕で信号無視できる場合でも、赤信号の正面からだと渡りづらい。ちょっとずれた、横断歩道の白線が敷かれていない位置からだと、スイスイ無視できる。この心理的な機微は非常に示唆的だ。正面に立つと、動きづらい。ちょっと斜交いに立つと、自由が利く。 わざわざ正面から悪を為す必要はなかった。というか、それってじつは「正しいつもり」と変わらない。たとえば相模原障害者施設殺傷事件の植松聖氏は、「正しいつもり」で事を起こしたのだろうと推察する。真っ向から為される悪の裏には、正義がある。 急に重い事例を出してしまったけれど、横断歩道の場合でも真っ向から赤信号を破るには「俺は正しい!」と自分に言い聞かせる必要があるのではないか。ちょっとした決意がいるような。斜めからなら、悪い自覚がある。情状酌量の余地がある。せこい話だが、あらゆる「悪気」はせこいもんだろう。 悪気をもって、斜めから自由を利かせる。

日記985

1月7日(土) 写真の事後性、ということを思う。考えながら撮っていない。つねに作業が先に立つ。まずやってしまう。「こういうものを撮ろう」と思って撮るのではない。文字通り、「あっ」という間に撮れる。あとで見返して、なんだこれ? と思う。時差を感じる。認知科学の用語でいえば、ポストディクションを自覚せざるをえない。ふりかえって、再解釈する。何度も、何度も。 「写真はセレクションが大事」という話を石倉優さんから聞きかじった。元は誰の発言とおっしゃっていたか……とにかく又聞き。もうすこし抽象化すると、「事後が大事」と言い換えることもできるだろう。事前の構えはそこそこでいい。できちゃったものをどうするか。計画性の崩れがおもしろいと感じる。計画をしても、かならず事前の意識とはズレたものがうつる。カメラの認知と人間の認知はそもそもまったくちがう。その差をどうするか。 Place Mでの優さんの展示は、枯れ藪をうつしたもので単純に画として美しく迫力があった。その怪しさというか、「写らなさ」みたいなところはすごく魅力的だけれど、わたしがちょっと興奮したのは展示を観に来ていた男性のひとりがふと指摘した三脚のうつりこみ。藪の一枚に、よーく見ると三脚が入っていて、それはほんらい写すはずのものではなかったという。ウォーリーを探すように、よーく見ないとわからない。 渺茫たる藪のなかにあった、ひとつだけ鮮明な人工物。藪というブラインドのなかで、確かに写るもの。ミスかもしれないが、帰り道に反芻して「写真ってそういうものだよなあ……」というへんな感慨にふけっていた。嘘の一種でありながら、嘘をつき通せない偶然がまれに写る。写真機は何も知らないから。写真家は、写真機という一個の無知を携えて歩く。 写ったもののなかには、「知っている」と「知らない」のせめぎあいがつねにある。というか、あらゆる視覚体験はそのせめぎあいを孕んでいる。わたしたちは、既知と未知のコントラストを無意識につけて「見る」という事を為す。大写しの藪はどちらかというとあまり見ない。未知寄りの体験で、そこに小さな三脚の既知がうつりこんでいた。人の痕跡。そのちょっとしたコントラストに自分は興奮をおぼえたのだと思う。作家からすれば事態は逆で、三脚が未知だった。セレクトの目をすり抜けた作業の名残。 制作者に対してはかなり失礼な話だけれど、わたしは何

日記984

  1月6日(金) 空を飛ぶカラスが妙に美しく見えた。ときどき、なんでもないものが異様なほど新鮮にうつる。余命宣告された人かよ、と思う。あるいは、きのう生まれた人か。最期に見るような、はじめて見るような。始点と終点の結節点が「いま」なのか。よくわからない。「滅びは未来に位置し、出生は過去に位置づけられる」と至極あたりまえのことを前回書いた。さらにあたりまえを加えるなら、どちらも未知なる時である。生と死は「未知」を介してぐるっと接続する。 東宏治『思考の手帖 ぼくの方法の始まりとしての手帖』(鳥影社)の「まえがき」には、「世界をやがて死んでゆくひとのように見ること」と「世界を初めて見るひとのように見ること」は同じことだと書かれている。東氏は高校生のころに父親を亡くした、その経験からひとつの「方法」を見出したのだとか。   「なんだ、死というものは、こんなものだったのか。こんな風にごく身近に、明日にも自分の身のうえに起こる出来事なのか」という、ひどく明晰な自覚と、それまで日常の慣習と習慣のヴェールを通してしか見ていなかった現実(というか、眼に見えていてもほとんど見ていなかった現実)が、裸の、あるがままの、あっけないほど何の修飾も価値付もない姿で見えてくるという経験。この自覚と経験とに何度も何度ももどってくること、そしてそうすることで身についてくるある視力のようなもの。このいわば末期の眼を保持しつづけることが、十年、二十年のあいだぼくが実践した方法のすべてであったのだ。(pp.9-10)   ひとつの終末へ戻ることが「方法の始まり」だった。「末期の眼」はすなわち、原初の眼でもあるのだろう。そういえば、正月に読んだ本のなかで「死」について綴られているものがもうひとつあった。下西風澄『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』(文藝春秋)の、こちらは「エピローグ――あとがきにかえて」。    僕は二十歳くらいの頃、小さな絶望のさなかにいた。心の過剰さに曝されて、死の存在が心の周りを漂っていた。周囲の誰にも心を打ち明けることができずに、小さな宇宙のなかで、独り神様を恨んでいた。いま振り返ってみればそれは、誰にでもある青年期のもたらす憂鬱と、いくつかの不運が重なりあったものだったのだろうと思う。当時の僕はそれを、なにか不意に訪れた悲劇のようなものだと感じていたし、しかも同時にそれ