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4月, 2019の投稿を表示しています

日記685

数週間前、お引越しをするご近所さんから体重計をもらった。それから欠かさず自分の重みを計っている。だいたい58kgの周辺で推移。いまが理想的な重みであると思う。たどりついた感がある。筋肉はほどほどでいいから、あとは身体の緊張をほどきたい。かたい。なめらかにいかない。なにひとつ。淀んだ四月の中にいる。  何かが動き出してしまった、ということを痛いほど感じさせられる瞬間なんて、人生にそんなにたくさんはないだろう。いや、たくさんあっちゃたまらないといった方がいい。でも、そういう瞬間はやっぱり襲いかかってくるし、それがひとつもなくなったら、たぶん人間は死んでいる。  望むと望まざるとにかかわらず、そういう激動と変化が潜在的にわれわれをおびやかしている。それで人生というものがいつも不意の驚きに彩られる仕儀となる。 ことばもなめらかに発せない。しかし書き写しだけは異様なほどなめらかにできる。キーボードでも手書きでも気になるところは写す。書写だけが軽快。谷川俊太郎と大岡信の往復書簡『詩と世界の間で』(思潮社)。大岡信による返信の抜き書き。読み始めたばかり。 「たくさんあっちゃたまらない」に苦笑した。そうそう、と。たまらないけれど、来るものは来る。「襲いかかって」というほどのわかりやすい獰猛さはないのかもしれない。静かに淡々と背景の色は移りゆく。二時間経ったら、ひと晩明けたら、かたちが変わるほうがふつうでしょ。変わるだけ変わればいい。いま手元にあるものも、秒刻みでかっさらって。 きょうベビーカーの中の女児と目が合って、すれ違いざま手をふってきたのでふりかえした。となりにいた自分の母に「知り合いがいたの?」と聞かれて、「こどもがいたから」とこたえた。知ろうが知るまいが誰にでも手をふってみたい。こどもみたいに。どうしてそれができないのだろう。なんて無邪気もたいがいにしろと思う。 「あんたもがんばってね」と87歳のおばあさんに声をかけてもらった。祖母の友人からの電話。「おばあちゃん、入院したんです」とおつたえする。祖母の名前を、ちゃん付けで呼ぶ。古い友人らしい。わたしは面識がない。いくつになっても「ちゃん」。父の名前も「ちゃん」で呼び、懐かしげに語る。わたしとは「あんたが赤ちゃんの頃に会ったわね」と。「ちゃん」の鮮度がきれいに保存された関係性の変化のなさ

日記684

「あんたの手、つめたいからやだ」とふられて笑った。自分の手は88歳の老人よりつめたい。病室で、別れ際。TANITAの体重計によると代謝は高いはずなのになーとエレベーターの中でぼんやりしながら、つめたい手をこすっていた。 気が滅入りがちな日々。でも基礎代謝と基礎滅入りは高めに保っているほうなので滅入り幅はそうでもない。基礎から滅入っていれば振れ幅は少なめで済む。ほとんど平静。どんなことがあっても。基本滅入り料を関係各所へ多めに支払っているおかげである。自分の品質保証として。明日の朝、アンゴルモアの大王が地球を滅ぼすのだとわかっても動じない。 「やだ」と首をふられ、差し出した手を止めた。すると向こうから指先だけ触れてきた。弾くように一瞬だけ。「ほら、早く帰んなさい」とでも言わんばかりの手付き。しっしっ、と。来たときは見るからにうれしそうだったのに、帰る段になるとずいぶん機嫌が悪くなる。その心理的な機微はよくわからない。とりあえず「かわいいお婆ちゃん」なんだと思うことにしておく。入院は長くなるらしい。 先週の日曜日。4月7日は横浜で友人とひと息ついていた。後日、メールに「ほんとうはこんな一日でさらりと報われるのだと思う」などと綴った。横浜駅で降りると、決まってサイプレス上野とロベルト吉野の「BayDream ~from 課外授業~」が脳内再生される。「カネなくても遊べるツレ/集めて辛いこと忘れすげえ/楽しいこと企む/真っ昼間いまだ発泡酒かっくらう」。 コンビニでお酒を買って、海上バスに乗り飲むことに。わたしは発泡酒ではなく、かなり奮発して日本酒の菊水をちびちびやる。つもりが、ひと口だけすすってベンチの上に置き放すと、バスの揺れで倒れてあとぜんぶこぼした。蓋があったので油断していた。 見事なまでにさかさまとなり、蓋は用を成さず、急いで拾ったが中身は空だった。水分の流れに手は追いつけない。ちょうどきれいに排水溝へすべて入って、周囲を汚さずに済んだ。からっぽのカップとバカ笑いする。そしてビールを少し分けてもらう。「報われる」とは、このような結果だろうか。 横浜美術館の前。こどもの靴が置いてあった。どうしたのか、ふしぎに思う。肌寒くて暗かった。うちの父は人と顔を合わすたびに仕事のことを笑いながら話す。厳しい内容でも暗い愚痴に

日記683

何かがそっくり他人へ「伝わる」なんてことはない。これは自分の短い経験上で得た、短い射程の思い込みとしてそう思う。ただ読まれるだけです。こちらもこちらの範囲で「読み」を口にする。それぞれの読みだけが伝播してゆく。読みから読みへと声が派生する。「読み」の快楽の漸進的横滑りとして言語がある。 他人と生の時間を完全に同期させることは物理的にできない。そんなことも思う。どんな関係でもです。「物理的にできない」という事実をまず忘れずにおきたい。モノとモノが完全に同じ位置に同時に存在することは、物理的にできない。同位置に身体を押し込めようとすれば、ぶつかるほかはない。 びっくりするほどあたりまえのことです。しかしびっくりするほど重要な事実でもあります。少なくともわたしにとっては。どうすることもできない事実。切なくて、でも、ちょっぴり安心もできて、勇気もわきそうな事実です。すべての関係は距離を含みます。わたしが存在している時空間の位置を他のものは物理的に占められない。   身体が母体内で胚胎した瞬間から、わたしはたったひとつの位置を占めています。誰も同じ位置にはいられない、からだをもっている。端的な事実として、世界はそんなふうにあるらしい。まずはその身体的な物質性を明確に踏まえたい。身も蓋もない事実認識から始める。からだを鍛えるとは自分の位置を鍛えることだと、筋トレしながら思う。 そのうえで人々の読みが通過する。「読み」とは通過のこと。語を解するには、ひとつの語を通過し、べつの語への移動が不可欠になる。立ち止まってしまえば「読み」は成立しない。通過して、通過される。その連続性のまとまりが「関係」と呼ばれて立ち上がるのでしょう。 そして「関係」も物質と似たようなものではないかと思う。耐用年数がある。乱暴にあつかえばそれだけ早く消耗する。もたせるには定期的にメンテナンスが必要で、交換時期がくればあらたな構築を迫られる。 同じ人間同士、変わらぬ関係が永劫つづくなんてことはありえない。長期にわたる関係性も、少しずつマイナーチェンジを施しながらぼちぼちつづいてゆくものです。ぼちぼち変わってゆく。可変的だから持続ができる。朝の自分と夜の自分を較べたってちがうんだ。わたしたちは変わります。 からだが血液の絶えざる通過によって平衡状態を保っているように

日記682

祖父や祖母が亡くなった報せを受けたときの、親のようすを目の当たりにしていた。その瞬間の、父母の感情の流れ方をよく思い返す。日頃は見えない根源的な素形の姿が現れる。それは自分を知るための手がかりとして大きなものだと思う。なんだかんだで親は自分の似姿でもある。 母方の祖母と、父方の祖父はもういなくなった。そのとき父と母は、それぞれに対称的な反応をした。父は夏休みの最中だったせいもあって、苛立っていた。まるで人身事故で電車が遅延して駅員さんを怒鳴りつける乗客のようだった。しばらくその印象が強烈で、自己中心的な人だと思っていた。いまは、もう少しちがう感慨を抱いている。 母は電話で一報を受け、その場で泣き崩れた。引いてしまうくらい泣いていた。心配になった。情をそのまま身体で表現する人だった。巻き起こる最大瞬間風速に煽られるまま、なんら抵抗なく飛ばされる自分を飛ばされるがまま外に排出していたような。抑えない。自分のことも先のことも考えない。かなしいだけ。いまのそのままの時点を素直に表していたように思う。 わたしはどちらかといえば父に似ている。素直ではない。別れの手続きがひと通り済んで、お墓からの帰路、悟られないほど静かに泣いていたあの横顔に似ている。顔を上げたまま頬を拭いもせずに歩きだして、かなしい素振りなんかひとつも見せなかった。そこには一本の細い筋が見えた。まず筋道をつけ、仕事を終えてから、愛おしむようにそっと感情を残す人なのだと思う。情をあらわす順番は、いちばん最後にまわす。 人にはそれぞれの感情の流路がある。あくまでイメージの話だけれど「流れる道筋」があると考えてみる。母はたぶん、大きな塊が洪水のようにあふれだして、ものすごい速度で流すことのできる人。その瞬間に身を任せられる。広い流域がある。そして父は、濃いめの水割りを幾度も口へ運ぶような手付きで少しずつ流していく。ちびりちびり。自分なりの希釈をしながら、細く長い流路をたどり、湛えた張力からささやかにあふれる。 直情的な熱っぽさと、時間のかかる冷っこさ。 わたしはつくづく感情が苦手だと思う。感情表現がうまく出来ない。他人の感情を浴びることも極力、忌避している。画面越しでも苦手だ。強い感情は伝染する。おそらく人並み以上に伝染しやすい。自分のものではない感情に長くとらわれてしまう。