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4月, 2024の投稿を表示しています

日記1018 さよならの仕方

  “「生きること、それは空間から空間へ、なるべく身体をぶつけないように移動することなのである」。読者はこの卓抜な表現に一瞬虚を突かれ、やがて笑いがこみあげてくるのではないか。そして、私たちは「生きる」ということを偏って捉えすぎているのではないか、とも思い当たるのである。「生きること」とは、働くことかもしれないし、考えることかもしれないし、愛することなのかもしれない。辛いことかもしれないし、食べて寝ることに過ぎないのかもしれない。「生きること、それは……」というアフォリズムを思わせる言い回しは、このあとで人生についての深い真実が告げられるかのような期待を抱かせるが、実際に与えられるのは、あまりにも即物的な、身もふたもない人生の定義なのである。この落差がちょっとしたショックを引き起こし、やがてそれが笑いに変わるのだろう。しかし、よくよく考えてみると、この定義には人生の本質を突く点が含まれていることも分かるのだ。つまり、私たちの日々の活動は「空間」に深く規定されているという事実であり、そのことは「アパルトマン」の章のタイムテーブルが示しているとおりである。食事をするにせよ、入浴するにせよ、何かをしようと思ったらおのずと特定の場所に体を運んでいるのであるから、その移動の連なりこそが〈人生〉である、という定義には、それなりの真実があるわけである。それとともに、「生きること」に行き詰まり、思い悩んでいる人には、ごちゃごちゃ考えなくても、とりあえず壁や家具にぶつからないように移動できていればそれでいいんだ、立派に生きているんだ、というような励ましのようにも響くのではあるまいか。”   ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間 [増補新版]』(水声社、pp.242-243)、翻訳者の塩塚秀一郎氏による「増補版に寄せて」より。 「生きること、それは空間から空間へ、なるべく身体をぶつけないように移動することなのである」。「田原俊彦を鉄アレイで殴り続けると死ぬ」もそうだけれど、わたしはきわめて表層的な即物性に惹かれる傾向がある。人々の虚を突いて、やがて「そりゃそうだ」と、あきらめたように笑みがこぼれる、そんな表現。身もふたもなさ。深さ、よりも浅さ。そこで息づく明るさ。 「見たまんま」の、ぽかーんとした物言い。ペレックが定義する「生きること」は、とてもぽかーんとしており、まさにそこには広々と

日記1017

交差点。桜まつりの看板を尻目に、横断歩道を渡るこどもたち。5、6人みんな手をあげていた。たのしそう。「みんなで手をあげて横断歩道を渡る」という、ちょっとしたイベント。横断歩道にさしかかるたび、はしゃぎながら手をあげて駆け出す。バンザイする男の子もいた。すこし離れた後ろからぼんやり眺める。話し声が断片的にきこえる。「来週の月曜日から学校だよ」「月曜日ってなん曜日?」「月曜日だよ」。 3月さいごの週末は各地で桜まつりが開催されていた。うちの近所では、まだほとんど咲いていない。引き続き来週も開催するらしい。 2月のある日、とても寒い思いをした。手足の感覚がなくなるほど。その日の記憶を引きずってしまい、暖かくなっても用心深く厚着している。眠るときも。おかげで寝苦しくなる。臨機応変な加減はむずかしい。記憶がそれを阻害する。過去と現在はちがう。ことばのうえでは、わかっているつもり。でもいかんともしがたく、割り切れない過去が現在に食い込んでくる。たいていは無意識に。たくさん、たくさん。 小鳥が雪のくぼみで遊ぶ。そのちいさな足あと。もう溶けてなくなった。冬の記憶。凍った路面の歩き方も思い出せない。桜は「まだほとんど咲いていない」とはいえ、あっという間に満開になるのだろう。いまに暖かさにも慣れる。「寒い思い」も暑気にくるまれ、ふかふかな野良猫の毛も生え変わっていく。 ちゃんと忘れる。そしてまた知らない感情に触れる。でもその未知は、単に忘れたから未知なのかもしれない。じつは繰り返し。それでもいいか。「何度だって忘れよう/そしてまた新しく出逢えれば素晴らしい」って歌があったっけ。すべてが初めてのようであり、再会のようでもある。書かれた記憶を手中で見つめていたはずが、次の瞬間には記憶に眼差されている。わたしたちは循環する。 春に漂う花の香りは、訪ねた家の空気のようによそよそしい。きょうは4月1日。ちいさな男の子がちいさな公園の一角で「Bling-Bang-Bang-Born」を歌っていた。Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」を歌うこどもに、この1週間で2回遭遇。 雨がちな天気のなか歩く。明るい曇り空。資源ゴミとして紐で括られた受験参考書の山が濡れている。山をよく見ると、受験参考書のほかに保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』の単行本、城一夫『常識とし