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日記521


方向音痴のわたしは、歩きながら方向が変わっていることに気がつきません。90度カクッと方向転換すればさすがにわかりますが、ゆるやかなカーブなんかだと、ずっとまっすぐ歩いているつもりなのに、いつの間にかぜんぜんちがう方向だこれ、みたいなことになります。空間の捉え方が直線的というか。曲線を解する軸がひとつ抜けている感じがします。3次元じゃなくて、認識が2次元なのかな。2次元にも曲線はあるか。とにかく曲面全般が体感としてわからない。まっすぐな平面の上で生きている。

地球が丸いなんて信じられない。どう見ても平らです。こんなに平らなのに。みんなうそつきだ。よってたかってわたしを騙している。世界中のひとが手を組んだ壮大なドッキリにちがいありません。義務教育の時点からドッキリを仕掛けられていたのです。もうバレています。そんな無理してうそつかんでもいいんよ。いまさらプラカード持ってネタバラシに来ても遅いから。お見通しだから。「地球は丸い」なんて、バレバレのこども騙しにひっかかるわたしではありません。もうおとなだもんで!地球は平らです。

怒らないから、そろそろほんとうのことを教えてくれても、いいんですよ。うそつくの、疲れるでしょ。それがたのしいのなら、いいよ。わたしを騙してひとがよろこぶのなら、いくらでも騙してください。わたしもよろこんで騙されたフリをするよ。そうやってフリをつづけていると、フリのつもりが、やがて信じ込んでしまうのでしょうね。騙していたつもりのひとも、騙されていたつもりのひとも、いつしかみんな信じちゃって、それがほんとうの世界になる。

ひとの認識なんてそんなものだと思います。でもわたしは騙されない。地球は平らです。王様は裸。そして流れる風景はすべてカキワリ。精巧なカキワリ。山も、川も、道路も、街も、空も、太陽も、星も、夜も、朝も、季節も、風も。だれかが一生懸命つくってくれたカキワリであることを知っています。わたしを騙すためだけに。

この世界は、わたしが生まれる前に、「こいつの人生をそっくり騙してやろう」とみんなで画策して懸命につくってくださったものだし、壊しちゃうといけないから、近寄って触れることはなるべくしない。そうっと生きる。こんなに準備して、こんなにすべてを騙してくれて、すごい。みんな、すごい。すっかりわたしは騙されながら生まれて、騙されながら生きちゃった。ありがとう。世界は狭いけど、カキワリ職人が広く感じさせてくれている。おかげで気が狂うこともないよ。うれしい。みんなありがとう。

こう思うと、もはや尊敬しかない。「騙されない」なんて、そんなこと言うものではないね。悪いことを言いました。だって酸素から用意してくれたんだもんね。というか、わたしの心臓とか脳味噌とか血液とか、そこからドッキリのためにつくってくれたんだよね。そんでドッキリのために生まれたわたし。ひとを騙すのって、たいへん。そうかんがえると、ああなんてことをわたしは言ってしまったのでしょうか。ひとの苦労をなんにも知らずに。すべてを無に帰す発言です。ものすごい暴言でした。ごめんなさい。

プラカードを持って「ドッキリでした~」と世界中のひとがバラしてくれる日がくるまで、もう公然と疑うことはしません。美しい夕映えにも、残酷な朝にも、感動したり、苦しんだり、もがいたりして、そっくり騙されます。みんながすべてを騙すために用意してくれたこの世界で、なにもかもを騙すために用意された人間であるこのわたしが、日々騙されながら右往左往するさまを見て、たのしんでください。

疑う気持ちは否めないけど、逃げはしません。
世界の端にある扉を知ったとしても。
騙してくれてありがとう。

さいごにはこう言うよ。

「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」

次の番組はなんだ?チャンネルはそのまま。
おたのしみにね。

わたしは幸福なトゥルーマンでいよう。
かみさま。


いや、だから、話を戻すと、方向音痴なんですよ。

わたしの場合、建物から出たときに注意が必要です。帰りたいのに、来るときに向いていたほうへ行ってしまう。帰り道は逆なのです。来るときに見ていた方向は、見覚えがあるからかな……。逆方向だと、同じ道でも、見覚えがない。

その前に、建物の出口がわからなかったりもします。どっから入ったっけ。どっから出るんだ。デパートなんかだと、無数に入り口と出口があります。入ったところとちがう口から出ると、またそれが道に迷う原因にもなります。迷わず歩くのは、むずかしい。「迷わず行けよ、行けばわかるさ」じゃねえよ。行ってもわかんなくて迷うわ。

時間があるときは迷ってもたのしいけれど、仕事や待ち合わせがあるとつらい。配達とか、営業とかで知らないところをどこでもまわれるひとはそれだけですごい。わたしも外回りはしたことがあるけど、厳しい。ふらふらしていると時間がなくなってしまう。現実は厳しい。

すこし角を曲がると、じぶんの位置が霧散してしまうのです。あれ、わたしはいまどのへんにいるのか……。距離の感覚も正確ではないのかも。でもスマホのアプリに頼れば、ある程度はだいじょうぶになります。地図アプリのある時代に生まれてよかったと思う。ありがたい。アドリブで歩いていると、ぐるぐるまわる。方向音痴は、ほんとうにぐるぐるまわるのです。しかもなかなか気づかない。

生まれてからずっとそうなので、仕方がないことなのだと思う。
地図アプリが必需品。




コメント

anna_shei さんのコメント…
一番困る人は、行動力のある方向音痴だって聞いたことがあるような。
nagata_tetsurou さんの投稿…
行動力のある方向音痴が集団内にいると困りますね。わたしはたいていひとりなのでいつだって迷い放題です。誰も困らせない。方向音痴の多くは孤高で、誰に道を尋ねることもなくプライドをもち密かに迷っているのだと思います。