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日記525


近所のささやかな森みたいな公園をたまーに散歩します。森ボーイです。昼間でも暗くて、じめじめしている。きょうは夕方、半袖で外へ出たら肌寒かった。家を出た瞬間、半袖は早まったなと思うが引き返さない。引き返したら、ふたたび外出を決意するまでに5時間くらいかかる。

カメラを片手に歩く。薄暗い公園。白人の親子がハイテンションで遊んでいて、ほかはだれもいない。ちいさな女の子と、お父さんかな。ヒゲをたくわえた白人男性。ふたりのわーきゃー騒ぐ声がおもしろい。わたしが横切ると、お父さんらしき男性はすこし恥ずかしそうに声のトーンを落としていた。女の子はふしぎそうに目を丸くして、それを見つめる。すみません、いんですよ気にしないで。ほら遊んで遊んで!と、あたまの中で思いながら、黙って通り過ぎる。


4月16日(月)。3月にすべりこみで締切ギリギリに応募した「チャーハン大賞」という企画の結果が出ました。わたしはかなり好き勝手に、いい湯加減であたまが沸いているなーと思われる内容を書き飛ばしたため、じぶんがどうこうなる期待はそんなになく、その通り、順当な結果でよかったです。じぶんがおもしろいと思えることをできれば、それ以上はいい。でもこういうものに参加すると、宝くじを買ったときみたいに、すこしだけわくわくしてしまいます。当たらないのにね。皮算用。

なんでも期待値は低めで絶望しておくことがモットーなのだけど、それでも味の素冷凍食品のホームページをたどりながら、わくわくしているじぶんは否めなかった。わたしの名がそこにないことを確認し、ひと息つく。なんだかんだいって、希望にまみれている。すこしだけ、不潔な気がする。かといって期待しないことが清潔でもないけれど。生きている以上、汚れているのは仕方がない。

理想は、「ぜんぶどうでもええやん」と思って生きていたいな。賞レースに参加しようがしまいが。30万円もらおうが、もらえなかろうが。なにが起こっても。ひとが死のうが。家が燃えようが。近々わたしが死ぬことになろうが。落ち込むこともなければ、喜ぶこともない。超然と腰を据えて、無でいたい。それが理想だけど、そんなやつがいたら完全にサイコパスです。狂っている。むりです。ちゃんとうろたえよう。おどおど。おずおず。チャーハン大賞は、結果発表の2日前まで応募したこと自体、忘れていたけど。ははは。忘れていたいのかな。


散歩しながら写真を30枚くらい撮りましたが、20枚は家に帰ってから削除。これも消そうかと思ったけれど、うーん。じーっと見ているとだんだんおもしろくなってくるのです。たぶん。これを見つめているわたしはいったい……?アイデンティティ・クライシスに陥ります。なんでも立ち止まって見すぎると、わけがわからなくなってきます。ゲシュタルト崩壊というのか。ひとの目は、通り過ぎるようにできている。1点を見つめ続けると狂いだす。

やはりパッと見て、直感的になにかを感じるものが「いい写真」なのかな。なんかきれいだなーとか、気持ち悪いなーとか、こわいなーとか、なんでもいいけど、視覚が捉えるその一瞬で感じるもの。ことば以前の感覚に、直に訴えるような。なんだろ。

わたしは9割方、直感だけでことばを発してしまう人間なので、勉強が足りないなっていつも思う。文章も、写真も、音楽も、好きでなんとなくやってみるけどなんにもきちんと勉強したことがない。なんにも知らないで、恥ずかしいことをしているなーと我に返るときがよくあります。バックボーンはゼロ。すべて横好き。自信がないから、なにか支えになるものを欲している。いくら勉強しても、さして変わらない予感もしつつ……。ぼんやりしているね、ずっと。


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