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日記531


この写真は名古屋の小学校の壁です。4月24日に撮影。日記を更新していないあいだ、ちょっと旅行しておりました。わたしが2年生まで通っていた小学校です。名古屋から福岡へ転居して、いまは東京。行ってもおぼえていないかなーと思ったけれど、校庭の遊具なんか、変わっていなくて、なつかしすぎて自然と笑みがこぼれるほどでした。あそこぶらさがったなーみたいな。その中でふつうに、体育の授業が行われていた。

名古屋の地下鉄の匂いも、電車が出発するときに鳴る独特の音も、すごくなつかしい。うまく言えませんが、うわーってなる。20年以上も触れ得なかった記憶の領域が、どこにしまわれていたのか、ふっとあおられて静かに浮かぶ。そんな感覚。まだあるんだ。もう戻れないと思っていたけれど、戻れるんだ。なくなっていないんだ。場所も、記憶も。すごい。じぶんのどこにこんな記憶がしまってあるんだろう。脳味噌のふしぎ。人体のふしぎ。

姉に小学校の門の写真を送ったら、「ぜんぜんおぼえてない、や」という返信がきて、いっつもそう、わたしだけがぜんぶおぼえていて、おいてけぼりなんだと、また思った。みんな通りすぎて、忘れる。わたしだけが、異様なまでに細かいことをおぼえている。記憶とふたりぼっちで。取り残される。

それだけ過去から成長していないんだろうな。じぶんも忘れっぽいところは多々あるけれど。わたしもたぶん、なにかをおいてけぼりにしている側でもある。忘れたものは、わからない。なんたって忘れてしまうのだから。確かにあったが、もうじぶんの中には存在しない消えた過去も、数多あるのだろう。

甥がこの4月、小学校に入学したので、姉におめでとうを伝えた。
「成長は喪失をはらむね」と、そんなことばも添えて。


この写真はむかし遊んでいた名古屋の公園。背伸びして飲んでいた水。大きなナメクジがよく這っていて、素手でつかんで遊んでいたっけ。いまの目線だとこんなに低い。すべてがちいさく見える。住んでいた場所から、小学校への距離も遠く遠く感じていたけれど、いま歩いてみると、とても短い。

ここでいつも口をつけて水を飲んでいたら、知らないお兄さんに怒られた。でも口をつけないとわたしは飲めなくて、背も低かったし、不器用でそれ以外のやり方がわからずに、ここで水を飲むことはやめてしまった。記憶の細部がよみがえる。

いまならこんなところに口をつけるなんてありえないし、ナメクジを素手でつかむこともできない。ちゃんとした文明人の衛生観が身についてしまった。これは成長なのか、こどもの頃より不自由になった部分である気もする。またナメクジを素手でつかんで無邪気に遊べるようになれたら、楽しそうだけれど。


この木も同じ公園。よくのぼった。こんなに苔むしてはいなかった。もっとしっかりしていたと思う。すっかり老木なのかな。苔がびっしりで、もうのぼるこどもも、いないのだろう。滑りそうであぶない。この木の股に、太ももが挟まって抜けず、泣きわめいていた思い出がある。知らないおじさんに助けてもらった。しばらく佇む。抜けたときの安堵感と、おじさんの笑顔までゆっくりと浮かび上がってくる。

公園から家に帰る道のりでも思い出す。側溝のすきまに足がはまってしまい、無理にぬいたら血まみれになって、半べそで姉に手をひかれ歩いていると、見かねた近所のおばあさんがおんぶしてくれた。よく足がはまるこどもだった。おばあさんの手が、わたしの血で汚れてしまっていた。あのおばあさんは、きっともういない。


川べり。幼稚園児のころかな、こういうところの先端まで行って、幼稚園の友人と立ちションをしていた。尿が大きな放物線を描いて、川へドボドボ落ちるさまがおもしろくて、みんなでほぼまいにちしていたと思う。おしっこがしたくなったらここへ来て。それが最高におもしろかった。いまはすべてに柵がとりつけられていて、こどもが入り込めるような余地はない。

この川には泳ぐヘビがいた。たまに見かけると興奮して、うれしかった。いつか、川辺で見つけたカタツムリを家に持って帰ったとき、母に「捨ててきなさい」と怒られて、かなしい思いをした。そんな記憶もある。わたしが親になることがあれば、そんなことはしないぞと固く誓う。飼ってあげよう。カタツムリでも、バッタでも、ナメクジでも。奥さんになるひとが、嫌がるのかな。ははは。

何度か書いたかもしれませんが、ひとが示した意志をあたまごなしに挫くことはしたくない。こどもならなおさら。「このひとになにを言ってもむだだ」と思われた瞬間にその関係は終わる。コミュニケーションは終わる。なによりも、創造性が死ぬ。「なにを言ってもむだ」な空気はつくりたくない。なにを言ってもいいんだ。おもしろがれるよ。いっしょに検討しよう。わからないときは、こどもにも教えてもらいたい。外から虫を持ち帰っても、素敵な木の棒を持ち帰っても、きれいな石を持ち帰っても、いい。自由です。なんの結論もくださない。審判もしない。できないから。話を聞いて、おもしろがる。

わたし自身、引っ込み思案で、遠慮がちな性格だから、こういうひとがいれば理想的だなーと思う。理想の「こういうひと」にじぶんがなればいいんだと、気がついた。人任せにはしない。わたしの理想は、わたししか体現できないもの。


ありとあらゆる種類の言葉を知って
何も言えなくなるなんて
そんなバカなあやまちはしないのさ!


小沢健二の「ローラースケート・パーク」を聴きながら歩いた、名古屋の朝。新宿発の夜行バスから降りて、そのままふらふらと辿ったむかしの道の記録。誰もいない公園と川辺。ともだちだったひとの家もまだ何軒かあって、訪ねてみたい気もしましたが、向こうはおぼえちゃいないだろう。たぶん。ぽかーんだ。

うつと親和性が高い人間は、過去のことを反芻してくよくよしがちだから、よくむかしのことを覚えているって、聞いたことがあります。こうやって記憶を書き留めているのは、ナラティヴ・セラピーみたいな治療の側面もあるんです。整理して、ケリをつける。記憶も手入れや管理を怠ると、とっちらかってしまう。たまに手にとって、ホコリを払ってあげる。どんな記憶も、未来のわたしがちゃんと肯定するから。なにがあっても。任せときんしゃい。


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