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日記537


写真がたまっていて、どれをここに載せたか載せていないか、わからない……。貧乏性なのでなるべくボツにせず、保存してあるものは使いたい。ガチのボツはすぐに削除しているから、保存してあるということは使うということ。過去のわたしが使おうとしたのだ、たぶん。視界に入る、ということは、なにかしら意味を帯びてしまう。

今週、母とスーパーへ買い物に行ったとき、似たような話をしました。うちの母は、買い物へ行くとかならず、お菓子を買わないと気が済みません。「太るから食べないように気をつけてるのよ」と言いながら買い物カゴにおせんべいを入れる。ミニバウムを入れる。シュークリームを入れる。「買うってことは、食べるってことだよね」と、わたしが言うと、「食べないよ、でも買いたいの」と矛盾した主張を平気でします。

「目の前にあったら食べちゃうんだから、さいしょからないほうがいいんだよ」と説得を試みても、頑として「買う」と言います。おとなになってから、このひとの言動を「母親」ではなく、ひとりの人間として見つめつづけていて思うのですが、希望を述べるときのアウトプットがたいてい矛盾しているので、その背後にある見えないロジックを推し量り、整理してあげないと、じぶんでもじぶんの言いたいこと、第一に優先して欲するところがわかっていないのです。そういう複雑なことばづかいをするひとだ、と二十歳をこえて初めて理解できました。母のミステリアスな矛盾をつねに解きほぐそうとして、わたしの国語力が鍛えられたようなところもあるのかな……。

つまり、母はふたつの相反する願望に引き裂かれながら行動している。そういう行いって、どうしても罪悪感が残ってしまいます。「太りたくない、でもお菓子も食べたい」。あちらを立てれば、こちらが立たず。これだとたぶん、買い物をしたあとにやましさが残って、ささいなことだけれど精神的によろしくない。やましい思いを抱きながらも、ついやってしまう行動は依存的。こういうささいな罪悪感の積み重なりが、ゆくゆくは大きな変調をもたらすことも、あるから。

わたしがお菓子は買わない方向であーだこーだ言っても、かたくなに「買う」と言うので、そこは揺るぎないのか!と観念して「じゃあ、食後にちょっとかじって満足できるようなのね、あとをひかないお菓子がいいよね」と言って、ミニバウムだけを買いました。スナック系は母の場合、くせになるから、よくありません。シュークリームは重い。

優先順位の一位が「お菓子を買う」だから、そこはかなえる。でもそれだけだと、やましさが残ってしまう可能性があるので、折衷案というか、ふりでもいいから「健康に気をつけて購入した」という意味付けをほどこしておくと、ストレスがすくないのではないか。たとえ矛盾に引き裂かれたとしても、ちゃんと結果を受け入れられる言い訳の糸口をひらいて行動しておくこと。

矛盾したことを述べるひとに「矛盾してる」と指摘して、そんだけでなにかを言い得た気でいるような人間は、はっきりいってパッパラパーだと思う。「パッパラパー」って響きが愉快でいいですね。わたしは矛盾の背後にあるはずのロジックを読みたい。人間は矛盾をする生き物で、矛盾の解消はできないかもしれないけれど、せめてモヤモヤを順に整理して並べ置くことができれば、生活のストレスはすこしずつ逓減されると思うから。

もちろん、こんなことをいちいち考えながら母と買い物をしているわけではなく、ほとんどいま思いついたあとづけですが、ふりかえると、こういう、わたしの中での機微が働いたのだという解釈も可能です。たぶん。ちがうかも。きれい過ぎるから。かっこうつけている。

単に、どうでもいい夕飯時のテレビを見ながらせんべいをボリボリむさぼり、日々を老い過ごしてゆくどうしようもない母を見ていたくない、という理由もあります。「醜い!」と思ってしまう……。醜くてかわいいけど。ミニバウムなら、ふつうにかわいい。ミニバウムをむさぼりながら老いるのなら、醜くない。ミニバウムおばあちゃん。ええやん。じぶんの審美的な欲求には、しょうじきでありたい。


食器棚。にうつる部屋。外は雨。

さむいです。この2日か3日くらい。きょうも。さむくてしょうがない。5月なのに。なんででしょうか。福岡良子さん。なんでですか。斉田季実治さん。増田雅昭さん。なしてやの。手嶋準一さん(福岡ローカルで有名な舌っ足らずのかわいい気象予報士さん)。

きのうあたりから、Spotifyという音楽のストリーミング配信アプリをいまさら、使い始めました。さいきんは、soundcloudやmixcloudをだいたい、知らない音楽をさがしがてら流していて(じぶんのライブラリしか聴かないと自己完結しちゃってつまらない)、気になったmixのアカウントなんかを眺めているとやたらSpotifyへの誘導が多いのでやってみるかーというわけで。

はじめに、好きなアーティストを選ぶ画面が出るのですが、ここで小一時間格闘。おもしろくて。ひとつ選ぶごとに、関連するアーティスト名が複数ぽーんと出てきて「こっからここに飛ぶんだ―」みたいな。体系が知れる。何億人ものビッグデータかなんかに基づいているのかな。わかんないけど。やっていてじぶんの趣味がわかるので、おもしろかった。武満徹を押すと、早坂文雄が出てきて、早坂を押すと、ゴジラで有名な伊福部昭が登場するという現代音楽・映画音楽らへんの3連コンボに意味なく興奮。

たぶん、わたしは興味の範囲が広すぎるから、どうなんやろーと思ったけど、Spotifyさんはだいたい3つくらいにまとめてくれました。ヒップホップ、ロック、ジャズ。らしい。あと「1994年のヒット曲特集」というプレイリストが出てしまった。うすうす、そうかな?と感じておりましたが、ビッグデータ的にもわたしは94年の音楽と因縁があるらしい。聴いてみると、たしかにぜんぶ聴いたことがあるし、ぜんぶいい……。

音楽に限らず、書籍などでも勝手におすすめしてくれるのは便利ですが、いっぽうで「わたしの趣味を、貴様にコントロールされてたまるか!!」という反骨精神がうずいてきます。「あなたはこれだよ」と差し出されると、たとえそれがど真ん中の直球で的を撃ち抜いていたとしても、「ち、ちげーし!それもいいけど、ちょっとちがうもん!それじゃないもん!」と反発したくなる思いが、どうもあります。天の邪鬼というか。素直になれなくて。

でも素直でいたい。だからさいきんは、「反発したくなる」という気持ちも含めてすべて吐き出す、という素直さの表現を採用しております。ひねくれた想いも、穿った見方も、見栄を張っているじぶんも、包み隠さずぜんぶ言ってしまう。その努力をおこたらない。なるべく角が立たぬように。これがほんものの素直っ子です。ミスター素直っ子です。ミスター味っ子の親戚です。ミスター高橋のニックネームは「ピーター」です。



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