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日記541


よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め誰の、言うことも聞くなよ」


CMでよく耳にして、昨年のNHK紅白歌合戦にも出演を果たしていた竹原ピストルさんの歌。「よー、そこの若いの」と若者に呼びかける歌詞です。おもしろい詞。がっつりと矛盾したメッセージを放っています。ダブルバインドみたいな。ひとを苛む矛盾ではなく、治療的ダブルバインドっていうのかな。解放的な。

とはいえ、「誰の言うことも聞かなくていいんだ!」とその通りに解放された瞬間、すでに竹原ピストルの言うことを聞いてしまっています。聞いても聞かなくても釈迦の手のひら。ピストルの手のひら。どこを見ても竹原ピストルがいる。「竹原の言うことなんかもう聞きとうない!」と目をつぶり耳をふさいでかぶりを振っても、竹原ピストルの髭面が脳裏をよぎり、汗まみれのしかめっ面で歌い出す。「俺を含め誰の、言うことも聞くぅなよ~♪」。いやだ!もうこれ以上、言うことを聞かせないでくれ!こうなったらもう竹原ピストルが存在した記憶をこの世からどうにかして抹消するか、あるいは竹原ピストルと一体になるしか、わたしたちに残された道はありません。

竹原ピストルの矛盾した命令をかわすために、あしたからわたしも竹原ピストルを名乗ろうかしらん……。そうすれば命令する側、すなわち体制の側につける。いや、そんな極端なことはせずとも、ほどほどに聞くし、ほどほどに聞かない、くらいがふつうの現実的な塩梅か。なにもそこまで必死こいてかわそうとしなくても。そんなに真剣に言うことを聞かなくてもいい。

こうした矛盾を孕んだメッセージは教職者や聖職者といった、ひとの上に立つ人間がやりがちだと思います。上司や先輩でもそうかもしれません。それとこんなにわかりやすく露骨ではないにせよ、アーティストはたいてい自己の矛盾をこねくりまわしています。

たとえば学校の教師だったら「帰れ!」と生徒を怒鳴りつけて、その命令に従いほんとうに生徒が帰ると「なんで帰ったんだ!」とまた怒り出すのは、あるあるネタだと思います。「わからないことがあったら、なんでも聞いてくれ」という上司に、ささいな質問をすると「そんなことくらい自分で考えろ!」と一喝される、みたいなエピソードもあるあるかな。質問にもその上司のための配慮がないといけない。

あるいは、疑うことをひとに教えようとしても「信じるな、という私のことばを信じろ」みたいなメタメッセージを発することになってしまう。ほかに、とうてい理解不能な超常的なものをバーンと見せつけて困惑させ「これを理解しろ」と追い詰めるのは、悪いスピリチュアル系の籠絡の仕方です。

矛盾した命令は種々あれど、どれも忠誠や信を問うことに隣接しているのかなーと思いました、いま。竹原ピストルさんもなんか、信仰を説いているのかな。似たテイストのアーティストでMOROHAという二人組がこのごろ大外からガンガン中心に向かって来ている気がして、このMOROHAも「信じなきゃ」ということを熱く叫んでいます。ことし、紅白に出ると思う。竹原ピストルの開拓した「熱苦しいおっさん枠」で出ます。MOROHAが出ることによってこの枠は確立されます。熱苦しいおっさんが日本の大晦日の風物詩になります。「熱苦しいおっさん」が春の季語になる日も近い。

MOROHAは聴いているとなんだか笑っちゃって距離を置きたくなるのですが、そういうシニカルな態度をとると、どこまでも追っかけてきて逃げ道をふさがれてぶん殴られて曲が終わるころには泣きながら土下座しているじぶんがいます。好きなんですけど、あまりの熱量に半笑いになってしまう。でも笑うと、ことばでぶん殴られる。「お前も腹じゃ笑ってんだろ?」という歌詞がじっさいにある。ごめんなさい。笑いました。でも好きです。

5月14日(月)。就活アウトロー採用の合宿へ行きました。翌日、昼過ぎに帰宅しました。むりやり上の話題とつなげると大きな社会の枠組みへの信心が薄い方々の集まりだったのかな、なんて。でも、たくさん参加しておられたので、十把一絡げにはできません。いま参加中のアウトロー採用については、すべてが終わってから、あらためて全体を俯瞰するようにことばに起こしてみたいと思います。



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