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日記549


湘南工科大学の講義で聞いた「THINKからACTION」にからめて、「ことばと身体の距離」ということを書きました。ことばを身体にうつすこと。これは「移す」であり「写す」でもあります。言語を身体に写し取ること。

「言語を身体に」といっても、言語が先か、身体が先か、それは一概に断言できません。ひとや時と場合にもよるでしょう。同時的かもしれない。わたしの生体を通した認識では、絶えず入れ子になっているような気がします。ぐるぐる。

脳が先か、身体が先か、みたいな問いも浮かびますが脳も身体の一部なので、身体の機能は切断せずに統合的に見たほうがよいでしょう。脳もふくめて一個の身体です。しかし言語に関しては、生まれつき備わっていない、他人からもらった異物なのです。ことばは、わたしの中の他者。生まれてから教わったもの。書くことは、この他者とふたりぼっちになる作業です。

身体動作と脳の話だと、ベンジャミン・リベットが発見した準備電位なんか想起しますが、〈わたし〉は脳に局在しているわけではありません。首がもげたらひとは死にます。もっといえば、わたしが意志し意識できることはわたしの中にだけ存するわけでもないと思う。地球がなくなったらひとは死にます。もちろん、純粋に科学的な話からは飛躍をしています。わたしの個人的な自己認識の話です。

わたしがいま生きている実体験として、わたしの生体や認識を可能にしてくれているものは、脳だけじゃないし、一個の身体だけでも、わたしだけでもない。わたしから見える環世界のすべてがわたしの意識をかたちづくっている。そのうえでわたしの意志的な決定が日々なされているのです。早い話が環境との相互作用として自己がある。では、自己はどこまで自己なのか。他者はどこまで?わかんない。わたしのことばがあなたのことばであっても、わたしはかまわないと思う。

環境の初期設定は動きません。わたしが生まれたときすでに、この土地の環境は出来上がっていました。時すでにお寿司。日本語ということばが話され、日本という国のあらゆる制度設計も成され、わたしのまわりにはひとがすでにたくさんいて、生活があり、遥かな過去の時代から社会があった。すでに長い歴史があった。

とおいとおい過去から連綿とつづいてきた時間の途中で、わたしは生み落とされました。すでに出来上がっていた歴史の全体、地球環境の全体は確固として動かない。そこへ放り出された。

でも無力じゃない。わたしはこの世界をことばという容器に写し取って、部分的に切り出すことができます。絵が描けるひとなら絵でも、音楽が好きなら音でも、部分的な個人から見える「この世界の写し」を自由に扱うことは可能です。その写し方の表現は無数にあります。そして、そうやって部分的に裁断してしまえば、いくらでも組み替えることが可能になるんです。カスタマイズできる。

生まれてからすでにあった確固たるこの世界を、絶えず部分として写し替えてバラバラに切り出し、表現として自由に組み換え、出力することによって人間は、所与の自然や所与の社会にすこしずつ変化を引き起こしてきました。世界から切り取ったことばを身体に移し/写して、わたし自身をその場に提出すること。この世界におけるバラバラの、部分であるひとりとして、わたしを切り出すこと。わたし自体が、この世界の写しなんです。

ことばと身体のあいだには、だれでも多少なりともラグがあると思います。どちらが前でも後ろでも距離がある。その前段もあります。「思う」から「言う」までの距離。具体的な行動までにはいかない、ことばのアウトプットに至るまでの距離もある。

生まれる順番としては言語よりも身体がまずあって、以下のようなイメージでわたしは生きています。書きながら思いましたが、ことばはさいごになることが多いかな。

身体的な実存

環境から五感で得るフィードバック

身体化(行動)

われ思う!

言語化してまとめる

みたいな感じみたいな。言語化が身体化より先になることもあります。でもたいてい、行動のあとで、われ思う。あれはこうだったのかーとか、こうかもしれないなーとか。しかし、じっさいは、はっきりとした順番なんかありません。ことばも、からだも、思考も、現実はもっと並列的に絡み合っている。言語化に身体動作は不可欠だし、線的なわかりやすい因果なんかなくて、ランダムに生起しているものかもしれない。便宜的に構図をつくって仮に説明を試みているだけです。

これは、わたしという生体のふるまいの機序をことばに写そうという、至極個人的な試み。「写し」は自由でいいなーと思う。写せないものは、そこから動かせない。それを「ホンモノ」とか「真実」とかいうのかもしれないけれど、そこにいなきゃ使えない、見られない、写せないんじゃ、つまんないよ。軽々しく移動できない、ひとつだけなんて、一回限りなんて、そんなの、こわい。

わたしはプレッシャーに弱いから。「本番」などと言われると、 気張って摩耗する。考えが狭くなる。楽にいこう。ぜんぶ「写し」。ニセモノだから、二の句が告げる。すべてのことばが即実現する真実ならば、触れるものすべてが黄金に変わるよう願ったミダース王みたいに、それによって破滅してしまうだろう。

「ホンモノ」とは誇示的な私有の論理で、替えもきかない。それを声高に言うひとはこわくて、近寄りがたい。でも「ほんとう」とか「真の」とか、わたしもよく言う。いっぽうで「写し」というニセモノの平板さが好きでもある。内容なんかない。

ことばとは、完璧にはいかない、つねに欠けたる道具だから、おなじ欠けたる人間であるわたしを、欠けたるものとして換気し、記述できる。書くことは、欠落に身を捧げること。ふたりぼっちの、欠落に。


6月2日(土)


たとえば未来が すでにあるとして
だけど僕は あがき進んでゆくのだろう
時は人をなじって時にふりまわすから
すべて 笑い話になればいいな “Oldies”と


PUNPEEのアルバムを聴きながら高田馬場、早稲田松竹へ。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エンドレス・ポエトリー』を観ました。二本立てで『リアリティのダンス』もやっていたけれど、観なかった。映画の二本立てって、いまのわたしにはきつい……。映画は1日1本が限界です。

美術展とかギャラリーとかも、休日にめぐりまくるひとがいますが、わたしはそんなことしたら非常に頭の中がつかれるし、ぜんぶ忘れてとりこぼしてしまう。器用じゃないので、ひとつひとつ考えたい。日にひとつだけ、手に取りたい。多ければいいわけじゃない。少なければいいわけでもない。じぶんに負荷なく、ちょうどよければいい。

帰りに『エンドレス・ポエトリー』のパンフレットを買う。電車内で読む。ここに載っている、岡村靖幸がホドロフスキーと会って直接かけてくれたということばが、すべてなんじゃないかって、思いました。ホドロフスキーはいま、89歳。


私は、今、老人だが、6歳の戸惑ってる少年、18歳の怖いもの知らずの青年、30歳の分別がつき世界や映画や恋に生きた中年、50歳くらいの生きることに戸惑いを覚えたり死の不安を認識した初老。それらはすべて過ぎ去ったことではなく僕の身体の中で僕と共に今もいるんだ。


世事に流されず、こういう私的な内面のことを俯瞰してちゃんと語ってくれる先達がいると、うれしい。その通り、年寄りが年寄りとしてだけ生きているわけがないんだよ!!わたしだって、おなじです。

わたしはいつも家にいる祖母を見ていて、「お年寄りだなー」と思えば「少女がいる」と思うときもある。「子育てに奮闘するお母さん」のときもあれば、「孫を愛でるおばあちゃん」になるときもある。亡くなった祖父の名前を口にするときは、新婚のお嫁さん。いやな姑のときもあれば、命に戸惑う幼年期もまだ過ぎ去ってはいない。なにも褪せてはいないのだ。これがリアルだと思う。だって、生きてるんだよ。

『エンドレス・ポエトリー』は、『リアリティのダンス』からつづくホドロフスキーの自伝的な映画。全5部作にしたい、とパンフレットでは述べていた。彼にとって撮りつづけることは、生きつづけること。それこそ終わりのない詩学。

「自伝」といっても、懐古するように過ぎ去ったときを語っているわけではない。若きアレハンドロと、老いたアレハンドロがときに居並ぶ。過去ではなく、現在のリアルであり、ファンタジーを生きている。

始まったばかりのシークエンスで、じぶんの店で盗みを働いた泥棒を蹴る父に「お前も蹴るんだ!」と指示され、「できない」と抵抗を示していたやさしいこども(と言いつつ激しく蹴っていた)が、青年期になったラストでは港でその父を倒し、なんのためらいもなく倒れた父を蹴りつける。しかしそこで現在の老年アレハンドロが現れて、「もう父とは二度と会えなくなる」と告げ、父を抱きとめることをうながす。そうやってアレハンドロ・ホドロフスキーは、過去という“いま”を生き直す。

こども時代、地震に見舞われる場面。おびえるアレハンドロに「笑え!」と言った父、ハイメ。年月が経ち、青年期に道化師になって大勢のお客さんの前で笑いながら友人への裏切りを告白するアレハンドロ。ここには「笑え!」というこども時代の父の声が響いてはいなかったか。「何もくれないことで、あなたはすべてをくれた」とさいごにアレハンドロは言う。「笑い」とは虚ろなものだった。空無。笑っているときひとは空虚で、現実から遊離した軽みを湛えていて、だから笑いが、わたしは好き。

父を抱きしめ、青年アレハンドロは海を渡る。まだつづきを残して映画は終わります。完結しない。たぶんいつか5部作すべてを撮り終えたとしても、まだつづく。あるいは、たとえ途中で頓挫したとしても、映画は終わらない。つづきがある。いつまでも。その容赦のなさが人生であり、詩なのだ。

「こうなったら終わりだ」と、いくらてめえで線を引いても、きれいに終わらせてはもらえない。なんだかんだ生きちゃって。大団円なんか望むべくもない。手厳しいね。この日にわたしが着ていたTシャツには「Take it easy」の文字があった。「手厳しい」と発音が似ている(それだけ)。

たまに出てくる黒子が気になりました。リアルとファンタジー、どちらともつかないような部外者による細かな手助けがある。あの映画における、黒子の位置付けとはなんだろう。まだよくわからない。

行為とことば、について書いたけれど、『エンドレス・ポエトリー』は行為がことばだったと思う。歩くことや、哀しむこと、笑うこと、生きることそのものが詩だ、ということ。ことばと身体を切り分けずに、ことばが身体だった。そんな映画、でした。一篇の詩も書かないうちから「詩人だ」と名乗る。「THINKからACTION」ではなく「ACTIONからACTION」。それはイコール「THINKからTHINK」なのでした。

すなわち「THNIK=ACTION」。
そこに時差はない。

詩を書く、ではなく、詩を生きること。生きることが同時に詩であること。『エンドレス・ポエトリー』は過去も未来も等価にした、どうにでもなる“いま”というホドロフスキーからのプレゼント。“いま”とは、はじめての時間のこと。生きるのはたぶん、だれでもはじめてでしょう?


三万年前にショーベ洞窟に残された人類最古の壁画が、どれくらい切実さに満ちているか、さいわいにして僕たちは知っている。ほんものの画家とは、そのとき自分の向かっている画布に、たえず、「はじめて」を見いだしつづけられる、見いだしつづけてしまうひとのことにちがいない。そこでは、絵画、音楽、おどり、小説など、外面上の区別はほとんど関係がない。


『いしいしんじの本』(白水社)より。ショーベ洞窟の素朴な壁画も、2016年に公開された極彩色の映画も「はじめて」の現在を語るという意味では等価の作品。人類の営為として残るもの。生きつづけている自由のかたちとして。


詩は自由だから良い。自由が好きだ。

「欲しいのは自由だ この場所でずっと」

ビートにもライムにも拘束されずに空を飛ぶ言葉の群れ。

キャンパスさえ無いところから絵を描くのだ。

ラッパーが必死にライムを考えている横で

一生懸命リリックを暗記している隣で

詩人の言葉はやすやすと空を飛ぶ。

ごめんね。


by 不可思議譚 「言葉がなければ可能性はない」


詩の時間は終わることがない。

歌ってる場合ですよ。
どんな時代だってこの世にひとがいる限り。

ごきげんよう。


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