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日記550


書店の在庫検索機を使おうとしたら、だれかの検索した画面がそのままになっていました。画面には『うつくしい自分になる本』と。著者は服部みれい、というひと。「なれるよ、がんばれ」と思いました。だれだか知んないけど、あなたならなれます。本の内容も知らないけれど。中原昌也の『サクセスの秘密』みたいな皮肉めいたものだったらすみません。がんばらなくてもよいです。ボリス・ヴィアンの『北京の秋』みたいな内容とまるで関係のないタイトルである可能性も否めない。それだとがんばりようがない。

しかし「ベタにそういう本」である可能性がいちばん高いと思う。『うつくしい自分になる本』を手にするひとは、「いまのじぶんはうつくしくない」とお思いなのでしょうか。だとしたら「生きろ、そなたはうつくしい」と言いたくなります。それを聞いたあなたは本を片手に「人間の指図は受けぬ!」と言い返してほしい。「その喉を切り裂いて二度と無駄口たたけぬようにしてやる!」と言われたい。

それか単に、この著者のファンなのかな。いずれにせよ、この本であなたがうつくしくなれるのなら、よいのだけれど。わたしはあなたのうつくしさを応援しています。「まだ言うか!人間の指図は受けぬ!」という幻聴をこだまさせつつ。しまいには米良美一の歌まで流れてくる始末でも。





よくお酒を呑んでよく寝ていたら体重が61kgに増えました(またヨドバシカメラで計測)。むかしから「呑む子は育つ」といいますね。増減が激しい。でも60kgの目標は達成。これをキープしつづければ健康長寿。5世紀くらい生きられるだろう。5世紀もなにしてろってんだ。ひますぎるなー。うれしい。でもあんがい、すぐなんだろうな。

年末に「はやいねー」とまいとし言うみたいに。「もう300歳だよー」と言うと、400歳くらいの先輩に「300代はもっとあっという間だよ~」などと、したり顔で言われるんだろう。いくつになっても同じだ。ひとが100万年くらい生きるとすれば、「1万年と2千年前から愛してる」とか、「8千年過ぎたころからもっと恋しくなった」とか、そういう愛の告白が流行るにちがいない。中には「1億と2千年あとも愛してる」というひとも出てくるだろうが、それはちょっと欲張り過ぎです。そんなに愛さなくともよいでしょう。よほどのヒマ人か。ヒマ過ぎてイマジンですか。





みんなが認めるひと、よりも、みんなを認めるひと、のほうが偉そうでいいと思う。気の持ちようとして。「認めてやるよ!」みたいな。太鼓判。「タモリ、お前の番組に出てやるよ!」みたいな。大橋巨泉のような感覚でいられる。

認められるよりも、認めたい。「タモリを認めてやる」くらいの尊大さを、密かにもちたい。なにさまだ!と思われるから、密かにね。口外しない。これはKinkikidsが歌った境地とおなじです。愛されるよりも愛したいマジで。タモリさんくらいではまだ小さいかもしれない。たとえば、ゴータマ・ブッダを認めてやる、くらいの。ようブッダ、お前の教えを聞いてやるよ。くらいの。仏教を学んでやっから、ありがたく思え。名付けて、巨泉感覚。これ前も書いた。既視感。

スチャダラパーの懐かしいアルバムをSpotifyで聴いていました。93年に出た『WILD FANCY ALLIANCE』 。これに入っている「後者 -THE LATTER-」に「みんなが認める人/みんなを認める人」というリリックがあります。Kinkikidsの元ネタです(うそ)。この曲のリリックはひとことで言うと、語感を合わせた対比の羅列。「竹を割ったような性格/竹を割るような生活」「使える奴/つっかえる奴」など。見事だと思う。いちばんのパンチラインはやはり、さいごです。


今を生きる人
ヒマを生きる人


曲のタイトルはそう、「後者」。このアルバムをわたしが手にとったのは、2000年くらい。衝撃的なおもしろさでした。それ以来、こんなゆるい姿勢がわたしの人生の基調となった気もします。むろん、気のせいです。だいたいのことは「気のせい」でできていると思う。それでいい。





今週はなんやかんやあって疲れそうなのであまり更新しません。
たぶん。


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