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日記556


アゲハチョウの翅です。

こういう死骸をわざわざ写真に撮って「きれいだね」なんつって愛でていると、おかしな人間になるのだろうか。ふつうにきれいだと思う。黒い縁どりに淡い青・緑。インスタ映えだと思う。ふつうだと思う。ふつうがよかった。

幼稚園だったか小学生低学年だったかのとき、七夕の短冊に将来の夢として「ふつうのおとうさん」と書いた。この話はだいぶ前の日記に書いたけど、年に数回は思い出す。わたしはわたしを、ふつうだと思っていたけれど、もう、そうではないみたい。ほんとうは、とっくのむかしから。


「自分のありきたりの正常性があまりにはっきりしてて、なんとかしてそこから逃れようとする連中。そういう奴らは何かと派手に暴れては、そのときどきの流行に乗って、自分のオリジナリティを主張する。脳味噌やら才能やら多数派に無関心だって事やらを声高に宣言して、必死で自分の平凡さを否定しようとする。そう言うのがアーティストとかパフォーマーとか、冒険家とか快楽主義者とかって連中だ。
 それから、自分自身の奇妙さを感じとって、それにおびえちまう奴もいる。そいつらは正常性を求める。他人から正常と見えない度合いに、あるいは逸脱がもう存在しないと自分にいい聞かせなきゃならない度合いに応じて、そいつらの苦痛は高まる。そう言うのが本当のフリークだ。ほとんどいつも、ごく当たり前で、退屈にしか見えない奴らが」 


キャサリン・ダンの『異形の愛』より。多かれ少なかれ、「自分自身の奇妙さ」を感じる瞬間は、だれにでもあるのではないか、と思っていた。でもそんなこと、ないひとのほうが、多いような気もするきょうこの頃です。疑いをさしはさまないひと。わたしは、わたし以外のものの代弁者になるすべを知らない。わたしひとりの正しさや、わたしひとりのふつうしか、わからない。

わたしにとって、社会があることは自明ではない。仕事も、家族も、食べ物も、自分の命でさえ自明なものではない。太陽がのぼり朝がくることも、やがて夜がきて街に闇が降ることも、まったく自明ではなくて、たまに怖い。すべてがバラバラなのだけれど、それを必死になって縫合しようと、来る日も来る日も繕っている。

こんな話が伝わるひとはいなくて、居場所もないから、ネットに文章を書いている。いまこのとき、ひとりだなあと思う。それはうれしいことであり、かなしいことでもあり、ごくごくあたりまえのことでもある。ここはひとりで、広くていいなーと思う。もしかしたら死後も世界があるとすれば、こんな感じかな。気にすることは、ほとんどない。繕うことも、あんまりない。たまにある。すこしはある。うそも、ほんとも。すこしずつある。 

他人が「これはこうだ」と言って判断をするとき、その発言の前提となっている暗黙の支柱が、たぶん何本もあって、それがわたしには見えなくて、よくわからないことが多いです。意味がわからない判断に従うことは、ためらいをおぼえる。意味なんか詰めてもわかりっこないんだけど。あと、ひとを値踏みするような物言いもきらいですが、値踏みされるものは仕様がない。していい。そうするひとには、わたしもさせてもらう。世の中は陰に陽に経済で動いている。


6月18日(月)


また病院へ行きました。耳鼻咽喉科。
前に行ったのは内科でした。

待合室にて、診察を受けるこどもの「いたーいぎゃーんやめてー」という阿鼻叫喚の泣声を聞いて「こどもは大袈裟だなー。うふふふ」なんて思っておりました。「よーしがんばったねー」とちゃんとほめる先生の声も聞こえ、ほっこり。

さて、わたしの名前が呼ばれて診察。「声が嗄れてしまって、喉が痛いのです」とカスカスのダミ声で症状を伝えると「ちょっと上むいてください、カメラ入れますねー」と鼻にカメラを突っ込まれ、泣いた。

うぐうぐ……となる。苦しいのなんの。大袈裟だなんて思って悪かった。前のこどもが何をされていたのか知らないけれど、ごめん。これはつらい。でもおとなは大声で泣くことはしないんだ。みっともないからな。つらいときは、さめざめと泣く。声はあげず、ひたすら泣くのみ。おとなの泣きわめく声をちゃんと聞き届けてくれる人間なんか、いないから。

「右側の画面みえますかー」と先生が言うので反射的に「むり」とシンプルなことばが出ました。乱暴なことばづかいですが、最短距離で伝えるにはこれしかなかったのです。「そうですよね」と先生。じゃあきくなよ……。

鼻の奥のほうの出血がひどいみたいで、「くすりを塗りますね」ということでカメラと、もう1本なんか鼻に突っ込まれて、ふたたび泣く。痛いし、苦しいし、ほんと耐え難かった。それでも耐えて、めちゃくちゃがんばったよ。しかし、先生はほめてくれない。「がんばったねーよしよーし」と、ひとことくらい欲しいものです。言っとくけど、わたしにおとなのプライドなんか、ないから。おとなじゃないから。こども扱いしてよ。犬扱いでもいい。よしよししてくれ。おとなじゃないもんセブンティーン。ややこしいことがほんとは好きでしょ?

ということで。

1週間ほど、あまりしゃべらないほうがいいそうです。じっさい、痛みと咳でそんなにしゃべっていられない。元来、無口な人間ですから1週間だれとも話さないなんて余裕です。余裕で塞ぎ込む。今週、平日にあった予定はすべてキャンセル。すみません。土日あたりは、しゃべれそうかな……。どうだろう。

安静にしておきます。
くすりをまた、たくさんもらう。
おだいじに。と薬剤師さんに言われ、帰宅。




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