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日記561


ものまね芸人のコロッケさんによる持ちネタ「五木ロボットひろし」をテレビで見ながら祖母がひとこと。「これ、健康にいいかもしんないよ」。そうそう、健康体操としてDVDでもつくればいいんだよね。TRFのダンスDVDも売れたから、五木ロボットひろし体操も流行るよ。いまどきの発想だね。

6月23日(土)

また就活アウトロー採用の集いに行ってきました。これにて、わたしはもうアウトローに関わることはないと思います。いや、なにがあるかわからないけれど。きょうをもって、たぶんもう二度と会わないひとは多い。個人的にメールアドレスを交換した友人へだけは、気まぐれに嫌がらせのようなキチガイ沙汰のメールを送りつけます。

どんなに気が違っていても、通報はしないでください。わたしは正気ですから。おわかりですよね。わたしには理性しかありませんから。いかに気が狂った文面であれ、理性的に書いています(そっちのほうが怖い)。人畜無害です。警察を呼ばれても「むしゃくしゃしてやった」と供述するだけです。あるいは「むしゃむしゃ食ってやった」と述べます。わたしはどんなときでも冷静です。だれだキチガイ呼ばわりした奴は。

きょうのアウトローの集まりは、途中で帰りました。他意はありません。純粋に「帰りたいから」。ピュアセレクトマヨネーズよりピュアな気持ちで、帰りたいから。ピュアモルトウイスキーよりピュアに帰宅したいだけ。ひとりで雨音につつまれながら図書館で借りた本を読みたいだけ。

わたしは人生のうえで「帰りたい」への情熱を絶やしたことはありません。いつなんどきも、すきあらば帰宅。特に就活アウトローは、それが許される場なのです。来る者は拒まず、去る者は追わず、というか。止まり木のような在り方。

逆に言うと、無理して居つづけるのはちがう。そういう居心地の悪い集まりではない。居たいひとが、居たいように居ればいい。なんら強制はされない。帰りたければ帰っていい。そこがアウトローのいいところです。たぶんね。

就活アウトローのために始めたfacebookアカウントも、数日前に消しました。これも他意はありません。facebookの仕様自体がわたしに合わないからです。人間の顔と名前が画面のそこらじゅうへ、ひっきりなしに出入りするだけでも耐え難い。テレビの視聴中に感じる痒みと似ている。顔と、目に入る名前の生々しさ。

他のSNSは、ほとんどの方が、どうかしているアイコンのどうかしている名前でどうかしている内容を発信しているから、好きです。かくいうわたしは実名でどうかしている発信をしているわけですが……。これは真実をお伝えするための、実名報道なのです。わたしなりのジャーナリズムです。世界を混乱させるフェイクニュースへのアンチテーゼです。

まーなんでもいいのだけど、とにかくわたしにとってfacebookのあのつくりはつらい。ただ、主に外山恒一さんの発信を見るだけのアカウントは別にあります。えんえん外山恒一さんと千坂恭二さんの投稿。

文学系のひとも数人フォローしていたけれど、さいきん見ない。その中のおひとりに渡部直己がいた。セクハラが発覚した早稲田大学の教授。そんなふうにはみえないでしょうが、一時期わたしはこのひとの熱心な読者でしたのでとても残念です。いや、もっと強くはっきりと、胸糞が悪い。気持ちが悪い。

素朴に、素朴に、どこまでも素朴に思うのですが、セクハラってなんですんの。アホ丸出しじゃないか。理解不能である。卑劣にして低劣なことを。これはわたしが性欲の薄い人間だからそう思うのだろう。

世の中のすべての性関係が、しょうじき、よくわかっていない。ふしぎだ。ふしぎ。ほんとうに、ふしぎ。「恋人がいる」なんて、胸を張って言えないんだ。なんて呼んだらいいんだろう。「不思議のひと触れ」とでも言おうか。シオドア・スタージョンよろしく。

食欲と性欲が薄くて、睡眠欲が肥大しているわたしです。ねむいねむいねたい。ジュノ・ディアスなんかもセクハラうんぬんが言われていたっけ。ちなみにわたしは、読んだ本の内容はすべて例外なくまたたく間に忘れます。残るのはメモだけ。メモらなければなんにも残りません。

話をもどすと、きょうの集まりでは「あなたにとって就活アウトローとは?」をさいしょに適当な数人とお話する時間があって、わたしは「青春でしたね」みたいなことを言いました。ふたたび青春を味わいたいくすぶっている20代の方は、就活アウトロー採用へ参加することをおすすめします。ついでに就活もできます。

アウトロー採用に、わたしなりのコピーをつけるとするなら、「青春の止まり木」。いかん、これはちょっと綺麗に過ぎるぞ。じゃあ「青春の最後っ屁」くらいの感じです。そうそう。アウトロー採用は、青春の最後っ屁です。合宿をして、徹夜で呑んだり、語り合ったり。どんな蹉跌も恥部もさらけだして。みんな、若くて。生きていて。泣いていたひとがいて、笑っていたひともいて。へとへとになって。振り切れて。擦り切れて。たのしくて。

「就活がたのしいことなんか、ないからね」と言われて、そうだなー、と納得。わたしの就職は、進路は、まだ確たるところにはない。ぶっちゃけいうと、いま一度、学びたい思いが強い。文学部にいきたかった。「つぶしがきかない」などと高校の担任に言われて、経済学部に入って、なんだかんだあって、中退した。過去をやりなおしたい。意志があったのに、すべて見て見ぬふりをした、過去のわたしの、弱くて、かすれたちいさな意志に謝りを入れて、また手を差し出したい。

でもね、そうそう、人生は葛藤に次ぐ葛藤。そしてまた葛藤。はいカット。掛け声をかけても演技は終わらない。カメラはまだ回っている。寝ているあいだも。そろそろ止めてほしいのに。編集して適当にまとめて終わらせてくれ。完成しないな。あしたもあるらしい。つづきがあるらしい。でも、あしたって、いつくるんだろう?いつもきょう。きょうもきょうで、あしたは、どっちだ。



コメント

miyaji さんのコメント…
ポクはnagata氏がYAHOOニュース!に乗った暁には、「アウトロー就活に参加して以降、彼は大学生を目指していたんです。しかし、まさか、ロー人生からアウトロー人生になってしまうなんて。浪人生だけにネ。」としれっと口述します。そして、過去のnagata氏の犯罪に繋がったであろう記事やメール文を恣意的に選び出して、「彼はキチガイなことをしましたが、理性的な判断を持って、実行した確信犯です。裁判官。一生満員電車の刑を」と個に最適化された刑罰を推奨します。

果てはて。それでは、nagata氏は一体何の罪状で捕まったのでしょうか?
存在痴漢罪。坊主に帽子って・・・もう、存在がいやらしいよ!あんたは!!たわけもの!!!

By the way。アウトロー採用。青春の最後っ屁という締め括り方は実に的を得てますネ。
僕は平均化された意見であろう、多様性に触れて自由になった、みたいなバカの一つ覚えの答えをこれまたカバみたいに大口開けて人々に振り撒いていたので、財布のカワにされたい気分になったヨ。あ~い。
確かに、今思い返すと、割と青春して来た奴はそのまますんなり就活できるとするなら、あの場は、青春の埋め合わせの場だったのかもしれませんネ。何か満たれない日常を、何か満たされない人々同士で、何か満たしてみようの会。結果的に言うと、この渇きは満たされることはないんだなって気づくのはまた別のハナシ。

最後に、人生は葛藤に次ぐ葛藤というnagata氏の締めくくりを聞いて、丁度、初代ポケモン映画『ミュウツーの逆襲』のエンディング曲、小林幸子唄の『風といっしょに』が脳内に流れて来ました。https://www.youtube.com/watch?v=dN-JcKiO_Ak

知ってましたか。『ミュウツーの逆襲』は脚本家の首藤剛志が意図的に「自分とは何か?」というテーマを組み込んだ哲学的映画なのです。実際に、作中では、伝説のポケモンミュウ(神)から遺伝子操作によって作られた非ポケモンミュウツー(人)は「ここはどこ?わたしはだれ?」と実存的な問いを繰り返します。結果的に、サトシが根拠なんて考えても仕方ねえかと諭し、みなとみらいで大量発生した電気ネズミのピカチュウが「ピカ」と訳の分からない名前から安易に直輸入された鳴き声で答えて幕を閉じます。知ってましたか?あのピカピカ野郎。最近のゲームだと二足歩行で人語を喋るようになってるんですよ?中身オッサンで。とうとう、みなとみらいのピカチュウの一匹が開き直って前に出てきた感じの売り出し方するようになったんです。
ちなみに、首藤剛志の『ミュウツーの逆襲』のコラムがこれ。http://www.style.fm/as/05_column/shudo168.shtml

ということで、暇なときは駄文を書き連ね合ったり、ネパール料理で涙を流しながら飲んだり、ライブで小便ぶっかけられに行きましょう。

・・・はい、カット。nagata氏が捕まったから、この映画も撤収で・・・え?
nagata_tetsurou さんの投稿…
miyajiくん、長いコメントをありがとう。まずは感謝を。そして同じ部分にクレームを。長いよ!!!といっても、すべてのツッコミは第三者への目配せであって、わたしの本意ではありません。「なんでもあり」が信条ですから。

人生は無制限一本勝負のデスマッチです。
でも視野は広く、良識を参照しながらツッコミの平準化を加えつつ。

もうひとつ、細かなツッコミです。「YAHOOニュース!」ではなく「Yahoo!ニュース」です。でもこういうところは、miyajiくんのチャームポイントですから、ぜひ伸ばしていきましょう。ここを伸ばせば絶対にモテるし、就活にも役立ちます。

「ヤホーニョ!ウスッ!」とか「ヤポンカ・ニウス!」とか書いてもチャーミングです。ある程度までは崩しても、気合でわかってもらえます。伝わらない人間は、次々と宇宙ロケットで夜空の向こうへ飛ばし、お星さまにしてしまえば、話のわかる人間しか地球に残りませんから大丈夫。満天の星空のもと、新たなユートピアの完成です。

えっと、そうです。わたしは、存在が痴漢です。つまり裏を返せば、それだけセクシーな男性だということですね。お前は俺を狂わせるセクシーダイナマイトなのだ、ということですね。エロテロリストなのだ、と。インリン・オブ・ジョイトイと同一人物なのだ、と。

照れのせいか、まっすぐな想いは記されておりませんが、わたしへの恋心の吐露と読みました。うん。初めて会ったときから、わかってた。ありがとう。でも、あの、ごめん、わたし、いちおうお付き合いしている方がいるので、ほんとごめんなさい。ともだちでいてね。

そういえばドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの書物にもありましたね。『存在と痴漢』というタイトル。この本によれば「未来が過去を決定し、現在を生成する」そうです。時間は、未来から過去へと流れます。わかりますか。要するに、さっさと俺の日めくりカレンダーを買え。あ~い。

さいきんのピカチュウ、「ピカ」以外のことばも操るのですか。テクノロジーの進化はおそろしいです。人工知能が人間の知性を超えるというシンギュラリティ、きてるじゃないですか。こわいわ。

ミュウツーについてもそうですが、ポケモンの人権問題を真剣に考えなければいけません。それぞれ独立した人格を備えていそうだから。「ゲットだぜ!」というサトシのセリフは、ポケモンを動物とみなしていて差別的です。ポケモンの尊厳を傷つけます。これはヘイトクライムに当たります。

アウトローについて。「青春の埋め合わせ」ということばには、ハッとしました。それがすんなりと埋まるような人間は、そもそも来そうにない場ですものね。来たとしても、説明会まででしょう。

わたしは20代の最後に、欠けていたピースがひとつ埋まった気がします。それだけでも価値があった。たとえまた刹那に欠落しようとも。埋まらないものだらけの人生だけど、一瞬でも満たされれば、それを糧に生きていける。

もしわたしがなにかで逮捕されても、わたしの人生はつづきます。死なない限り。容赦がないんですよね、生きている時間って。ほんとに。この身体は、いつまでも清算できない借財です。

人生を映画に見立てるのなら、お葬式用に、エンドロールをつくりたい。
PUNPEEの曲でもつけて、小粋に。洒落て。ふふふ。


“エンドロールなら 5分あるから 涙 乾かしな
ばれたら男らしくないぜ!
このあと手つないで帰るんだ Modern Times”


なんつって。