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日記569


ずっとこころがけていること。コミュニケーションについて。とくにお年寄りとの。じぶんの中では、あたりまえ過ぎてあまり言わなかったけれど、ことしに入って身近な友人に「こういう側面もあるかも」と伝えたら、妙に関心を示されたから、あたりまえではないのかもしれない。

祖母との会話における速度の重要さです。まずは内容ではなく、リズム。最初に念頭に置くべきは話の意味ではない。音の形なのです。音に乗せること、乗ること。「耳が遠い」ひとへ向けて声を発するとき、単に音量をあげれば聞こえるわけではまったくない、ということです。会話の構成要素はボリュームと意味内容だけではありません。

テレビの音量をいくらあげても「音は聞こえるけど、さっぱり内容がわからない」と祖母は訴えます。音と内容が乖離している。それはきっと、テレビの一方的なリズムの速度感がつかめないからです。ことばのリズムをつかむ能力も加齢によって減退している。

重要なのは、お互いに「聞こえ」のよいテンポ感をつかむこと。ゆっくりと通じ合えるリズムをさぐりさぐり、つくり出す。そこのツボさえ押さえれば、ボリュームはそこそこでも通じるのです。意味としてのことば、ではない、リズムとしてのことばに注意する。

人間、だんだんそうなってくるのではないか。ふつうにしゃべるときでも、そのひとの声による音楽が、ことばの意味を解釈するよりも先に通じている。年をとると、そこが際立ってくる。意味は、音に乗ってあとからついてくるもの。赤ん坊の脳味噌もおそらく、ことばの学習は意味ではなく、まず音楽的なリズムから入るのかもしれない(無根拠な仮説)。

口頭の会話も音にはちがいなく、この世の音という音には、時間の流れに乗ったリズムが生じます。ひとそれぞれのキーもメロディもある。そこのチューニングを会話の相手と合わせられれば、話に慣性がつき、ごく自然に音声が流れ出す。きっと、内容だけでは、ないよう。理屈はひっこめて、まずは音として考える。

といっても感覚的すぎてなんの参考にもならない。
コミュニケーションは、詰まるところ感覚なのです。

焦れてはいけないと、これはだれと会話をするときにも思う。空白がリズムをつくるのだから。それにわたしは焦ると、余計なことをしゃべってしまいやすい。リズムが狂うと失言してしまう。ははは。相手のテンポと、じぶんのテンポも守りつつ、腰を据えてステップを打つ。音を外さないように。むずかしい。コミュニケーションって。

「コミュニケーション能力」なるものが存在するのだとすれば、その基本は、わーわーしゃべくる能力ではないと思う。「伝えること」と「伝わったこと」の距離・齟齬を絶えず確認しながら、音に修正を加えてどこまでも、リズムを打ちつづけてゆく能力です。わめくだけなら、こどもでもできる。単純にはいかない。

繰り返すようだけれど、まずは音のリズムに乗せる、乗る、そこから始まる気がします。それから次に、意味の理解。的確な理解力をもって、ひとことふたことでも相槌を打てば、じぶんはさほど話さなくとも「通じる」感覚をもってもらえるみたいです。経験上。

コミュニケーション能力は、あるとすれば単に「しゃべる能力」ではない。これだけは確かです。わたしなりに極私的な定義をするのなら、「認める能力」なのではないかと思う。わたしが話しやすいと思うひとは、「認める能力」がすぐれている。まずは、みずからを認めるところから。

沈黙も、言い淀みも、まちがいも、忘却も、まるごと認める。踏み外した一音でも、あいだに置いておく空白がある。「認める」とは、もはや、意味でも音でもないだろう。会話以前のレベルで、そこにひとがいることを認める。じぶんがいることを認める。ことば以前。わたしはそれをしたいと思う。究極的には話さなくても大丈夫なのです(笑)。

ひとと話をするとき、わたしは質問してばかりいて、じぶんのことは語らない傾向にあります。「こちらばかり話しているから、次はあなたが話をして」とじぶんに振られても、いつの間にか相手のターンにひっくり返している。せこい。

相手に話すよう、無意識に、それとなく仕向けてしまう。オープンでいるようで、閉じている。こんだけいろいろとアウトプットしていてもなお。じぶんの話は、苦手です。このブログで書くと、「どの口が言う!」って感じだけど。直接的な「じぶんの話」が、じつはすくないのよ、このブログ。たぶん。わかんないけど。

たいていふざけて、かわしてばかりいる。いや、かわしてもいない。「ふざけ」をとっぱらったって、なんにもない。ふざけるしかないのです。端的に、ふざけた野郎。それが本質。ふざけた野郎でしかないんです。のらりくらり。ときには適度にゆっくり。よよよ、横浜の外れもん、次を目指してOn&On。なんつって。サイプレス上野とロベルト吉野『BayDream ~from課外授業~』のリリックです。産湯ですでにずれた価値観!

いちばん好きなのは、やはりここ。




汚れること
だけが自慢の仲間 
でも
大丈夫
すぐ側は墓場




詩っぽく改行してみる。ははは。





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