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日記582


雨の鎌倉。

もう10日以上も前か、鎌倉で撮った写真です。この日なぜかノリノリで100枚以上は撮っていたから、しばらくは「困ったら鎌倉」という感じで貼り付けるのでしょう。半分以上ボツだけれども。とりあえず鎌倉。過去の時間の残骸。

書いておかなければならないこと。
あったような、なかったような。


7月23日(月)


街にある裸の少年の銅像を指さしながら「ちんちん!ちんちん!」とちいさな女の子が叫んでいました。「やめといたれや……」と思いました。おちんちんは見せもんやないんやで。ボインがお父ちゃんのもんとちがうのんとおんなじやで。お願いですから、それ以上の「おちんちん!」は、やめといたれ……。

幼い子供は、暑さのせいでよく気が動転しています。こどもの自由さたるや。ハレルヤ。これは、忘れないうちに、是が非でも書き留めておかなくてはならない歴史の細部です。いま書かなければ、永遠に喪われてしまうたぐいの。

忘却される。それが自然といえば自然なのですが、わたしにとって日記とはひとつの抵抗のかたちでもあります。7月、暑い夏の日、街なかで「ちんちん!」と叫ぶちいさな女の子が、麦わら帽子を首にかけて跳ね回り、陽射しと、影と、ちんちんと、あそんでいた。それを見つめるお母さんのまなざしは、困り果てていた。喪われてはならない、歴史の確かなワンシーンとして、ここに記しておこう。だれかが生きていた景色。わたしが生きて見た景色。


屋上の駐車場から。

「高いところが好き」というと、即座に「バカ」ということばが連想されそうなので、こういう言い方はしません。屋上が好きです。おなじだけれど、こう言えば「バカ」にたどりつくまでには「高いところ」より2~3秒のラグがある。このディレイタイムが非常に重要なのです。「考える」ということは、すなわちディレイタイムに身を置くことです。「バカ」という単純な結論に一瞬で飛びついてしまわないこと。

しかし、考え過ぎると遅刻をしてしまいます。「遅刻魔」というのは、だから良く言えば「考える人」なのです。同じ名を冠するオーギュスト・ロダンが制作したブロンズのあいつも、めっちゃ遅刻中です。あれは、遅刻をしている人の表現なのです。あの銅像が何を考えているのかというと、つまり「やっべーもう間に合わないじゃん時間すげー過ぎてっし、でも行かないと後悔しそうだし、あー行ったら行ったで遅れてるしもうやだなーどうしよ、いっそ行かなくてもいんだけど、そうするとあとがつらいからなー、だるいなー、結局もう行くんならいますぐ行くべきなんだろうけど、それはわかるけどさー、どうしたいのかなーじぶん、いやしょうじき、しょうじきよ、行きたいか行きたくないかで言えば、それはもはや嫌だよ、行きたくはないんだけど、まだいちおう行ける時間ではあるし、あきらめるにはまだ早いというか、あきらめないのなら早く行けよっていうか、ええもう行きます、行くしかないな、行きますとも、ああでも、ちょっとその前に、ベッドにコロコロかけとこ」と、そういうことを永遠に「考える人」なのです。休むに似たりとはよく言ったものです。「考える人」も一見して休んでいる。

あるいは横文字で「ディレイタイムモンスター」と呼んでもいい。
とにかくもう、だれにも「遅刻魔」とは言わせません。

わたしの場合、よくあるのは、いろいろと考え過ぎて部屋から一歩も出たくなくなるパターンです。ディレイタイムモンスターの生息地は、一寸先は闇の世界です。外の世界があんまり真っ暗闇だから恐ろしくて……。逆にまぶしすぎることもある。街は、まぶしすぎて盲いてしまう。ついていけない。街が不活発になる真夜中の時間に救われる。これはディレイタイムモンスターの特徴です。


「時間があるうちにやっておこう」と考えていることが増えすぎて、むしろ時間がありません。だいじなのは見限ること、疲れ切ること。あるいは負けること、投げ出すこと、逃げ出すこと、疑い抜くこと、これがいちばんだいじです。寝不足になると肌が荒れます。

わかりやすい指標になっていい。
ねむる。








コメント

anna さんのコメント…
昨日、帰りが遅くなって読めなかったんですが、、今日になってここを見ると
「顔のない名前/名前のない顔」って意味深なタイトルがついてました。
どしたんだろこれ。
nagata_tetsurou さんの投稿…
細かくチェックしているようで気持ち悪いと思われるかもしれませんが、annaさんがコメントをくださる時間、だいたい決まっていますね。朝か夜。記録しているわけではなくて、なんとなく、です。そんなことないかな。

このタイトルは、由比ヶ浜海岸の流木に刻まれていたことばです。そのままもらいました。変更する前に、占い師にも相談したところ、ブログのタイトル「剛力彩芽を応援します日記」にしないと、アンタ死ぬわよ!と言われたのですが、占い師より流木を信じるタイプなのでこれにしました。

意味は、風になびくあの幼子のスカートのひだにつつまれていたと思う。探してもないのなら、もっと複雑にひだをなす東京の時間と空間のあいだへと吸い込まれて消えました。