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日記585


近い未来に自信を持とうと思う。
遠くに描いた理想への自信よりも。
いまこの瞬間よりも。
一歩だけ進める先の足場に。
縦に片足ずつ運ぶ生き物として。
歩幅のぶんだけ。踏みしめる。
この世の外ならどこへでも。

わたしの20代は、興味本位にあれこれ眺めて、それで終わったと思う。まだ20代だけれど……。見ること。ただ見ること。それだけの10年間。10代は、周りの人々が向く方向に従っているだけだった。わからなかった。なんにも見ていなかった。そのまま従っていれば、順風満帆だったのかもしれない。なぜかわからないが、ふと足下の影が気になって、長い時間、立ち止まった。そのあいだに「周りの人々」が行ってしまった。目印にしていた人々が消えた。なにも見えない。影の黒さしか。どうやらわたしはめくらになったようだと、そう感じてから、わらにもすがるような思いで「見ること」が始まった。めくらのまま。いまもまだ。

盲目と向き合うこと。
それも、「見ること」のひとつ。
沈黙と向き合うことも会話のひとつであるように。

これは譬え話です。でもじっさいの視力もそんなによくない。玉ねぎを刻むと、涙が病的に出るのだけれど、その通り病気なのか。この記事を上から読み直すと、詩みたいだと思った。「詩ではない」とも言えない。「鶏の串カツがたべたい」とは言える。近い未来に自信を持とうと思う。手に取れる範囲にお水がある。やはりお水がいちばんうまい。



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