これから一ヶ月ほど、フル主夫生活です。フル主夫です。フルシチョフです。手始めに常備菜。手際が悪いこともあるのだけれど、家事をしていると一日がみじかいなあ。祖母と、ふたりぐらし。左から、ニンジントレンコンノアマカライーノ、ナスヤイターノ、キャベツアエターノ。すこしずつ食べる。
姉に、「良い誕生日を」とLINE。サメとワニの絵文字でかこって。出産するそうです。ひよこの絵文字を末尾に置く。ついでにニワトリも置く。ダチョウも置く。フクロウも置く。サーモンとペンギンも置く。
「めでたい」とか「がんばって」とか、すなおに言えない。前向きなだけではない。めでたいだけではない。とても複雑な日。人間がひとり生まれる。この世に生まれることは、よろこばしいだけのことではない。こういう話をすると「気難しい」と笑われるけれど、わたしはどうしようもなくかなしくもある。そのうえで愛しくもある。
こんなにかなしいのに、「よろこばしい」と話を合わせないといけない。よろこぶことに罪悪感があります。初めて息をして泣き叫ぶちいさな人間を前に、よろこぶだけでいられますか。こんにちは、赤ちゃん。あなたはここにきてよかったの?だれがつれてきたの?なにをつれてきたの?どこへゆくんだろう。これから生きるんだ。いろんなことが、わからないまま。こわいよね。こわい。わかる。わたしも変わらないから。おなじように泣いている。変わらない。わからない。
妹がLINEで赤子が身体測定をされて泣き叫んでいる動画を送ってきた。それを見て泣きそうになる。なぜなのか。外に出てきたばかりなのだ。大混乱で泣いている。知覚の大混乱。空虚に放り出された孤独。かわいいとか、そういう距離を取って見る感覚にはなれない。僕は子供になる。混乱のただなかの子供。— 千葉雅也『思弁的実在論と現代について』予約開始 (@masayachiba) 2018年7月25日
この「混乱のただなかの子供」みたいだ。
わたしはいつまでも。なぜなのか。
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