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日記595



おとなの語彙にはあまりない「ボスゴリラ」。こどものワードセンスはおもしろい。なにか落書きをしようというとき「ボスゴリラ」は二十歳をこえたら出てこない。それも三連続とは恐れ入る。中学生からすでに出そうもない。男子なら卑猥な落書きをしたがるようになってしまう。「ボスゴリラ」の純真さを忘れないようにしたい。

小学生の語彙。あるいはゴリラ研究者か、ゴリラ愛好家か、ボスゴリラさま御本人の語彙だろう。本人(本ゴリラ?)だった場合はマーキングというのか。縄張りなのか。三回も書いてあるのに、勝手に入ってごめん。




こうやって写真として切り抜くと作品っぽくなる。どこぞのだれかによる指紋と丸。そして壁の傷。指紋をつけた人間と丸を書いた人間は別人だと思う。指紋のほうの痕跡は、あたらしい。これはだれの作品なのだろう。四角い写真の画角に切り抜いたひとのものだろうか。わたしは描いていないし、描くわけもない。あったものを撮った。福岡の、ダイソーの壁です。東京から、一泊だけ。




福岡空港に明太子の顔出しパネルがあります。顔を出すのもいいけれど、穴から明太子越しの風景を眺めるのもたのしいです。そちらのほうが、顔以外もいろいろと出ます。なかなかの具合につるりと光るナイスな頭頂部とか、ガタイがよくて日に焼けたおじさんとか、チケットを購入するおばさまとか。みんな明太子になあれ。




来たね、昨日の成れの果て。見たね、きょうの生まれたて。生まれて間もない赤ちゃんは妖怪みたいだと思う。もしくは試合後のボクサー。顔ボッコボコ。全体的に腫れている。ひとは腫れ物として生まれる。あたまぶよぶよ。まさしく腫れ物に触るように、慎重にあつかわなければ死ぬ。


赤ん坊は心地よく重く、同時に、ある種の軽さも発している。人間は、荷物として生まれる、と私はおもった。


いしいしんじ『熊にみえて熊じゃない』(マガジンハウス)p.96


赤ちゃんを間近で見て、まずわたしが思った感想は「この生き物ほっといたら死ぬな」でした。あたりまえだけど、なんのためらいもなくあっけなく死ぬだろう。生も死も等価で、だれの説得も聞かない。ことばを知らないし、なにもできない。「生きることが良いこと」なんて意識はない。そうするほかないのです。

とりあえず出てきて、ここで、そうするほかなく生きていた。周囲には、このちいさな腫れ物を生かそう生かそうと日々励んでいる人々がいた。そう励むことに、理由はない。励まないことにも、理由はない。しかし多くのひとは、生かすことに励もうとする。

あらゆる未来の想像を剥ぎ取って、ここにいるだけの一個の生き物として見る。まだ人間じゃない。そのことを祝福したい。いつでも眠ることを目指していて、起きたそばから泣いている。そういう在り方が素敵だと思う。すべてを白紙で委任する。あなたのいる場所が、いちばんえらいのだと思う。

よくそんなところにいられる。すばらしい。畏敬というのか。こういう感覚はたぶん、生かそうとする側の感覚なのだろう。わたしもそちら側らしい。まっさらな委任状を自然に、いつの間に、受けとってしまうような感覚。ちょっとした暴力。まいったな、こいつは。

「かわいい」とか「おとなの責務」とか、そんなものではない。理由はないけれど、委任されてしまった。されてしまったものを放棄するわけには、いかない。きっといかない。赤ちゃんを生かす感覚と、じぶんがいま生きている感覚が同期した。されてしまったものを、放棄するわけにはいかない。たぶん。ああこれだったか、まいったな。




「子供を二人も持つ奴は悪い奴だと思う」と書いた深沢七郎が好きです。「私は日本人は全体で五百人ぐらいが丁度いいのではないかと思っている」という言にはうなずくばかり。『人間滅亡の唄』(新潮文庫)を読むと、身も心も癒されるのでたいせつに十年くらい所持しています。


 こないだ旧友に逢った。会社の社長になって財産は何千万円もためたそうである。
 「これで、やっと、一人前になった」
と言うので私はあわてた。
 「子供は?」
ときくと、
 「男が二人、女が二人で四人だ」
と言う。(こいつは悪い人間だ)と私はきめた。
 「キミは、前科十五犯か、二十犯ぐらいの悪い奴だ」
と私が言うと相手はあわてた。
 「いや、安心しろ、金はためたが非道なことは爪のアカほどもしていない」
というのである。彼は悪いことをしてゼニをためたと私が思っていると感ちがいしてしまったらしい。
 「そんなことではない、夫婦の二人で三人も子供を持てば前科十三犯ぐらいの悪いことをしているので、いくらゼニをためても、四人も子供を持てば前科二十犯ぐらいの悪いことをしているのだ」pp.129-130


深沢七郎に言わせれば、わたしも「悪い人間」のこども。二人目だから。姉がいる。その姉もこのたび、二人目を産んだ。めでたく「悪い人間」の仲間入りです。やったね。

それにしても赤ちゃんはよく眠ります。赤ちゃんからすれば目指すべくは眠ること、起きている状態は、すなわちなにかを欲している。おなかが空いたのか、おしめを替えてほしいのか、安心がほしいのか。成長すると、だんだん起きている時間が長くなる。欲まみれの状態に慣れてくる。起きているひとは、みんな悪い人間だと思う。意識は人類の宿痾だとドストエフスキーが書いていたような気がする。気がするだけ。

眠っているときは、善いも悪いもなくてうれしい。
睡眠=ガチ一人。





おやすみ This's own time この世界じゃ誰も怒んない
犯罪者も善行家も眠る うるせー法も無い
つまりモラルも無い、、、ではどうぞ お好きに

おやすみ This's own time あの世界は君を怒んない
お父さんも お母さんも 眠る うるせーやつはいない
あまり愛はない かも だけど ゆっくり おやすみ




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