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日記596


空気が乾いて比較的ながら気温も低く爽やかでした、きょうの関東。写真は福岡、西新商店街からすこし路地に逸れたところ。駐車林止。PANG。福岡空港から地下鉄に乗る。横目で路線図を眺めると、すべての地名がなつかしくそれはそれは過去でした。わたしの過去が記述されていた。具体的な場所ではなく、地名の響き。「あったなー」と。

博多弁も過去のものかもしれない。いまは、たまーに東北っぽい妙な訛りが出ていて戸惑う。なんでだ。前世の仕業か。しらんけど。ともあれ過去に住んでいた福岡は、わたしにとって何もかもがなつかしい土地でした。

といっても「故郷」みたいな感覚はありません。なんだろ。東京が故郷なわけもなく。根無し草。過去に定住した土地は過去でしかない。居ただけ。もう福岡に居場所はない。「故郷」と呼べるほどの人間のつながりもない。ひとりの迎えもない。東京にだってない。どこにいたっておなじです。育った土地も、わたしも、お互いに薄情だ。いま居るところがひとまず好き。いまある人間関係を見たい。ということにしておこう。


8月18日(土)


夏の前半が終わったかと思う。風の流れも変わったか。でもきっと9月いっぱいまで暑さは残る。秋は断続的、散発的にちかづく。そして冬は一気にたたみかけてくる。今朝、便座が冷たかった。季節の認識は、便座にまかせている。

部屋の片付けをしました。油断するとすぐに散らかります。物体の好きにさせてはいけない。「絶対に許さん!」ぐらいの気合でつねに管理・統制・掌握しておかなければ、散らかり放題になってしまう。物体を許してはいけない。やつらに気を許すな。すぐにしまえ。お前らに自由はない。見つけ次第ひっ捕らえろ。さもなくば汚部屋まっしぐらです。

そのくらいしか書くことはない日。
いい天気。

コメント

anna さんのコメント…
あれ?福岡住んでたんでしたっけ?
私も短い時間ですが、六本松に住んでました。
nagata_tetsurou さんの投稿…
住んでたんです。正しい街に。百道浜も君も室見川もある街に。都会では冬の匂いも正しくない。これは椎名林檎です。天神駅の改札口で君のよれた笑顔。と歌ったのはスピッツ。だけどこころなんてお天気で変わるのさ。これはアン・ルイス。「六本木心中」の歌い出しですね。六本松と六本木が被ります。

じゃあたぶん、おなじ土地のおなじ景色が記憶に沈んでいるのですね。六本松は、大濠公園とか近かったかなあ。東京に十年以上いても地理がぜんぜんあたまに入りませんが、福岡の地理はいまだに把握しています。

西新の岩田屋がプラリバになって、プラリバも潰れて、次はなんになるんだろーみたいな話をしながらぶらついていました。プラリバの上階の古本市で、レーモン・クノーの『文体練習』と金井美恵子の『ピクニック、その他の短編』と植島啓司の『分裂病者のダンスパーティー』を買ったことを思い出す。

六本松のブックオフではバロウズの『デッド・ロード』と『トルネイド・アレイ』を買った。Hepcatのアルバムも。なんでこんなこと、いちいち思い出すのだろう。福岡は、あちこちにわたしの記憶が埋まっている場所です。あるいは、わたしの記憶に福岡が埋まっている。