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日記598


大きな容れ物だと、大きなものを詰め込みたくなってしまう。ブログのレイアウトもそう。ぴったりしたものが好きで、行のあたまに一文字あけることはしていません。四角い文字の羅列がぽんっと置いてある光景をつくりたい。ブロックごとに掴んで仕舞えるような。それだけできれば満足です。

散らかしている。推敲や校正を他人に任せたら2000文字が5文字くらいに縮まると思う。無駄が多くて。「こんにちは」でことたりる。「ありがとう」とか。「さようなら」とか。こんなことさえ言えれば、内容はじゅうぶん。なるべく正確を期して伝われば、おしまい。またね。別れの手続き。でも不足が気になって過剰になりながらまだ不足している気もして結局わからない。仕舞いにはあきらめて手放す。仕舞えているのか。

懸命に伝えようとすると、ひっくり返って転んでしまう。足のうらが空にあこがれていたんだ。でも空は最初から足元まで接していた。そんな末路。せまいせまい空の定義だからひっくり返る。地面に立っていれば、気分はもう上空でいい。届いている。そんなに高く、遠くなくても。雲がなくても成分はここにある。

突端まで行きたい思いが強くあります。どこまでいっても釈迦の手のひらであれ、指先の際まで行けば見える景色も変わっていると思う。いつも電車は端っこの車両に乗りたくなる。ホームの端まで歩いて、歩いて。いちばん遠いところ。


京急蒲田駅の端っこには、自殺防止の看板がありました。死ぬひとは、端っこが多いのかな。なるべくひとが少ない先の先から、どこでもない、じぶんもいない先へ。先はあったの?この夜はまっすぐに進んだら、元の位置に戻ります。まるいかたちの星にいる。





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