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日記602


なにかがたくさんあったほうがいい気がしていて、なにひとつなくていい気もする。時間は消えても場所はあると、たしかスーザン・ソンタグが書いていた。時間なんかないんだ。身を置いておける場所だけがある。

「98%の確率でお金がもらえるが、2%で死ぬボタン」がネットに落ちていた。ただボタンを押すゲームだ。ネーミングがすべてだった。ことばをおもしろがる。じっさいに、お金がもらえることはない。これが原因で死ぬこともない。押してみると、1回目で死んだ。運がいいと思う。「大凶はめずらしいからむしろ幸運」みたいなロジックで。

だけど、ちょっと不吉な感じもする。ことばってふしぎです。ひとりで思わず「まじか」とリアクションをしてしまう。言霊信仰みたいな呪術意識のごときものがある。いや、信じていないから押せちゃうってところもあります。戯れに。まだ死んでいないよ。戯れも信仰のかたちといえばそう。戯れることができるほどにはことばに敬虔。半信半疑。こいつがいちばん健康的です。信じ切るとそんなボタンは怖くて押せないし、信が皆無であれば歯牙にもかけないだろう。遊べる程度に信じる。

暑い日がつづきます。夕立がくればいいと思う。
この夏は、ものんくるの「夕立」をよく聴きます。
9月にあたらしいアルバムが出るそう。


あたたかい雨が とつぜん降りだし
夏の銀河系の 音を奪った
抱きしめたのは さいごのお別れ
この雨過ぎたら わたしは行くから




記憶は美しく雨に溶けだしてく


これを聴きながらふとスチュアート・ダイベックの小説『シカゴ育ち』(白水社)にある一篇を思い出します。一過性の夕立かと思われた雨が降り止まずそのまま夜まで流れつづければシカゴへとつながる。ひとしきり気取っている。気取っていれば涼しいから、気分がいいから。気休めです。暑苦しく脂ぎった顔で息を切らせてブヒブヒ耐えるよりはいいかと。柴田元幸さんの翻訳。


 キスが都市を横断する。それはガラスの路面電車に乗って進んでいく。子供のころ塗り込められてしまった線路の幽霊に沿って、電車は青い電気の火花をまき散らしていく。彼女が母親と都心に出かけるときに使った線路。
 キスが都市を横断し、ロビーの回転ドアを抜けて雨の夜に出る。黒いガラスの並ぶ大通りでタクシーを拾い、赤信号を突破して、ワイパーがつくる開いた扇の蔭に溶けて消える。
 雨が闇から降ってくる。色もなく、螺旋を描いて雨は降り、それに触れるものすべてを暗くし、ほのかに黒光りさせる。


眩暈の只中にいなければ出てこないような想像。キスが都市を横断する。ひとりの人間の裡に眩んだ言語が翻訳を通して海を横断した。1990年に刊行された第二短編集。日本語の訳書刊行は1992年。この本は『シカゴ育ち』というタイトルのついた場所だった。ひらけばシカゴ出身であるスチュアート・ダイベックの描いた想像力の個人的な場所がことばに繋留されて浮かんでくる。記憶は美しく雨に溶けだしてく。

ことばで場所をつくった。小説は私的でも広がりをもってつたわる場所だった。都市という場所、夜という場所、雨という場所。子供のころ塗り込められてしまった線路の幽霊に沿って。この場所が像を結んだ。読めばわたしもおなじ場所に行けるのだ。なんてそんなに信じてもいない。

言語への過信は迷妄につながる。迷妄でいいじゃないかとも思うけれど。ただ、約束だった。色もなく、螺旋を描いて雨は降り、それに触れるものすべてを暗くし、ほのかに黒光りさせるダイベックとの約束をした。夜の都市を雨で黒光りさせる約束。なんだか美しい約束だったから、思い出すこともある。そういう小説の受容の仕方をする。小説に限らないかもしれない。ことばは約束だった。いつもうそくさくて、守れないことも多いけれど、約束だった。あたたかい雨がとつぜん降りだし、夏の銀河系の音を奪った。そんな記憶の約束を語る歌を、何度も聴き流す。



8月26日(日) 


雲のかたちは日によって秋と夏が混在している。
季節は上空からおりてくる。
しかしあつい。

9月に関西のほうへ行きます。
それまでに秋っぽくなるか。
なればいいな。



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