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日記609


渋谷道玄坂。適当に撮る。観光っぽい写真。時間旅行をしているようだ。交差点を眺めていると、ときおりふと立ち止まり写真を撮るひとの姿が見受けられる。すでに懐かしい気もする。安室奈美恵さん。10年後にこの写真を見て、むしろ真新しく感じるようならおもしろい。時代がかっている。2018年の写真。街の写真は、時を経るとおもしろくなる。たぶん。

変化が激しい。東京って。看板ひとつ変わるだけで道に迷う。行くときにはなかった、路上の染みひとつでも迷いがちになるのに。街の景色がめまぐるしく変わる。数年ぶりに福岡へ行ったとき、風景がさほど変わっておらずびっくりした。もちろん変化もあったけれど、記憶通りの場所が多かった。博多、天神、西新商店街など。人間の多い場所は多少の変化もある。ちょっと繁華街から出ると、ひとつも変わらなかった。東京都心はどこも人間が多い。刹那的な街。

それでも既視感にまみれている。なんなんだろう。変わり映えのない変化がつづく。いつも懐かしい。テレビだって懐古モードの番組が多い。歌番組は特に。人々が老いたのだと思う。2018年、9月。東京のごく個人的な肌感覚。なんだって見たことのある気がしちゃう。だけど道にはしっかり迷うよ。

10日から関西に滞在する。バスでゆらゆら。夜行ではなく、昼行にした。本が読めていい。夜行は眠れないし、暗いし、なすすべがない。揺られるのみでも悪くないけれど中途半端に退屈。もっと選択肢を広げて深く退屈したい。大阪までだいたい6時間か7時間くらい。

地図上だと、大陸の横に浮かんでちいさく見えがちでも日本は広い。台風の影響もぜんぜんちがう。地震や台風がくると「地球にいる感覚」がする。地面が勝手に動くって、おそろしいけれど、おもしろい。生き物みたい。いまの科学技術では予測不能なタイミングで動き出す。災害はかなしいこともある。しかし、どんなかなしみも関係なく地面は動くし、風は吹いて、海は荒れる。

地球と人間の無関係性を思う。そしらぬ顔だね。いくら人間が生きていても無関係だ。関係といえば、物理法則と結ぶのみ。「物理法則」だって人間が人間にわかるよう編み出したものなのだから、ぜんぶ人間の都合。関係ないといえばない。正確には「ただ在る」としか言えないのではないか。「関係」は突き詰めると、ぜんぶないと思う。わたしもただ在る。肉親とも関係ない。仮にそうしている。しかし「仮」でも関係をもつと、原初的な「無関係性」は二度と回復できない。とりかえしがつかない。「関係」とは、よくわからんがとりかえしがつかない恐ろしいもので、そうした認識のもとに私的な倫理観が存在している。倫理を出口にしちゃうと底が浅くなります。倫理なんかとっぱらった破壊的な哲学に癒される。身軽になれる。というとまた俗っぽいけれど。



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