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日記611


約一週間、関西をぶらぶらして300枚以上の写真を撮りました。数多の写真の中で、もっともイケてるショットが神戸の高架下。これです。このイカすTシャツほしい。どこで売っているんだ。わたしもズボンにインして着るんだ。着たいんだよ。ねえ。ねえったら!カメラを構える青年の内なる静かな想いと感嘆符を背に、彼は暗い高架下から照りつける残暑の陽射しのもとへと去っていきましたとさ。

正確には354枚。写真は多く撮ってほとんどボツにします。デジカメ便利。残すもの以外は消す。たくさんあると取捨選択がめんどうだと思う。その日その日にやっておくべきでした。とりあえず1枚。この写真は残す。


9月19日(水)


皮膚科に行きました。行きつけではないところ。駅にちかいけれどガラガラの医院。お昼過ぎ。待合室にはじぶんひとり。問診票を書き、提出するとすぐに呼ばれる。診察室に入るなり「なに?どうしたの?」とやたら馴れ馴れしい白髪のおじいさん。「医者と患者」という関係性を固定した態度ではない。ぱっと見、医者とは思えないくらいラフに白衣を着こなす。緊張せずにいられて、ほっとする。わたしはそのほうが話しやすい。

腕の発疹を見せる。すこし触れて「え?きれいだよ」と言われる。やった、ほめられた。しかし口説かれているわけではないし、それで満足なら医者はいらない。「ほかは?」と聞かれて、足と何箇所か見せてからさいきん旅行に出たことなど考えられる原因を説明してもおじいさんは返事があいまいではっきりしない。「キンタマってラジエーターみたいな冷却装置なんだよ、暑いと精子が死んじゃうから」とキンタマの話だけは何故か詳しくしてくれる。

要するに陰部も見せたわけですが(性病ではなく腕や足の発疹と同時にでてきた症状)医者が目の前にいる感じがしないため、おかしなことをしている気もした。初対面のおじいさんに下半身を見せている。これが「医者と患者」でなかったらなにをしているのか、わけがわからない。初対面で肌を見せてキンタマの話に花を咲かせる爺さんと青年。あきらかにおかしい。やはりもうちょっと医者であってほしい。形式の重要さを知る。

わたしもキンタマトークに乗っかり「なるほど、細かいシワで表面積を大きくして熱を逃がすんですね」と理解をしめす。キンタマへの理解力をほめられる。なぜか話が弾んでおじいさんの学生時代のことを聞くハメに。「むかしはいまみたいに清潔じゃないから」「時代ですねー」などと世間話をする。これは何の時間なのだろう。

軟膏を2種類もらう。「ようす見て」と言われる。医者にかかる前に、あれこれ皮膚の病気を検索してしまい不安がっていたが、おじいさんによると重大な病変はないという。「病気を検索して不安をつのらせる」という行為はついしてしまうけれどやめておきたい。どうせわかりゃしないんだ。医者にだってわからないこともある。病気の検索を参考にできるのは可能性を正確に寄り分けて見積もれる知性の持ち主だけです。いちいち不安になるならやめる。

陰部の薬は気を利かせて「腹に」と書いてくれる。でも、この場でバラしている通りわたしはまったく気にしない。薬剤師さんから「お腹にですね」と言われ「いや、股間なんですけど大丈夫でしょうか?」とつたえてしまう。だって、お腹と股間はちがうではないか。正確におつたえしないと、正確な情報を引き出せないではないか。「正確正確」ってうるさいな……。でも正確なことばづかいはたいせつなのです。すべてにおいて。

大味なことばで塗りつぶしては、とりこぼしてしまうものがあまりにも膨大でいけない。好きだとか嫌いだとかも、かんたんに言って終わらせない。なるべく考える。いままでさんざん言ってきたけれど、もっと他のことばがあると気がついた。おいしいも、まずいも。まだそこに至る前段があるはずだ。あるいはその先。すこしだけ立ち止まってみたり、乗り越えてみたり。大きな判断のあいだに佇むこと。「あわい」をないがしろにしたくない。そこに物語が宿る。残るものは結果だけだとしても。

みずからには真率さをもとめたい。なるべく、なるべくだ。嘘も本当も真率な態度で言う。どこまでも疑えるけれど。疑いながら、暫定的にその都度の判断をする。きっと何を言ってもあとから振り返れば不正確だし、まちがっている。しかしそれが集積すれば、まちがいなりの筋道もできる。いちおうだって筋を通していれば、いずれ的を引き寄せることもできるかな。当てにはいかない。寄せて上げる。そう、谷間が重要。

股間のぬり薬は一日一回。「気持ちよかぁ、二回ぬってもいいよ」とおじいさんは言っていた。てきとう過ぎるだろ。そんな大雑把さも愛らしくて素敵だと思う。細かく正確に考えたい部分は自己に対してだけでいい。他への認識は粗雑なほうが愛せる。


これも神戸の高架下。元町高架通商店街をひととおり抜けた先。骨だけになった傘が柵によりかかっていた。もしかしたらいまも。数年後もこのままだといい。高架下の商店街を三ノ宮駅から神戸駅に向かって歩いた。神戸駅の付近は、ほとんどシャッターが閉まっていた。ぽつぽつと数人が歩く。エロ本をあさるおじさんがいた。閉じたシャッターの向こう側から、笑い声と関西弁の会話が聞こえてきた。あまり止まることなく歩きながらざっと写真を撮った。




カナザワ映画祭のポスターが商店街の雰囲気にとてもマッチしていた。これはほめことばです。よく宇多丸さんのラジオで聞く、行ってみたい映画祭。どっかのタイミングで行くと思う。かならず。というか金沢に行ってみたい。

関西に滞在していたときのことは順序よく書かない。記憶に浮かんだ順に、その場のノリで書こうと思います。散り散りに。まさしく散文的というか。いったりきたり。行き帰り、約7時間かけた昼間のバス移動がよかった。じっと本を読む身体性をとりもどせたと思う。ことしはなんだかあわただしく動いてしまって、身体を落ち着ける余裕があまりなかったから。強制的に身動きが制限され、「ああこれをしていた」と思い出す。

とはいえ帰りのバスは、寝ていました。iPhoneでなんとなく聴いていたUA×菊地成孔の『cure jazz』が気持ちよすぎて読み物を開いたまま。ページにシワとクセがついてしまった。大阪の出版社、編集工房ノアのPR誌「海鳴り」だった。この紙の傷が、記憶として残るのだろう。よろこびも、かなしみも、あらゆる記憶は癒えぬ傷としてつきまとうもの。



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