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日記615


おなかいっぱいの状態だとなんにも書くことが浮かびません。ジョブズの言った「ステイ・ハングリー」の内容が身体的に理解できる気がする。でもあしたには忘れてまたおなかいっぱいの無気力になる。そしてまた「ステイ・ハングリー」を思い出し反省する。また忘れる。これがすなわち「ステイ・フーリッシュ」。そんな繰り返しでしょう、日々は。

とりあえず末尾で達観しておけば文章はまとまる。達観は便利グッズです。東急ハンズで売っています。買ってきたので、さっそく使いました。10個入り、800円。すぐれものなのに、1個百円しないからね。達観がお金で買えるなんて、いい時代だ。それもまた人生です。あ、ふたつめを使ってしまった。もったいないからもう達観はしない。ちゃんと戸惑って傷ついて取り乱して生きます。この都会は戦場だから。男はみんな傷を負った戦士。らしいよ。岩崎宏美から得た耳寄り情報です。

写真はバスの窓を這っていた虫。

あまり固形物は口にせず、飲み物でいつも腹を満たしています。水が多い。あとガム。苦学生みたいなジリ貧生活です。だけど栄養はじゅうぶん足りています。皮膚炎は短期間できれいに治りました。脱皮したような気分。じつはじぶん、哺乳類でなく爬虫類だったらうれしいと思う。「イグアナの娘」ってドラマをこどものころに見ていた記憶がある。イグアナが醜いあつかいをされていた。かわいいのに。


舌出して寝ちゃって、かわいい寝顔です。これが世に言う「てへぺろ」かな。顔にピントが合っていないのは、爬虫類が苦手な方へのうすぼんやりした気遣い。神戸の王子動物園です。9月14日(金)。何年ぶりの動物園か。動物園がこんなにおもしろいとは思いませんでした。

おとなしい羊と触れ合えたり、「ゴリラどこ?」とおじさんに尋ねられたり。ゴリラの行方を問われる経験なんてめったにできません。貴重な経験値を得ました。きっと、今後の人生にも役に立つでしょう。「あっちです!」とすぐ言える。王子動物園にゴリラはいなかったんだけど。

パンダやコアラに都市で遭遇できないことと同様に、居もしないゴリラを探すおじさんにもめったに遭遇できません。それとも、あのひとはいつでも探しているのか。どっかにゴリラの姿を。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに。



水面下のワニ。
隠れているつもりでしょうか。



こんにちは。

この状態でピクリとも動きませんでした。
まっくろな瞳。生気はなく、存在感だけがあった。
きれいな小魚がおなじ水槽で泳ぐ。


水中で激しく回転するカワウソ。

「暇だとみんなぐるぐるしたくなるのかな、そういえばわたしも部屋をぐるぐる歩くなー」などとつぶやいていた記憶があります。本を読みながら部屋中うろうろする。じっとしていると眠くなるばかりで。

回転はおそらく原始時代からあるカネのかからない娯楽です。貧乏生活を営む原始人も「ひまだなー」ってときおなじ場所をぐるぐる歩いたり、その場でスピンしたりして遊んでいたにちがいありません。だってまわるの、たのしいから。


「かみます!」という説明を見つめ気持ちを新たにするガチョウ。そっか、「なんで噛んじゃうのかな」ってずっとうじうじ悩んでいたけれど、そうだった。噛んでいいんだ。書いてある通り、そういう生き物なんだから。噛むよ。思う存分、噛んでやれ。許しを得たようすで、いまにも涙がこぼれ落ちそうな表情です。ええ、あなたらしく生きてください。



カバの目は狂気を孕んでいておそろしい。
目だけちがう生き物みたいだ。
ぽっこりなにかに寄生されている。




ライオンの雄といちばん気持ちを分かち合えた気がする。



このひとの気持ちもわかる。おやすみ。首を痛めやしないか心配。平日、昼間の王子動物園は閑散としていて、お昼寝でもしたい気分。ノラ猫がシマウマの檻に侵入し、ハトたちがカンガルーの餌をあさる。ちかくで剣道の練習をする人間の声。動物園の中で聞くと、動物の鳴き声かと聞き違える。剣道部のかけ声は人語ではない。

散歩にちょうどいい。
ぶらぶら。1日いられる。
ゆるい時間でした。



9月25日(火)


雨。半袖シャツでいるとすこし肌寒い。
日の当たらない1日。
部屋の中のいらないものを捨てる。
空間をシンプルに広くする。

わたしの考えはときにシンプル過ぎて暴力的。じぶんの発言や行動にプラクティカルな理由を絶えず厳しく追求している部分もある。ありうべき理由を追いかけ過ぎて結局「理由なんかねえな」と思う。必要なら勝手にでっち上げればいい。わけもない迂回をしている。ステイ・フーリッシュか!迂回路にできる轍がこの日記。かもしれない。

ことばには意味が貼りついている。しかし価値はこちらで勝手に決めさせていただく。他人の色付けにそのまま染まることはない。たとえば「人間のクズ」と悪しざまに罵られたとして、その相手のもつ価値観はあっていい。あなたにとってわたしは「人間のクズ」なのね。OK。と認めつつ、じぶんがそのまま相手の価値観の土俵に乗っかる必要はない。人間のクズ、悪くないんじゃない。クズの中でも、星屑だといいよね。素敵やん。

しんどい価値観をゴリゴリ押し付けられたとしても、なるほどそういう視点もありですね!ってなもん。罵倒されても、そこに思いもよらぬ発想があれば、わたしの世界の解釈可能性を広げてくれてありがとうと感謝する。受容する価値は「おもしろさ」だけでいい。「人間のクズ」はくそつまんない。せめて「遺伝子プールのクズ」とか「名もなきセックスから生まれたかわいそうな奴」とか、おもしろくひねってくれれば会話が成り立つというもの。ではまたあした。



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