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日記617




見せておきたい景色がずっと募って
写真じゃ切り取りきれないから
話せば白々しくなるから
連れていきたい気持ちになります


イルリメの「トリミング」を聴いていました。なつかしい。Tumblrで流れてきた。たまたま。記憶の澱を不意に掬われる。こういう遭遇のためにネットがある。調べものではない、好きなものだけを見るんじゃない、偶然に触れたいと思う。なるべく偶発性の集合体としてつかいたい。

SNSはどれもいつの間にかフォローが増えてしまってノイジーになる。興味の向くまま。そうなればもう、ノイズの塊から生まれる偶然に身を任せるしかない。アカウントの使い分けはしない。雑音の渦中で惹かれるものを見つける。本屋もCD屋も、じぶんにとってはそういうもの。というかこの世界がそういうもんじゃないすか!人間との出会いも。雑踏の人海に身を投じ、みずから生き餌となったりこちらから食らいついたり。ノイジーでガチャガチャ騒々しくて、ほとほと疲れるけれど、とんだ偶然で澄んだ音が長く響いてゆくことだってある。





カバーしているerinaという方のyoutubeを前からよく聴きます。この方のチャンネルにはいろいろなカバーがありますが、どれも選曲がすばらしいと思う。ほとんど知っていて、かつわたしの好きな曲でもある。erinaさん自身の歌もいい。

歌詞の「連れていきたい気持ち」には、もちろんじっさいに連れ立ってどこかへ行きたいという意味もあるだろうけれど、まず音楽のことなのだと思う。連れていきたい気持ちが音楽になる。見せておきたい音楽の景色がある。写真ではやりきれなくて、話すと白けるから、曲が方法になる。歌うこと。その表現が「見せておきたい景色」であり、「連れていきたい気持ち」だった。

きっと、写真を撮って「連れていきたい」ひともいる。会話で「連れていきたい」ひともいる。あるいは小説で「連れていきたい」ひとも、絵画で「連れていきたい」ひとも、映像で「連れていきたい」ひとも。

つまりこの“気持ち”は創造性の源泉なのだとわたしは思う。「連れていきたい」場所をもつひとの気持ちと、その場所に吸い寄せられ連れていかれたいひとの気持ちがリンクすれば作品が立ち上がり、どこまでもいける。連れていきたい。場所をつくること。いつしか感受の強さに耐えられなくなる前に。そんな歌詞かなー。

わたしもいくつかの場所へ連れ出されながら、連れていきたいとも思う。それでまわっている人生ではないか。「人生」というほどごたいそうなものでもないか。人生なんかにこだわっている奴がいちばんつまらない。

そんなことより巨大なゴリラを見つけたんです。
大阪、和泉市の法華寺付近に。めっけもんでした。

コメント

anna さんのコメント…
ヘリコプター握りつぶしてるし。
nagata_tetsurou さんの投稿…
ヘリ握りは、映画『キングコング』の定番ですね。手前の工事しているひとと比較すると、なかなかの大きさであることがわかると思います。たしかパチンコ屋さんの上にデーンと立つゴリラです。なんでもない場所にふと、アクの強いものがあると興奮します。