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日記626


気温が徐々に下がってきました。夏に撮った写真。たぶんさいごに見た夏らしい雲です。どんなにたいせつでも、退屈でも、過ぎるものは過ぎる。こんなあたりまえの事実に、つまづきっぱなしだと思う。たのしい時間の中にいても「これも終わる」という感覚が身体に染みついて抜けない。油断すると哀しそうにしている。やがてその哀しみもたのしみのことも忘れてけろっとする。なにも起こりはしなかったかのように。

出口を用意する。気持ちをつたえるときも、あそびにさそうときも、なにかを依頼したり主張したり、ささやかでも他者と自己を衝突させるときには相手の自由を尊びたい。選択肢は無数にある。わたしはこうです。あなたはわたしではないね。おなじなわけがないんだ。あっちが出口です。やさしいのではない。何事もなかったかのように静かに出ていってほしいのかもしれないと、たまに思う。受け入れてもらえればうれしい。うれしいことにはちがいない。でもそれだけではない。

「たのしい」だけ、「うれしい」だけ、なんてありえない。いかにポジティブでもその裏側にべつの感情が伏流している。どちらが良くて、どちらがほんとうで、みたいな考えは不毛です。どちらもほんとうで、片方は言わない。矛盾する。感情はきっと論理ではあらわせない不協和をふくむけれど、論理的でないと伝達手段として混乱する。最低限の交通整理はしておく。ことばは本物とおなじ偽物。なるべくひとつの価値観で縛り上げて手渡すことはしない。どう解釈してもいい。自由です。


私を読んで。
新しい視点で、今までになかった解釈で。
誰も気がつかなかった隠喩を見つけて。
行間を読んで。読み込んで。
文脈を変えれば同じ言葉も違う意味になる。
解釈して、読みとって。
そして教えて、あなたの読みを。
その読みが説得力を持つならば、私はそのような物語でありましょう。
そうです、あなたの存在で私を説得して。


二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)より。誤読への反論も不毛ではないかと思う。ときおりこれを思い出します。そんなに自己の主張や一貫性がだいじだろうか。主張をないがしろにされたくない人情はわかる。でもわたしの優先順位はそれより、他者の存在であり物語です。ことばの裏で黙した存在が生きている時間のこと。善も悪もどんな矛盾もかんちがいも誤りも飲みこんで育った長くて大きな奇形の物語。他者の数だけそいつがあると信じたいのだ。幻想であれ。読むこと。そこに価値を置きたい。

他者の読みは、べつのわたしを見つけてくれると同時に読んだそのひとの存在を証している。すべては自己表白ではないか。いくら客観をよそおっていても。わたしにかけられたことばでも、わたしへの形容詞でも、かけた他人がなにを生きているかを証している。他人事なんてもんはない。わたしはいかなることばにも、あなたを読む。あなたの物語の住人だから。ちんちん。


「強み」診断だそうです。無料でできる、ネットの。こういう診断お好きですね、わたしは。有名なポジティブ心理学のセンセがおつくりになったそう。クリストファー・ピーターソン博士とマーティン・セリグマン博士。学習性無力感についての論文でも有名。

http://www.positivepsych.jp/via.html

メールアドレスなどを記入しなきゃいけないのはめんどうですが、やってみました。24個の指標があって、上位の5つが現在の顕著な「強み」です。日本語で「誠実さ」がグレーテストだそうです。英語ではhonesty, authenticity, and genuinenessだそうです。真実を語るそうです。サトラレか。予言者になろうかな。結果を見た瞬間から、ビリー・ジョエルの「Honesty」が脳内ループです。




Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you


誠実はとても孤独なことば
誰も正直ではなくって
耳にすることがむずかしい
だからあなたにはずっと求めたいの


意訳してみました。オカマっぽい。ネットに転がっているほかの方の翻訳だと4行目の“And”は「でも」とされているみたいです。困難でも求めたい、とするか。困難だから求めたい、とするか。「でも」にすると、誠実の困難さがこぼれ落ちると思う。意味はそんなに変わらないけれど、これは個人的な感覚のお話。誠実を耳にするむずかしさも、多くのひとが不誠実であることも、孤独なこともすべて含めて認めたうえで、「だから」求めたいんだ。「でも」だと前段を無きものにしてしまうような。

ビリー・ジョエルが歌うように不誠実がはびこるのなら、「誠実さ」なんてまったく望まれてはいないんじゃないか。なんてヒネたことを思ってしまう。じっさい「強み」よりも、枷になることのほうが多いだろう。いや皆がそうではないからこその「強み」とも考えられる。ひととちがってバカ正直!「信頼」ということばが社会的に重要だと叫ばれるのは、そいつが欠けているからにほかならない。


大阪府和泉市、法華寺の掲示です。寺にカート・ヴォネガット。好きなことをやっている感がすごい。関係ありませんがきょう、京都の西本願寺が中心となって電力小売りの事業を始めるというニュースを聞きました。さいきんのお坊さんは攻めています。もう漫然と坊主のみをやっていれば食べていける時代ではないのかもしれない。この掲示は、9月のもの。いまは、あたらしいやつに貼り替えられたと思う。

お坊さんの会社となると信頼感が抜群であるような。
ないような。宗教家とて、人間です。
資本主義には勝てない!

「愛は負けても親切は勝つ」。そして親切は負けても資本主義は勝つ!必ずさいごに資本主義は勝つ!ヴォネガットのことば、正確にはファンから受け取ったことばを使用したものだそうです。元は英語なのでもちろん、日本語へと翻訳をしたひとのことばでもある。浅倉久志さん。この方の翻訳はヴォネガットという作家を貫く思想として「親切」を意識的に多用していたのではないか、「親切」には浅倉さんのヴォネガット観が反映されている。という話をアメリカ文学研究者の巽孝之さんがしています

そう、「親切」がわたしの2番目の強みでした。そしてなにを隠そう「愛情」が22番目なのです。下位の5項目も書いておくと、24.忍耐力、23.勇敢さ、22.愛情、21.熱意、20.希望でした。この診断によると、まさに愛は負けても親切は勝っています。と言いたいだけで掲示板の写真を都合よく利用したことをお詫びいたします。

下位の5項目は、端的にまとめると暑苦しいやつだと思います。たとえば少年漫画的な友情・努力・勝利。みたいな奮闘する価値観に馴染めない、やーな感じ……。わたしには暑苦しさが足りません。忍耐力は英語で「Perspective wisdom」でした。現在を忍ぶ展望を持てるかとかそういうことでしょうか。イメージとしては5つとも前を見据えるような単語です。未来への前向きさがない。前を向いたところでいつか死ぬ。いつか絶対死ぬ。と真心ブラザーズも歌っていたよ。人間はもう終わりだ。

だけどまだ出口へは行かない。出口への誘惑にとらわれながら、迷宮としての世界を読み込む。神さまはいないと嘯きながら、いもしない神さまを待っている。しかし出口の確認をしておきたい。そんなものあるのか?と訝しみつつも。「ここに出口があるから大丈夫、すぐ逃げられる」と安心したい。

上位の5項目は、要するに「いいひと」ということです。
じつを言うと、わたしはいいひとだったのです。
衝撃の新事実でした。極悪非道だと思っていたのに。





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