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日記628


生きていると、なにごとかが起きます。こんな寝言をほざいていると、あたりまえだ!と怒られそう。わたしの人生、なーんも起こらなくてよかったーと笑いながらすやすや死にたいんです。でもそんなわけにはいかず。死ぬときの擬音は「すやぁ」がいい。欲を言えば擬音でなくじっさい鳴ってほしい。あいつ死ぬとき「すやぁ」って音がしたね、と葬式で話題になってほしい。

お尻に火がつくと「死」のことを考えます。死を思うとお金が貯まるそうです。メンタリストのDaiGoさんがそんなタイトルでYoutube動画をアップしていました。DaiGoさんは科学的なエビデンスを信仰しているそうですから、きっと有意なデータがあるのでしょう。詳しい内容は知りません。お金持ちになれそうな予感だけを都合よくいただいておきます。やったね。

ネガティブなのかポジティブなのかわからない。できうるかぎり中庸でありたく思う。中庸は、ぶれないことではありません。どっちつかずの優柔不断ではなく、目指すべくは両極の調和です。どちらも考える。両方の極にすばやくぶれる!反復横跳びのように。ネガティブきたら次はポジティブ!ポジティブきたらネガティブ!とどまらないその往還の残像によって中庸という調和を描き出すのです。両極あって初めて均整がとれる。「真ん中」は穏当なようですが、じつは攻めないと成り立ちません。いそがしいのです。情緒不安定なわけではありません。
 

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ひとつ前の日記627を読み返して「~タイプの人類」はいいフレーズだなーと思いました。わたしはことあるごとに死を思うタイプの人類です。メメント・モる。そういう分類だと認識すれば、ふしぎに抵抗感なく受け容れられる。気がします。

たとえば、いい年こいたおっさんが公共の場でうんこを漏らしてしまったとしましょう。通常は落ち込みそうなものですが、ひと呼吸いれて思い直すのです。「そうだ、おれはうんこを漏らすタイプの人類なんだ」。そういう型の人類であればもう、あきらめがつきます。血液型とおなじです。哺乳綱霊長目ヒト科ヒト亜族うんこ漏らす型の人類なのです。その生物分類の人類なのだから仕方がありません。血統書付きだから。根本的に生物学的なレベルで漏らすタイプだから。抵抗しても責めても無駄です。おれは漏らす星の下に生まれついたのだと、じぶんを受け容れて、覚悟を決めるんです。

そもそも赤ちゃんは漏らし放題プランの数年契約で生まれるし、高齢者もふつうに漏らします。あたかも漏らさないような澄ました顔をして生きているほうがどうかと思う。人類はうんこを漏らす存在として生まれ、うんこを漏らす存在として死ぬのです。そいつが人生の哀しみであり、可笑しみでもありましょう。正直にいつも漏らす顔をして生きていれば、すこしは気が楽ってもんです。とはいえ「漏らす顔」とはいったいどういった顔なのか。専門的に詳しい方はご教示ください。

ちょい逸れましたが要するに、「〜タイプの人類」はすべてを無抵抗に受け容れるためのフレーズと言えます。ひらきなおりに近い。居直って顔を上げましょう。はるか上空の変わらぬ星を見上げましょう。涙がこぼれないように。



コメント

anna さんのコメント…
「メメント・モる。」面白い表現です。
私も使おう。
nagata_tetsurou さんの投稿…
使う場面、ありますか。笑

しりあがり寿さんの漫画でこんなふうに使われていた記憶があって、パクりました。「メメント・モれ!」とか。『瀕死のエッセイスト』だったかな。読んで確認してみてください。
anna さんのコメント…
五段活用で使う準備しておきます。
あら、でも確かに未然形の「メメント・モらない」とか使う場面が想定できない。
nagata_tetsurou さんの投稿…
たいていの日本人はメメント・モらずに生きています。日本ではわたしもそれほどメメント・モらないでいられます。みたいな使い方でしょうか。「お前ぜんぜんメメント・モってないじゃん!」的な批判もありです。もっとメメント・モろうよみんな!わたしはまいにちメメント・モります。死ねない理由ただ探してるだけ。