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日記629


人間のいない風景が好きです。誰かが去ったあとに残る痕跡。自分自身が透明でありたいような願望もあります。しかし、生きている人間にまみれなければ、じぶんもまた“生きている人間”にはなりえません。生きている人間は透明ではなかった。過去に生きていた人間は透明です。このサッカーボールの持ち主みたいに。数時間前はここで活動していた。いまはべつの場所にいる。

くらげのように漂泊していたかった。「くらげだってラクじゃねえんだ」と怒られるかもしれない。くらげも完全に透明なわけではない。くらげに生まれついたところでなおわたしは「もっと透明がいい」などと思うともなく感じながら漂っていたことだろう。ないものねだり。いやちがう。あるものなくし。いずれなくなるよ。みんな、なくなるんだ。

あるいは色にまみれた結果として透明になれるのか。どうでもいいか。始まりはまず、いまある中身をあけわたすことだと思います。あるものはあると、認めること。無血開城。なんでも好きに色付けをしてほしい。その結果、どぎつい色がつこうとも。

いずれにしろ、あらゆることを回避して回避して閉じこもった無色のままで生きようなんて虫のいいことはできっこないのです。のらり、くらり。逃げ切ればたいしたものですが、それにも度胸がいるなあ。





安易に納得しないこと。考えつづける姿勢をきょうのTVタックルを見て思いました。えんえんと考えているひとの仕草は、ささいなところにあらわれるものです。ほんの数秒、たったのひとことで頭ひとつ抜ける。

痴漢冤罪の話題になり、フリーアナウンサーの安東弘樹さんが「まちがわれないよう電車内では両手をあげた上で、軽く筋トレをする」と冗談まじりにお話されていて「そっかー、アンディは筋トレ好きだもんね」なんて思いながらぼーっと眺めていたんです。大袈裟な対策かもしれませんが「両手をあげていれば痴漢にまちがわれることはないよね」とすぐに納得してしまいます。

しかしただひとり、ビートたけしはちがいました。
すかさずこう切り返したのです。


でも下半身すっぽんぽんだったらだめだね


確かに。

きっとスタジオの面々は誰もが安東さんの対策にうなづいていたことでしょう。100%納得はせずとも、半笑いでも反論しようなんて人間はいなかったはず。ビートたけしを除いては。そう、ひとりだけ考えつづけていたのです。

おそらく、“安易に納得しない”という姿勢が常態化しているからこそノータイムで別角度の発想が出てくる。どっからでも壊しにかかる。それが笑いにつながる。いくら細かいところでも、どこまでも容赦なく思考する。

ひと笑いとったからといって満足することもないのだと思います。「まだいける」と鋭い視線で次を探す。それほど貪欲に周囲を見て、聞いて、低い温度で情報を受け取りながら座っている。このたったひとことからでも、厳しく思考をつづける日常的な態度が伝わります。仕事ではなく、日常なのです。しらんけど。

身近にいるおもしろい人間でも、見ていると日常からたゆまず「おもしろ」の隙を探しているのだと感じます。わざわざ意識せずとも習い性になっている。習慣づけられた態度が、ふとしたところから滲み出てかたちになる。笑いにかぎらず、種々雑多に刺激的な洞察が滲出する。それが、ひとびとを驚かせたり楽しませたりしてくれる。彼/彼女らが満足することはない。いつだってさらに驚こうとする。世界がつまらなくなってしまわぬように。

「でも下半身すっぽんぽんだったらだめだね」をビートたけしの名言として記憶しておきたく思います。考えをやめずに、ひとことで壊す発想。でも思考法の適性はあります。他人の話を受けてなにか言う場合、わたしはどちらかというと受け容れるほうへと気持ちが向きます。

安東さんの痴漢冤罪対策を受けて言うならば、不安な男性は電車で筋トレをしていればよいのだと思う。軽めの懸垂とか握力トレーニングとか。軽くです。汗くさくなったら困りますから。筋肉と愛し合えば、変な気をおこすこともありません。もっとじぶんを愛してあげて!性欲はもちろん、人間関係の悩みも、金銭トラブルも筋トレを通じてたちどころに解決するのです。筋肉にはそれほどの魔力が宿っています。人生がときめく筋肉の魔法です。

「両手をあげておく」は、あらかじめ降伏を示しておく姿勢だと思います。犯罪者が警官に銃を向けられてハンズアップしている光景を連想しちゃう。安東さんは「女性が大好きだ」と公言してはばからないバカ正直なお方なので、深層心理があらわれている感じも受けます。正直で誠実なだけに、どこか罪悪感があるのではないか。それでも不貞は働かない、自律心の強固な安東さんはとてもいい男です。銃や車も愛好していて、まさしく男の中の男というか。ザ・漢。

やたら安東弘樹アナウンサーに詳しいのは毎週ラジオを聞いていたからです。勉強したわけではありません。ラジオパーソナリティの情報は、知らず知らずのうち身体に染みこんでしまう。フリーアナウンサーになってからの活躍を見かけるとうれしい。わたしも人間にまみれてがんばります。はい。





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