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日記632


いちおう写真です。かろうじてヒトっぽく写っているやつはわたしです。六本木の国立新美術館です。もはやどこでもいいくらいの加工っぷりですが、まぎれもない瞬間。あの日あの時あの場所の写真です。第三者にはわからなくとも。わかるようにする必要もないのではないか。記憶を残すには、トリガーとなる痕跡がわずかでもあれば十分。マドレーヌと紅茶だけでも。

安田純平さんが解放されてほっとしました。テレビ報道の少なさが逆にあたまの片隅でもやもやするニュースだった。神戸のハーバーランドでこの人質事件の話をしながらわたしが頓珍漢な受け応えをしたせいで、極私的には頓珍漢な思い出とともに想起されるニュースなのだけれど、とりあえずはよかったです。

にわかにまた「自己責任」ということばが浮上しています。ぼーっと眺めているうちに浮かんだ雑感を書こうと思う。人質となっているあいだの安田さんの恐怖心は計り知れません。その恐怖とは、おそらくじぶんが他者の思うがままにあつかわれてしまうところからくるのでしょう。他者にかぎらず、広くじぶんではない“何か”に、じぶんの存在が100%左右される状態。自由にされる状態。それが極限状態の恐怖だと思う。

人質となった時点で安田さんの「責任」はすべて剥奪されたのです。生殺与奪の全権が他者にある。みずからの責任のいっさいが奪われてしまう。そんな恐怖はなかなかありません。そもそも「責任」は一定の社会秩序を維持するためにあるフィクショナルな概念で、局所的な地域の意識のうえにしかなかった。べつの秩序の中に生きる人間からすれば日本村の「責任」はしらない。まったく別個の責任がある。

個人的に思うのは、「責任」が繰り返しのきかない思想だということ。フィクショナルな概念と言っても、確かにそれは頑としてある。「責任」を請け負うことは承認や安心にもつながる。引き返せない未来を生きる保証となる。やってくるまいにちが二度と繰り返さないように。使い果たすための、蕩尽というか、生きる時間や可能性の有限性からきている思想かと思う(直観です)。仮にそうだとすれば責任を奪われる恐怖とは、予測不能な無限の闇の中へ放擲される恐怖にちがいない。

どうなるかわからない無限の暗闇。でも、程度の差はあれど“わからない要素”はいかなる場合にも存在します。見えない部分。見通しのきく責任だけで世の中が構成されているわけではない。ここのところのバランス感覚が肝要かと思う。

時代をこえて貫徹する終わらないサイクルの中に人々の生活があり自由がある。「責任」の時間は前方を見晴らすしかない直線だけれど、じっさいはでこぼこ道や曲がりくねった道、地図さえない、それもまた人生。らしいです。これは美空ひばりから聴いたお得な情報です。

わたしはまず、出口がほしい。「責任」がとりきれなくなって足のすくむ瞬間は誰の人生にもあるのではないか。というか、生まれてしまった時点からそんなもんとりきれるわけがない。赤ちゃんに責任はない。安田さんは言うなれば赤ちゃんとおなじほどの無防備な状態で捕まっていたのだと想像する。だんだんと長ずるにつれて近現代の人々は「責任」のリニアな時間を生きるようになる。しかしわたしがたいせつにしたいのはそこからの出口。

神さまとか運命とかを、わりと素朴に信じている。いかんともしがたい偶然性に見舞われること。これがじぶんにとっての大きな出口につながっているからだと思う。息が詰まりそうな隘路に迷い込んでも、祈りをささげれば広くて深く呼吸のできる場所へと抜け出せる。べつだん特定の宗教に帰依しているわけではない。出口に向かわずとも「出口がある」と信じるだけでだいぶちがう。蕩尽されてしまわない無限の時間があると。そこに置かれる恐怖と裏腹の安心だ。テロリストの自由にされることは意に反するが、運命や神さまの自由にされるなら恐怖もそれなりに受け容れられる。生きようが死のうが仰せの通りです。

これは私的な感覚でしかありませんが「責任」の根底にはあらゆる資本を使い果たそうとする欲望が横たわっているような気がします。それで現代のおおかたの世界はまわっている。「責任」が過度に問われる社会は、“かぎりないもの”を忘れてしまったんじゃないか。わたしは「有限の時間」と「無限の時間」とのバランスをとりたい。

またわけわかんないことを書いている気がしてきたのでやめよう。要するに、頓珍漢ではない受け応えを一所懸命しようとするとこんな感じになるというひとつの例です。ハーバーランドの私的なリベンジも込めて。いずれにしろ頓珍漢だ!と言われようとも。まあ、頓珍漢でもいいんです。なにより安田純平さんが解放されてよかった。おわり。





コメント

anna さんのコメント…
この画像、すごい!一体、どーやって作るんだろ。
安田さんは、ともあれ解放されてよかったですね。
nagata_tetsurou さんの投稿…
iPhoneのアプリを何個か組み合わせて加工します。えらく無為なことをしていると思います。ただ、(わたしが)たのしいだけです。安田さん、そうそう「よかったですね」のひとことがあればいいんです。あとは余談。