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日記637


ヒゲ剃りを買いました。電動のちゃんとしたやつ。初めてです。安いカミソリを使用しつづけていると肌を傷めて将来ゾンビみたいなベロンベロンになると思い、ようやくヒゲだけおとなの階段をのぼりました。ほかはまだ。もうおとななんだからヒリヒリしないの。

よろこび勇んで、買った日にさっそく使ってみました。使用後、しばし困惑。調子よくジョリジョリ剃ったはずなのに、成果物としてのヒゲがどこにもない。消えるのです。なんだ?わたしのヒゲはどこへいったのか。PHILIPSの5,000円ほどのヒゲ剃り。ヒゲが飛び散らないのはよいのだけれど刃の部分を取り外してみてもどこにあるのか謎。思わず検索してしまいました。「PHILIPS ヒゲ どこ」。すごくあたまの悪そうな検索ワードです。

取扱説明書を読んでも消えたヒゲについては書いていません。神隠し。内部に溜まる仕様であると調べがつくまでの所要時間、数十分。そうだろうと思ったよ。中途半端な分解ではそのセントラル・ドグマまでたどりつけないらしい。ヒゲを溜めておく趣味はないのですが……。

そういう趣味のひと用だったらちゃんとそう明記しておいてもらいたい。「溜めるタイプの人類用」と。わたしは即刻ヒゲとおさらばしたいのです。ひげよ、さらば。と思っていたのに。でも剃り心地はよいです。軽く当てるだけでいい。やさしい。



11月5日(月)


ひとりでよく行く屋上からの眺め。「ここにいると人生からいち抜けた感じがします」。「あそこの階段で20秒くらい電話したい」。「音楽は意識の乗り物だと思う」。なんていろんな話をしながら、友人とふたり。たとえばもし、じぶんのこどもができても、「この世界はすばらしい」とはとうてい伝えられない。とわたしが言う。いやー「愛すべきクソ」でいいと思いますよ。と返されて笑う。

ひどく青臭い話題だけれど、「青臭い」で片付けてしまえる問題でもない。「青臭い」と一笑に付されるようなもののすべては、ほんとうは人生を通して考えても足りないくらいの事柄ではないか。たとえば愛について。あるいは死について。幸福について。思っているけど言わずにいる日々の細かなささくれについて。たまにはお話しよう。議論とか仰々しい感じではなく、あくまで軽いトーンです。いつもの延長にあることを。

じぶんが肯定できない苦い世界に、あたらしい他人を連れてきてもいいやらわからない。いつも「死すべき存在」だというところに思いが至る。誰もが死ぬというふつうのこと。何度も何度も言い聞かせる。まだまだ首肯できていない。生を付与することは、死を付与することもふくまれる。「おめでとう」なんて言ってらんないってのが本音です。わたしは沈鬱な思いで赤ちゃんを抱きしめる。きっと、だから大切になる。世の中の価値観は倒錯している。すばらしいわけがない。

肯定せずとも愛せるのか。愛は肯定のことばではなかった。あとで、そう思った。在るものをただ、まなざすことが愛だと思う。否定でも肯定でも、良くも悪くもない。どんなに不都合でも醜くとも悲しくとも「然り」と言う。目にうつったものを真摯にまなざして、まずは「そうだね」と言えるか。「あるものはある」と。「うんこはうんこ」。「あなたはあなた」。「A=A」と。しかと見留めて把握したうえで、みずからの行動や論理や感覚を重ねてゆく。そこからしか「愛のある」ものはできないのではないか。しかし、見るだけのことがとても困難。不都合なものや醜いものはなかったことにしたり、べつのものに変えてしまいたかったり。それが人情です。

なんつっても、こんなこと考えずに生きているらしい。ほとんどのひとは。噂によるとそうらしい。それでもいい。でもそんなんでいいのかな。いいんだろう。いいなー。わたしたちは身勝手な存在としてある。あたまの固いことを考えるのも勝手だろう。70歳になった沢田研二もまだ勝手にしている。まさしく思いきり気障な人生。キザって「気に障る」と書くの、いいですね。勝手にしやがれだ。いいことば。

わたしは元モーニング娘。のなっちとおなじで、悲しいニュースが嫌だからニュースはあまり見ない。いい年なのに。目に留めるだけのことでも、むずかしい。なっちはもう37歳だし、変わったのかな。悲しいニュースもちゃんと見ていますか。10年以上も前に聞いた、なっちのことばをわたしはいまだに採用しています。


カフェオレ。

ゆっくり。じっくり。いい時間でした。





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