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日記661



テイラー・スウィフト、ジャスティン・ビーバー。卍。LOVE。二。の落書き。ぱっと見ると外国っぽい雰囲気も感じる写真。Bieberの3文字目の「e」が好き。いいしゃくれっぷり。「卍」の下へ向けたはらい方もいい。

人が落書きをしてしまう精神性がきらいではありません。もちろん落書き自体はほめられたものではなく、迷惑行為です。でも人間が失ってはならないもののひとつとして「落書きをしたくなる精神性」はあると思う。

このブログも言ってみれば、落書きです。他ならぬわたしも落書きをしてしまう人間。よくネットの書き込みは「便所の落書き」などと揶揄されます。なんの目的もなく書くだけ書いてあまり読み直すこともせず立ち去る。街角に落書きをするような、丸善に檸檬を置き放して去るような、無意識にさえずるような、そらごとめいた悪戯っぽさだけを残して身体は消える。

既存の秩序をほんのすこし逸れて、それをそのままにしてどこかへ行く。ここにわたしはいません。眠ってなんかいません。千の風にもならない。端的にいない。気まぐれにまたちょっとだけ戻ってきて、すぐ去る。

わたしにとってのインターネットは、逸脱の世界です。お行儀のよろしい「正しさ」が喧伝されるようになって久しいけれど、ネットの個人的な原体験には逸脱があります。ブラウザをひらけば日常とはかけ離れたおもしろいものが見られる。狭隘な愛にあふれた未知の世界が拓ける。オブセッシブな衝動が野放図に転がっている。一生かかっても出会えるかわからないような、妙ちくりんな人がたくさんいる。そんな場所の存在が、中学生の自分を支えてくれた。00年代の初頭。

そこにあったのは、安易に判じることのできない空間の魅力です。まだ強い陽の光が当たらない時期でした。しかし黎明は過ぎつつある、そんなころに自分の原体験があります。いまではネット上にもすっかり陽がのぼり、どこを見てもまぶしい。光にさらされる。まぶし過ぎて目眩がします。このままでは盲いてしまうから、靄がかったやわらかな光の射すところを探ろうと必死でいる。

はっきりしたものは、つまらないと思う。虚も実もあいまいなこの世ではないか。色数も判然としない虹色のとりどりは、しかし鮮やかでもある。そこには正解も真実もない。視覚の効果と、それを脳裏にうつす感受性だけがあれば。どこの誰だか知らない人の勝手な落書きから、好きな色を見つけ出すこともできるだろう。

クリスマスの日に付き合い始めた彼女が、数日後とつぜん音信不通になったという友人の話を聞いた。共通の知人にも連絡を頼んだが返事がないらしい。いきなり蒸発するような性格でもないという。彼は電話越しに涙ぐんでいた。「無事であればいい」とふるえる声で言う。付き合い始めで、まだ職場も住所も知らない。つながりは携帯電話ひとつだった。なにもわからない、不確かで、あいまいな状況。想像に頼るほかない。どうしようもない。

きっとそんなときにこそ人の知性が試される。手がかりのつかめないものをどう描き、どう自分を落ち着けるか。あるいは奮わせるか。「わからなさ」との関係の切り結び方。「あみんでも歌って、待つしかないね」と軽口を叩く自分はいい気だなーと思った。たとえば雪山で遭難したとき、そのことの深遠な意味を探っていても埒が明かない。歌でも口遊んで、地面に落書きでもして、わたしは待つわ。なにかを。


野良ポテト。

なんとなく、昨年こころがけていた体型維持方法を記しておきます。まず1日2食。日に12時間以上は断食。食事の量や内容は気にしない。酒量は減らす。20時以降は(なるべく)食べない。週に2日か3日の筋トレ。散歩する。規則はゆるく運用。これくらいです。

いまのところおおむね習慣化できているので、維持できればこれから先そんなに体型が変わることもありません。意識レベルが以前よりクリアになりました。身体とは死ぬまでつきあいます。一生のことです。習慣化がたいせつ。ゆるくルールを課しておく。

昨年末からの食後の腹痛は回復傾向にあります。
たぶん……。少し違和感はある。

回復傾向にあってほしいと願います。


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