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日記664


自分が性的なふるまいをしているつもりはなくとも、そこにはつねに性が読み込まれる。男性として生きていれば「男性として」読まれている。こちらも意識的にせよ無意識的にせよ適当に相手の性を読むだろう。

不遜ながら、あんまり性に頓着したくない思いがある。たぶん遺伝子レベルでコードが刷り込まれていることはわかる。あるいは文化的なレベルのコードもある。視線やことばや、ふとした仕草にさえ性が絡む。まるで宇宙から注がれ続ける放射性物質のように。

それはいたるところで観測される。できるならその根源をたどりたい。目先の欲望には与さない。わたしはかつて、わたしではなかった。男性ではない。人間でもなかった。自分が地球もろともケプラー軌道に縛られている不思議を思う。いつも。そして死すればふたたび、わたしではなくなる。

はじまりと、おわりが気になる。「賽は投げられた。わたしは本を書く。それがいま読まれようと後に読まれようと、大したことではない。たとえ百年待たされてもかまわない」とケプラーは“Harmonice Mundi”の序文に書いた。科学者の遠いまなざしにあこがれている。いったい未来の何を恐れることがありえようか。

先日、twitterで流れてきた単細胞生物が死ぬ動画を見て、ヒトもこんな感じなのかなーと思った。中身が外へ溶け出してしまう。星をちりばめるようにぽろぽろと、零れる。人間も意識のうえではすこしずつ身体ごと空間に溶解してゆくような、ぽろぽろと抜け落ちて、死ぬときはそんな感覚だといい。いや、わずか1日が尽きるだけでも意識の溶解は感じられる。きのうという日のわたしは溶けた(追記:同じようなことをひとつ前の記事にも書いていて、老人の繰り言のよう。まわりながら溶けて滲むリフレインのようなこの日記)。いまも溶けている。熱が放たれる。内側から、外側へ。

いちばん最期は擬音にすると「にゅ」。にゅにゅにゅ。眠りに入る一瞬の擬音もそんな感じかも。身体から溶け出る。「にゅ」っと動きが止まる。ついに観念したかのように、個としての輪郭がなくなる。安閑と弛んで、ひとつのかたちから、いち抜ける。死の擬音は「にゅ」。





祖母を見ていると、「ぽろぽろしているなあ」と思う。日毎に抜けている。何が抜け落ちるのか。おそらく現在時の感覚がひとりでに抜け出す。広い世界と密通して“いまここ”から消える。忘れる。あるいは過去へ飛ぶ。祖母がぽろぽろと空気に浮かべてしまった「いま」を、拾う作業が日常にある。狭苦しいよね現在なんて。ここにしかいられないなんて。自分もそう。わかる。でもなるべく丁寧に、「いま」はここに在ります。と。なんとなく田中小実昌の小説が読みたくなる。ポロポロ。


1月18日(金)


ちょっと筋トレのメニューを変えたら、今朝は筋肉痛です。ゆっくりすこしずつ体型が変わってきたかなーという感じがします。柔軟も忘れずに。見た目よりも「動きやすさ」をとにかく目指していきたい所存です。動き方も含めて。いままで自分の身体がどんだけ重かったことか。体重のことではなくて、錆びついていた。ひとつ動かすごとに人知れずギシギシ鳴って。こんなことでは行動力も落ちます。

メガホンで「去年、彼女できなかったなー」と言いながら焼き芋を売っているあんちゃんに、「ことしできますよ、絶対できます」と無責任にお伝えしながらお芋を買いました。「そう?」ってまんざらでもない反応。わたしはこうした、そこらに転がる些末事を守りたいんです、たぶん。なにが幸だとか不幸だとかも関係ない。知らんがな。もうたいていのことはどうでもいい。これでいいじゃないか。バカボンのパパみたいだけど、これでいいのだと思う。老後かよ。

すでにあるものを拾うようなイメージ。目の前にあるものを逐一、拾う。無言で焼き芋を買うよりも、発言を拾う。気になるものがあれば写真を撮る。おもしろいことがあれば人に話す。適当な思いつきでも同じようなことでもなんでも書く。「もうお前は逝って良し!」と神さまからお赦しが出るまでそれをつづける。あるものを拾うこと。修行です。フットワークは軽く。部屋から出て、拾う。いつも人間の集団が苦手だなーとぼんやり思うけれど、もはやがんばるしかありません。頭ではわかりきっていることを身体に注ぎ込む。

ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』(水声社)という本をブックオフで安く買いました。そしてこの本のamazonのレビューで小谷野敦さんと出会う。比較文学者で小説家の。ことし初小谷野です。まいとしamazonで出会う。わたしにとっては密林に潜む比較文学者。遭遇率の高さよ……。星ひとつの低評価で笑ってしまう。必ずしも見解は一致しないが何につけてもはっきりしているお人柄は、とても好ましく思う。小谷野さん曰く「学問とは言いがたい」そうなので、ひとつの想像力の軌跡として読もう。


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