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日記665



1月19日(土)


第4回ウェブメディアびっくりセール@二子玉川へ。デイリーポータルZが主催する、ウェブメディアのびっくりセールです。「ネットの人」がそれぞれのブースを構えて会する。TBSテレビのブースなんかもあったかな。要するにびっくりセールです。

物見遊山でふらふらと、15時ごろに到着。思っていた以上の盛況っぷり。会場の前にびっくりセールとは関係のないスケートリンクがあって、そこで滑るファミリー層もわんさかしておりました。「妙な企画のわんさかvs二子玉ファミリーわんさか」という水と油のような構図をしばし眺める。

入り口に立ったとき、人間の多さと狭苦しさに「いやだ、こんなところへ好んで入りたくない……」というためらいがありました。スルーして多摩川を散歩しに行こうかとも考えましたが、意を決して入ることに。あたりまえだけどゆっくりしてはいられません。人が多いとそれだけ慌ただしくなります。流れをせき止めないように気を遣う……。

ざっと見て、ざっと帰りました。上の写真は会場で売っていたマスクです。「今日は早めに帰りたい。」というの、自分の気分と見事に合致。スケートリンクの横に落ちていたやつ。誰か落としはったのか。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」のブースで販売されていたグッズ。キャッチフレーズがメディアの自乗。






人混みにせっつかれつつも、それなりに楽しみました。「東京別視点ガイド」のブースでトートバッグと薄い本を購入。好きでよく閲覧するサイトです。路上に落ちている片手袋の分類図トート。「わたしも手袋よく撮るんですよー」とお話すると「そうですかー」と言われました。「そうですかー」としか言いようがないですね。たぶん編集長の方だったかな……。わかんない。トゥーシャイシャイボーイなので人の顔をなかなか見られません。うつむき加減に頬を赤らめながら会話するボーイです。

そして鹿児島をアツくユルく紹介するWebメディア「KagoshimaniaX」のブースで、ちんこ団子を購入。「ちんこ団子ください」というセリフは、これから先の人生の中でも言う機会があまりないだろうと思って。せっかくだから「ちんこ団子ください」と言いたいがために買いました。

鹿児島の方言で「小さい」というような意味だそうです。ふつうのおいしいお団子です。ちゃんとした商品名です。男性器は関係ありません。でも「ちんこ」と書いてあったらどうしてもそこに目がいってしまいます。あまりにもストレートな表現ではあります。ずるいなーと思います。売り切れ寸前で買いました。

「ちんこ」と名付ければどんな商品でもそれだけでそこそこの耳目を引き、売れるのではないかと思えてきます。人類史も例外ではなく生物学的な生殖を基に紡がれてきた歴史を鑑みるに、これは進化心理学的に正しい「売れる」商品名なのではないか。自分のブログ記事のタイトルも「日記665」とか、やる気も味も素っ気もないものではなく、「ちんこ665」にすればまさにやる気まんまんの教師びんびん物語でギンギラギンにさりげなくアクセス数もうなぎのぼりなのではないか。即映画化決定ではないか。タイトルでちんこをカウントするブログにしようかな。わけもなく。入眠前に羊を数えるように。

しかしネット上には、「ちんこ」があふれ過ぎています。twitter等でみんな「ちんこ」や、それに類することばを書き込み過ぎです。ネット上での効果はあまり見込めなさそう。やはり「ちんこ」をリアルの場でパッケージ化して自然に販売できるのは、鹿児島ならではの強みです。方言という方便がある。あくまで方言なんだからね!お団子なんだからね!ちんこだけど!ちんこだけど!




写真を加工してみたので載せておきます。
加工の動機は不明。

びっくりセール会場の外で、人だかりを見た何も知らないマダムの御一行が通りすがりに「なにやってるんだろうね?」「……ウェブの?大したアレじゃないね!」 と会話を交わしておりました。べつの老夫婦は、お婆さんが「うぇーぶめでぃあのびっくせーるだって」とつぶやくと、お爺さんが「はあ??」と大きな声で聞き直していました。

そんな交わらない平行線のあいだに佇むだけでも、十分おもしろかったです。人間を分かつ交差点ができていた。わかる人、わからない人。好奇心を向ける人、自分には関係ないと結論づける人。反応がおもしろい。自分の強みのひとつは、好奇心だと思う。

見て、聞いて、なんでもひとりでおもしろがっている。ひとり上手なのだと思う。ふたりや3人、あるいはそれ以上との共有は、へたなほう。というかべつに、他人と価値観を同じくしようとは思わない。押し付けたくもない。わかられたくもない。かといって他人に背をむけているわけでもない。しかし疎外感はどこにいてもある。







土曜日の15時過ぎ。陽の傾きかける、もうすぐ16時ぐらいの時刻に。よく晴れて、月がうっすらと覗く。多摩川は平和。うそみたいだなーと思えるほどの多幸感につつまれる。みんなうそをついているんだと思う。メッキの、ありがたいうそです。このうそのおかげで息が継げる。じゃあ、「ほんとう」は?知らない。この世にはうそしかないよ。メッキを剥がせば、また別のメッキがむき出しになる。

凧揚げをする人。土手の傾斜で滑ってあそぶ親子。階段に座ってビールを飲む白人男性。寝転んで手をつなぐカップル。走りまわる小さなこどもたち。体操をするおじさん。柴犬とお散歩をするお婆さん。階段をゆっくりと降りる家族連れ。「おりるほうがつかれないよね!」と幼稚園生くらいの男の子がお話をする。「でも膝にくるのよ」とお母さん。

すこしだけ、新宿みたいなゴミゴミとしたせわしい殺伐感が恋しくもなる。ないものねだり。深く呼吸をしながらも、真綿で首を締められるような幸せだった。気が狂いそうになる。うまくこの空気を泳げない。まるで魚になった気分だよ。まるで水槽の中の魚。まるで泳がない魚。こんなに晴れて乾いているのに、全身に水分がまとわりついているような。

自分が、このような陽のあたる道を歩いていてもいいのだろうかと疑問がよぎる。へんな罪悪感はどこからくるのか。べつに社会の裏街道を歩いてきたわけでもないのに。人畜無害で健康優良なのに。膝からくるの?お母さん。いいえ、膝にくるのよ。

安井かずみを聴きながらしばらく歩く。
ラジオに切り替えてから、帰る。





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