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日記668


四海、波穏やか。

どうすればなんもかんもみんな綺麗に得心がいって終わるのか、みたいな「最終回答」を探している気がします。自分の考え方の核には「終わらせること」が、ずしんと重い腰を据えながら鎮座して動かない。答えなんか得られはしないのだろうとわかっていつつも、暗闇の中で薄明の射す時間を幻視している。夢見ている。夢見る頃を過ぎてもなお。

納得できない物事には圧倒されます。気圧される。ときに迫りくるその圧力を押し返そうと反発もしてみるけれど、そんなことをしても無駄だとのちのち悟る。お決まりの反省。理解できないものは理解できないままに受け容れるほかない。もちろん、あたまが足りない部分もあります。時間が足りていない場合もある。焦っている。もっと老いたほうがよいところ、どこか若さを逸してしまったところ、両面がある。

さいきん英単語を覚え直しています。ほとんど忘れたことをもういちど。同じ単語の意味をそっくりそのまま繰り返していると、徐々に記憶がつながれてゆく。わたしの記憶は混ざりやすい傾向があると、学習の過程で思います。記憶力はたぶん悪くないけれど、滲みやすい。単語の意味が脳内で入れ替わってしまう。特に「con」から始まる単語はまぎらわしいんです。

「英語の本をじかに読みたい」という漠たる思いが何年もあったから、遅まきに始めてみました。いっぽうで「語学は苦手だ」という学生時代の意識も抜けない。でもコツコツやる。もう勉強は「やらされる」ことではないんだから、苦手に思う必要もない。サボっても間違えても咎める人間はいない。語学なんて間違えてナンボです。

というより、ありとあらゆる学習は「間違い」をつぶさに見つめる時点から推力を得ます。「間違い」から始まる。いかに間違ったのか。なぜ間違ったのか。自分はどんな間違いを犯しやすいのか。状況やパターンの把握。そこから正常化へ向けふたたび行動をする。勉強に限らずそれができない人間は、きっとなにひとつ学べない。

言語学習は、「わからなさ」に蓋をする練習でもあります。なぜこの単語がこの意味なのか、突き詰めればわからない。よく人が連れて歩く四足で鼻が効く動物を“dog”と呼ぶことに必然性はない。同様に“犬”と呼ばなくともよい。dogと言い張れば犬はdogになる。

「言い張る練習」とも言えそうです。「犬ではない、dogだ!」と強弁し、意識に馴染ませる。でも、あの獣のどのへんが「d」で「o」で「g」なの?そんなの知らないよ。納得のいかない「わからない」ものも、振り切ってひたすら執拗に繰り返すのみ。蓋をするように。世界が滲み出してしまわぬよう、あの生き物を“dog”の中へ封じ込める。するとだんだん抵抗感なく犬はdogにもなり始める。dogへの抗体ができる。

語学に「答え」はないんだと思います。母語である日本語でさえ「身についている」とは言いがたい。うまくことばにできないことのほうが多くて、まいってしまいます。計りきれない感情の一瞬の速度においてけぼりをくらう。涙も追いつけぬまま想いは時間を逆走して過去の裡に消えた。あれは何だったんだろう。やがて同じ空が明日を始める。衝動はもう夢の残滓のように覚束ない。

いつからか「わかんないなー」が口癖になりました。ネガティブな意味ではありません。ポジティブでもない。わからないものを、わからないままでもとりあえず受容する。無理にわかろうとしない。「わからない」の只中で溺れてしまわないように、浮力をつける癖です。

溺れないための口癖は、もうひとつあります。「おもしろい」。「わかんない」と「おもしろい」を繋げてブイにする。なんかわかんないけどおもしろい。あるいはわかんないから、おもしろい。これでわたしは浮かばれます。


数日前に、地元の小学生の絵や版画や工作やいろいろ並べられている展示を観ました。たまたまふらっと。たぶん、作品が選ばれた子のご家族くらいしか観にこなさそうなものですが、会場の雰囲気が賑やかで妙に元気づけられる展示でした。幸福度が2アップした。

地域の小学生の作品展、おすすめです。いまの若い人の感受性を知ることもできます。ふだん小学生と接する機会がないから新鮮。懐かしさもある。それと少しの意外性、同時に楽しめます。

ガストン・シェサックというアウトサイダーの画家と、似たようなタッチの絵があって記憶に残っています。好きな画家です。こどもの絵はだいたいアウトサイダー・アートっぽくておもしろいです。授業の一環で描いたんだろうけど、たまにプリミティブな切実さを感じます。「こうでしかありえなかったんだろうなー」みたいな。うまく言えないけれど。



コメント

anna さんのコメント…
おおっ!猫じゃ猫じゃ。どら猫の画像だ。
久しぶりの更新ですね。病気になったのかと心配してました。
英語は苦手です。
よく京都駅の近くを歩いてると外人さんにつかまって路を聞かれて「あうあうあう~」ってなります。
nagata_tetsurou さんの投稿…
そういえば、猫の写真を載せておきながら例示が「dog」になっていました。catのほうが整合的ですね。更新しない日がつづくと、半分くらい「いけね、annaさんに心配されるわー」と思って書き出します(笑)。あとの半分は気まぐれです。お気楽につづけますね。

英語は苦手なんですね。語学が堪能そうなイメージがありましたよ。京都は、わたしが観光で赴いたときにも外国の方に道を聞かれました。わかんないときは神妙な顔で「アイムソリません!」と言い張ればいいですよ。