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日記677



写真は大阪モノレール車内より。千里中央駅。
の、少し先。

ぼーっと座っていた。
モノレールが半端な位置で止まる。
なんか、おかしいと思った。
人がいない。

終点なのに降り忘れてしまった。
ほんの刹那、閉じ込められたかと焦る。
べつの車両に制服姿の人が見える。
お兄さんに平謝り。
「少々お待ちください」と言われる。

次の発車時間まで待機。
思いがけない空白の時間。
音楽をかけたり、写真を撮ったり。
誰もいなかった。

数分後には戻って、ちゃんと降りた。
外れた軌道から日々の軌道へ。
誰もが通る道へ。
へんに淋しい気もしつつ。
わたしたちに許された特別な時間の終わり。
小説のタイトルみたいな心地で。
二月のこと。

偶然であればあるほど忠実に一篇の詩はできていくそうです。泣きじゃくりながら。「二月。インクをとり泣くこと!」というボリス・パステルナークの詩にそうあります。工藤正廣の翻訳。同じ箇所の訳で「手の向くまま だがそれだけ 誠実に/詩が さめざめと 書かれていく」というものもありました。工藤順さんの個人ブログより。

題は「二月だ インクをとって泣け!」という訳が一般的かもしれない。「二月。インクをとり泣くこと!」は『亡命ロシア料理』(未知谷)という本にあった訳語です。私的には「泣くこと!」が好みです。

原語のニュアンスは不勉強ながらわかりません。でも「泣け!」とストレートな命令口調だと「やなこった!」と反射的に抵抗する天の邪鬼な性格が自分の心にはあらわれてしまいます。「泣くこと!」なら、すでにそう決められていたような、より大きな感覚で響くと思う。発語する主体が一個にとどまらない。悠かな過去から、あらかじめ響いていた声のごとく。

二月はインクをとって泣くこと。
二月の出来事を、まだ書いている。
キーを打って思うこと。




長時間のバス移動は疲れます。新宿から大阪までの移動だと、休憩もふくめて8~9時間はかかる。座っているだけですが、それがゆえの疲労感はバカにならない。そこで、疲れないための方法をあれこれ調べました。しかし、経験と照らし合わせた自分の結論としては、そんな虫のいい方法はありません。ないと悟る。何度か往復してわかったベターなやり方は、「ちゃんと疲れること」なんだと思います。

そう、ちゃんと疲れる。それには休憩時間の過ごし方がとても重要です。わたしはバスから降りるなり、なりふり構わず死ぬほどスクワットをします。あるいは、なりふり構わずHIIT(高強度インターバルトレーニング)をかまします。4分間の全力運動。あるいは、ベンチに手をかけて全力で腕立て。その場で腿上げ。のち走り込み。むろん、なりふり構わぬ。

つまり、休憩なんかしないのです。運転手さんとサービスエリアの甘く誘う罠に騙されてはいけません。わたしにそんなヒマはない。とにかく疲れるのみです。みずから積極的に疲れる。そして運動後は軽くストレッチ。バスに戻ったら水を飲み、バナナやおにぎりを食べてしばしクールダウン。

健全な長時間バス移動の方法は、いまのところこれしかないと考えます。移動で「疲れさせられる」よりも「真っ向から疲れにいく」ほうが疲労感の後味がまるでちがいます。ほんとうにまったくちがいます。これはバスで長い時間を移動される紳士淑女皆々さま方に強く推奨したいところの方法であります。

プラス、水分を切らさないこともたいせつです。水を飲みまくる。そして運動をする。すなわち血液をぐいぐいまわしつづけるのです。滞らせない。「疲れさせられる」と「真っ向から疲れにいく」のちがいとは、「血液の滞留する疲労感」と「代謝の向上や筋損傷にともなう疲労感」のちがいです。

「ダウナーな疲労感」と「アッパーな疲労感」とも言えます。つまるところ、静と動の差です。わたし自身はなんか知らんけど動物として生きているみたいなので、動的な疲労が向いているかと考えます。いわば明日につながる疲労です。「自分はどちらかというと静物なんです」という方にはおすすめいたしません。

着想としてはアクティブ・レストみたいな疲労回復方法にちかい。でもちがう。むしろアクティブ疲労です。GET TIRED!!! 疲れ、ゲットだぜ!!「ちゃんと疲れる」という考え方は日常でも使えるかもしれません。人生は疲れます。疲れない人生はない。疲れるからにはちゃんと疲れたいものです。で、ちゃんと死ぬ。以上、お役立ち情報でした。


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