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日記692



 庭の反対側でイシュトヴァンの携帯が音を立てるのが聞こえた。おそらくタクシーの運転手が電話してきたのだろう。私は深呼吸して、温かい濃密な空気を、このかぐわしい夜を吸い込んだ。ほろ酔い状態では、こうしたことのすべてがいつか自分の手の届かないところへ行ってしまうというのは、まったくありそうにないように見えた。いつか私が死んで、この空気を吸ったり、こうした音――コオロギ、車、言葉、携帯の音――を聞いたり、血液中に希望に満ちたアルコールが流入して世界がその不確かな約束を押し込んでくるのを感じたりすることがなくなるなんて。それが一度きりのことで、二度とないと考えるのは馬鹿げているように見えた。p.284


マーク・オコネル著『トランスヒューマニズム 人間強化の欲望から不死の夢まで』(作品社, 松浦俊輔訳)。amazonのレビューで「翻訳に難あり」と書かれていた。でも、わたしはそれほど気にならなかった。相性かな。鈍感なのか。なんでも「そういうもの」として受け入れてしまうハイパー素直な人間だからか。

というかまず、みずからの理解力を疑うくせがある。わたしに難がないか。内向。それに英語が得意でないから、訳してもらえただけでもう大感謝しちゃう(ハイパー素直に!)。できるなら原書を読みたいもの。それができればいちばん確実。自分にも相応の英語力があれば。

引用した部分。ほろ酔いで夜風にあたると似たような気分になる。生にも死にも、希望にも絶望にも振れない加減がいい。結論はいつも、「馬鹿げている」。こいつがちょうどいい結論だった。とうのむかしに忘れたはずの約束をふと、思い出したような感懐にあって口を吐く悪態。ちくしょう。

トランスヒューマニズムとは、技術によって人間の超越を目指す思想。信仰にちかい。身体の拡張、脳インプラント、寿命延長……といった考えにとりつかれた人々を追うルポルタージュ。著者は文芸批評なんかも書くライターだそう。

読みはじめから、どっちつかずなものの見方が信頼できた。半信半疑。ときに生きることも死ぬことも「馬鹿げているように見え」る、そんな地平からのまなざしなのだと思う。定まらないことばの身振りに共感をおぼえながら読み終えた。

たまには本の感想でも、と書きだしてみたけれどつづかない。借りた本で、もう手元にないし。まいっか。ひとつだけ、短く。死は世界との約束なのだと思う。わたしの生きる時間より遥かにむかしから約束されていた。わけもなく押し込められた、不確かな約束のかたち。生きる時間とは、まだ果たせない約束の埋め合わせでしかない。死の約束を反故にして、きょうもわたしは生きている。などと、あまり関係のない感想。

トランスヒューマニストたちは、未来に待ち受ける死の約束を破ろうと腐心する。しかしそれは逆説的にも、“約束を果たしたい”という欲望と底のほうで通じるのかもしれない。同じ約束へ、べつの抜け穴から向かうような。ただ、のたのたと生きることに飽きてしまった。彼らはきっと、約束の時間まで待てないのだろう。焦燥とスリルが駆動する信仰。宙吊り状態の約束に、さっさとケリをつけてしまいたい。その気持はわかる。

さいごの約束をえんえん果たせないがために、わたしは目先の細かな約束を取り付けるのだと思う。それすら、果たせないときもある。反故に捨て置いたことばが多くある。果たせなかった幾多の約束の埋め合わせが「日記」と銘打たれた雑文としてあらわれるのだろう。そんな、まるで関係のない感想。

未来とは、約束なのだ。約束がないなら未来もない。きょうは会えるかなーと勝手に期待して、きょうも会えなかった。たとえば日々のうつろいはそのような約束としてある。いつも会えない。でも心のどこかで期待してしまう。約束が破られたわけではない。一方的な、手前勝手な、約束未満の約束だった。わたしが約束だと信じているだけの、実体のない約束。May god be with you. 神さまとともにありますように。眠る前の暗がりにGood byeの語源が浮かんだ。約束を逸した祈りのことばが通り過ぎる。まだ名前のない無数の思いとともに日が明け暮れる。さようなら。おやすみなさい。あしたは会えるかな。約束通りに。


 

 6月9日(日)


「みんなちゃんと昼間っから飲んでるね」と、お昼からやっている立ち飲み屋を横切ったとき父がつぶやいた。昼間から酒を飲んでいる人々に「ちゃんと」と修飾をつける。自分はこの人の一部からつくられた生きものなのだとあらためて思う。

「ちゃんと」を辞書で引く。「少しも乱れがなく、よく整っているさま」や「確実で間違いのないさま」といった説明がみられる。父にとって、昼間から酒を飲んでいる人間は確実で間違いのないおこないをしているのだろう。ああその通り。立派な人間だ。反論の余地はない。何気ない、ほんとうに何気ない父の「ちゃんと」をちゃんと噛みしめた。そんな日曜日の見送り方をして、いまはもう水曜日が終わる時間です。




コメント

anna さんのコメント…
「ちゃんと」って面白い表現ですね。
「ちゃんと」のもう片方の意味だと「少しも乱れがなく、みんなよく整って昼間っからお酒を飲んでる」って意味になりますが、シュールな絵柄です。
ということで私も確実に「ちゃんと」レスです。整ってないけど。
nagata_tetsurou さんの投稿…
ちゃんと補完してもらえて、ありがたく思います。藤子・F・不二雄の『気楽に殺ろうよ』みたいに価値観が逆転した世界ですね。昼間からの飲酒が正しい世界。annaさんはいつもちゃんとこのブログを読みすぎていて、価値観が変質していないか心配です。そんなことないか。でも言語は伝染病ですから。慰労会をひらきたいくらいですよ。笑