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日記694



メモを消化したい。「なにをあるとみなし、なにをないとみなすか。人の世界認識はこれっきりではないか。ことばの運用の仕方も」とEvernoteにメモ書きが残っていた。でもなんだかわからない。いやわかるようなわからないような。詳しい話を聞きたい。5月8日のメモだった。すこし前の、自分の考えがもうわからない。

ひらめいたその日に書き始めないと忘れてしまう。それか、もっと詳細にメモをとらねば。宇宙の真理を逃したかもしれない。革命的なアイデアだったかも。他にもわからないメモがいくつかある。革命前夜で止まった時間。しかし、ただの思いつき以上のものはない。それがいかに革命的だったとしても。革命とは、思いつきで敢行されるものだと思う。

4月23日のメモに「駅の階段を全速力で駆け上がるとき、周囲からぎょっとされる感じちょっと好き」とあった。これはわかる。人がまばらな階段。コースの安全性を確認しつつ思いっきり息を吐いて、本気の1段飛ばしで駆け上がる。すると、すこしだけ目立つ。

あまり積極的に前へ出るタイプではない。むしろ余裕ぶっこいて最後方で俯瞰していたい。でも、このくらい、一瞬だけなら目立ちたい欲がある。瞬間的に全力を出して、何事もなかったかのようにすぐ戻る。歩行の時空間から、ひとりだけ全力疾走の時空間へ飛び、ふたたび歩行へと戻る。いわばタイムトリップ。時間旅行なのです。

他人の衣服に書いてある文字もメモする。「GREAT LONDON」と畑仕事をするおじいちゃんの帽子に書いてあった5月15日。背中に「光」、胸に「OWARI」と書いてある黒のTシャツを着ていた外国の方。腕に日本の国旗とインドネシアの国旗がプリントされていたから、インドネシアの方と推測されます。「光」と「OWARI」に挟まれるボディ。これは5月20日。

背中に筆文字で大きく「ごきげん」とあったTシャツのおじさん。黒地に白の文字。「ご、ごきげんなのですね……」と思いながらうしろを歩く。あれで不機嫌だったらおもしろい。ギャップ萌えだ。あるいは胸に「YOU ARE BEST」とあったおばあちゃん。ピンク地に、赤い文字だった。派手。あのTシャツもすばらしいものがあった。「イエス、アイアムベスト」と内心で応答しながらすれちがう。

ご老人は味わい深いTシャツを着ていることが多いように思います。「HAWAIIAN VIBES」と胸に掲げながら歩く、杖をついたおじいちゃんとか。どうかハワイアンのバイブスを死ぬまで忘れないでください。と思う。「非常口どこ!?」と背中にあるおじいちゃんもいた。まだ非常事態にもなっていないのだから、そんなに焦らなくてもいいよと思う。焦りを先取りしている。フライングゲットです。もしくは、生きていることそれ自体が非常事なのだとそういうことかもしれない。自分と似た考えかも。となると非常口は死の暗喩か。その気持ならわからなくもない。


存在と非在のどちらを取るか、選択の余地が自分にあるという考えは慰めである。それは、苦しい恐怖なしに生きる可能性を、ひとに与えてくれるのだ。そう、最終的な非常口はいつだって開いている。ただし、あらゆることを考慮してみるに、必要もないのに非常口に駆け寄ることはない。


グリゴーリイ・チハルチシヴィリ『自殺の文学史』(作品社)より。

あと消化すべきメモとしては、「この世は誰だかわからんやつが多すぎる」と。さすが自分。まったくその通りだ。自分をふくめて、もうどこを見ても誰だかわからん。街を歩くたび、みんな誰やねんと思う。尋ねてまわりたいくらいだ。「あなたは誰?」。宗教の勧誘と思われるだろうからしないけど……。「多すぎる」というより、ぜんぶ誰だかわからん。親も友人も「この人は誰なんだろう?」と思う。わたしも誰。この世の人間は、誰だかわからん。ずっと迷子のような気分だ。あの世は未体験ゾーンだから、わからんかどうかもわからん。




6月24日(月)


きょうはといえば、胸ポケにロトシックスを入れて歩くスーツ姿の若い男性がいた。ぜったい当たるよ、と思ってすれちがう。わたしはひとりでいても、見えるものや聞こえるものとえんえん話をしているのだと思います。一方的に。街なかでも文字をよく追う。記号という記号を読んでしまう。「わからない」という不安をやわらげるために、手がかりを探しているのだろう。すこしでもわかりたい。自分にはわからないことが多すぎる。






コメント

anna さんのコメント…
「非常口どこ!?」のTシャツ欲しい。
ロト6じゃないけど、この間、普通の宝くじで初めて1万円があたりました~。嬉しい。
次は、目指せ1億円かな。
nagata_tetsurou さんの投稿…
検索したら、ヤフオクで売っていました。「非常口どこ!?」のTシャツ。

annaさんは宝くじをお買いになるんですね。わたしは成人してから買ったことないかな……。たまにはいいかもしれません。当たらなくても、待っているあいだちょっとだけわくわくしますね。

華麗に飛躍しますが「待っているあいだのわくわく感」は、生きることそのもののような気もします。あるのは待ち望む気持ちだけ。でも、たまーに当たるんですね。忘れたころに当たる。望んでもいないときに、いきなり来られたって支度なんかできてるわけがない。準備を怠るとしっかり受け入れられない事態になります。だから、事前にあれこれ考えておこう。

1億円あったらなにしようかなー。

どんな願いも妄想じゃないんです。準備です。