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日記698



本屋さんへ行った。在庫検索機に「ギンガテツドウノヨル」と文字が残っていた。それを横目で確認して通り過ぎた。ここさいきんの出来事としてはまずこれを書き残しておくべきだと思う。

あと疲労のせいかたまに全身がピリピリします。針で刺すような神経性の痛みが間欠的に走る。しびれに近い。「身体って電気が走ってるんだよなー」とぼんやり実感する刺激。これは医者に言うべき事柄か。それ以外はおおむね健康です。おだやか。

おだやか。ながらも納得のいかない感情は内心に頻発しています。自分の感情であれ、他人の感情であれ。感情くんはいくら説明しても納得なんかしない。わからず屋です。おまけに欲深く、相手にするとつけあがります。かといって抑えつければ暴発します。

どんな論理でも納得がいかない。説明のつけられない。この感情とことばの不均衡だけが文章を書くに至る動機であるようにも思えます。追いかけっこ。どう足掻いても等質にはならない二要素をランダムに走らせる。文体とは、或る逃走線の軌跡です。浜辺で追いかけ合うんです。キャッキャウフフ。死ぬまで、しかもひとりで。笑けてきたらしめたもの。


将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを作ることにした。


これはネットで拾った「D・H・ロレンスの名言」です。遠くておおきな時間への不安をやわらげるためには、近くてちいさな時間へと移行するとよい。みたいな示唆が含まれています。たぶん。ものを書くことは、ここでいうマーマレードづくりです。手を動かして、時間のサイズをかたどること。

おおきな漠とした不安は消えないが、時宜を得たサイズに刻むことくらいはできます。絶えず時を細かく刻みながら、自分が苦しまずに済む間合いを保つ。目の前の出来事に留意する。それを書き留める。きょうはスーパーで背後から、「パパだいすき」という女の子の声が聞こえた。すぐさま「パパも○○ちゃんだいすきだよ~」と、浮かれた返答までばっちりだった。

しあわせそう。その意気やよし。でもそのままではいられない。どうしてだろう。やがて「パパだいすき」だけではなくなってしまう。これから先の未来、多かれ少なかれ複雑な感情を絡ませ合いながら「親子関係」が編まれていく。

それはその通りだろう。けれど、いまその未来を引き寄せてはいけないんだ。およそあらゆる人間関係はきっと、未来を引き寄せ過ぎると破綻するようにできている。ひとりきりの思い煩いだって、引き寄せた先には死があるのみだ。だから現在時に適切なサイズで脈絡をすくいとって切り上げておくことが肝要になる。

足元が揺らぐなら速度を落とす。いきすぎませんように。後ろ歩きで、未来へ入る。正面を切ってはいけなかった。背面からしか。おそるおそる。一文字一文字、置かれた舗石をたどるように。「パパだいすき」。あの子から、それ以外の声は聞こえなかった。いまは、そこだけにしか返事をしてはならない。「適切なサイズ」とは、だいたい眼球くらいの大きさか。つまり目に入れても痛くないくらいの。いま眼窩にまるく収まっているぶんだけを切り取る。




そうそう。なんにせよ、ものごとの理解には中断が必要であり(ちょっと待って、いったん整理しよう!)、「刻む」とはすなわち理解のための中断にほかなりません。理解をすれば「へー」と思えます。むろんそれだけです。並行してお菓子をつくれば「へー」に加え「おいしい」がついてきます。何日か前に、さつまいものチーズケーキをつくりました。「へー、おいしいな」と思いました。おしまい。




コメント

anna さんのコメント…
私は小さいころに父親がいなくなった関係で「パパ大好き!」って言った記憶がありません。
あ、でもゲームをする父親の横で「お父さん、すごーい、上手いー。」って言った記憶はあるかな。
さつまいものチーズケーキおいしそうです。見るからにさつまいもー。
nagata_tetsurou さんの投稿…
ゲームの上手なお父さんだったのかなー。人から話してもらえる記憶はすべて贈り物だと思います。枝分かれした時間をさっと連れてきてくれる。自分からはけっして見えないところで繁っている幼子と父親の断片。いただきました。チーズケーキも、おいしゅうございましたよ。