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日記715



出会いより別れのほうが多かった。一年のあいだ。歳を重ねたせいだろう。感傷はない。繰り返す日がありがたければ、移ろう日もまたありがたい。感謝というより、「ありえない」に近い意味でありがたい。まずはおどろいてしまう。いつもいつも。

冬は西日の色がいい。角度もいい。しかし西日の側からすれば射しているだけ。「いい」だの「悪い」だの、どうだっていい。ただまわっている。それがうれしい。いくらほめても、けなしても微動だにしない。文字通り、空を切る。通じない。ぜんぜん通じない。そんな世界に自分がいる。なんら通じなくとも。「通じなさ」を基礎とした世界に。




記憶とは「包む」ものだと思う。ことばがその包みとして機能する。そんなことを思った。包まずにいれば、こぼれてゆく。ことしは、あまり日記を更新しなかった。時間をかけてしまう。書いては消し、書いては消し。こぼれた。

その代わり、ではないけれど写真を撮っていた。これも包みになる。そういえばこの前、近所の神社で「写真お願いできますか?」と声をかけられた。うしろから。振り返るとスーツ姿の男性がいた。そばにちいさな男の子ふたりと、その母親らしき女性も。着飾っている。七五三詣でのようだった。

若いご夫婦。二つ返事でカメラを預かる。ちょこんとした袴姿の男の子ふたりは、緊張して顔がこわい。双子だという。笑顔が見たくて、「にこにこー」と言いながらおどけてみせた。大きく手を振ると、ためらいがちに振り返してくれた。その隙に撮った。

5枚ほど撮らせてもらう。ちゃんと撮れたか心配になる。いい写真が撮れていますように。「ありがとうございます」とお礼を言われて、くすぐったかった。「こちらこそ」と謎の返事をして立ち去る。ほんとうに、こちらがお礼を言いたい気持ちになった。へんにうれしくて。

写真の依頼はことし三組。うち二組は外国人。みな幸福そうに笑った。レンズ越しの画を鮮明に記憶している。貴重な経験だと思う。すれ違いざま、知らない誰かの目になること。わたしたちの時間を切り取ってほしいと、依頼される。

こんな役があんがい自分にぴったりなのではないか。名もなき通行人Aとして、一瞬だけ目を預かる。思いのほか大役かもしれない。七五三の写真なんか、のちのち長く残りそうなもの。旅行の思い出だって、場合によってはそう。でもわからない。

「わからなさ」もふくめておもしろい。そもそも声をかけられる時点からよくわからない。まったくのランダムで選ばれ、きちっと写真を確認する間もなくその場からいなくなる。いったいなにが起こったのか。

浅いような深いような刹那の関係。人との理想的な距離感にも思える。幸福そうな、たのしい時間を数分だけ共有して別れる。それっきり、おそらく二度と会わない。上澄みだけいただくみたい。せこい考えだな。都合がよすぎる。まったく。




「見る」ということについてぼやぼや考えていた一年だった。来年も引き続き考える。身体を意識する一年でもあった。必要以上に鍛えた。筋トレは論理的だと思う。対応関係のはっきりした動作を反復する。理論武装といってもいい。とにかく詰める。詰め込み教育。部屋では筋トレのみならずあれこれ詰めていた。

外に出れば走ったり飛んだり跳ねたり、こどもみたいに動きまわる。とつぜん歌ったり。論理とは程遠い。ばかなんじゃないかと思う。どんどんばかになる。でも、すこしはイカれていたほうがたのしい気もする。切り替えだいじ。コンディションは悪くない。幅広くいきたい。

来年も、地味に書きます。
よいお年をお迎えください。



コメント

anna さんのコメント…
明けましてです。今年も読ましてもらいます。よろしくお願いします。
私も知らない人から写真撮ってほしいって声かけられやすい体質だったような気がしますが、なんででしょうね。
でも、最近は自撮り棒で撮ってる人が多いせいでしょうか、あんまり写真撮ってって言われなくなりました。
nagata_tetsurou さんの投稿…
明けました。おめでとうございます。

京都は声をかけられる率が高そうですね。道を尋ねられることも。自分に関しては、ゆったりとした雰囲気が滲んでいるせいかなと思います。話しかけられる隙がある。見た目だけきちんとしているせいもありそう。いちおうきちんとしています。見た目だけ。

元日から風邪で寝込んでいます。これはこれで躊躇なく休むことができて良いと思う。きょうも順調に寝込みます。annaさんもご体調にはお気をつけて。でも、ひくときはひきますね。ことしもよろしくです。