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日記716



1月1日(水)


大晦日まで、ごまかしごまかし動いた。元日の朝、糸が切れたように動けなくなった。目が覚めてもまだ意識の届かない場所に身体が転がっていた。西暦何年だろうがどうでもよかった。気怠い。時間をかけて全身に意識をつたえる。朝らしい。2020年らしい。外は白み始めている。遠い未来に無理やり連行されてきたような気分だった。身体だけが2020年にいた。

おぼつかない足取りでゆらゆら起き出す。「あけまして~」の前に「風邪みたい」と家族に告げる。声は潰れていた。喉がざらつく。頭が重い。こんなとき特に、人間は水分なのだと感じる。血液が鈍痛を連れて身体の内側を泳ぎつづける。水の重み。頭の中まで水浸しだ。人は泳ぐ。陸上にいてもなお。全身を走る水分の波が、空気の中を、泳いでいる。

この日の午前は記憶があまりない。請われて近所の神社に行った。手を合わせた。何も思わなかった。さいふがなかった。身体だけがあった。午後から完璧にごまかしがきかなくなった。完璧に寝込んだ。パーフェクトだった。




1月2日(木)の午前まで頭痛がひどかった。頭痛には定期的に悩まされる。幼少期から。「瞑想でやわらぐよ」という話を聞いて、瞑想をするようになった。さいきんは、まいにち30分。以前より頭が軽くなったような気がする。「気がする」が重要だと思う。気休めのためにする。日々の習慣は、ぜんぶ。


 午後にはベッドにもぐってうつらうつら眠った。ときおり図書館に来る子どもらの甲高い声で目がさめ、びくりとしてとたんに動悸が早くなる。子どもの声になぜおびえなければならぬか、われながら不審だが、その声はききたくないと咄嗟につきあげてくる感情を消すことはできない。子どもらははにかみを失い横着になったという偏見が私自身をなやます。五時まえにベッドを出たところを、妻が鋏で私の頭髪の中の白毛を一本一本切りとりたいと言ってきかない。生え出てくるものは生えるままにしておきたいと私は思うのだが、つい妻のするままにさせようと傾いてしまう。p.238


島尾敏雄の日記『日の移ろい』(中央公論社)を読んでいた。病床での読書に適している。どこを読んでも物憂くて、すこしだけおかしい。子どもの声におびえて自分を不審がるようすなど。狙いすましたおかしみではなく、自然と湧くじわっとしたおかしみ。

わかりやすいおかしさはない。ときに変な夢を見るくらい。でも、どこかおかしい。ただ「そのまま」を書いているせいだと思う。「言いたい」という色気を感じない。言いたいことなんてひとつもない地点からことばが呼び起こされる。書いてしまう出来事だけをただ、書いてしまうにまかせた。出来事のために出来事を書く。それこそ日記だ。

不定形でたとえようもない日々に不感症的なことばがうごめく。わずかばかり、のそっと。動かす意志もなく。なすすべのない「そのまま」を書いてしまう。まさに天然色というか。このおかしみはたぶん、いとしさや、いつくしみにも近い感覚なのかもしれない。いつか、もし身体を悪くして入院する羽目にでもなったら、この本を枕元へ置くことにしたい。

やる気もやらぬ気もなく突っ立っている。やる気のある人は仕事を欲しがる。やる気のない人は仕事をやっつけたがる。両者とも仕事に対する意気をもつ。どちらでもない人は、ただ見ている。仕事なんてどこにもありはしないかのように。日の移ろいに、立ち尽くしてしまう。白毛の生えるままに。妻のするままに。

病床での読書というと、ヒルティの『眠られぬ夜のために』(岩波文庫)を思い出す。知らない人がブログに書いていた。「入院してこればかり読んでいる」と。がん患者らしかった。よく思い出す。ぜんぜん知らない人なのに。




1月3日(金)


足音がふだんより響く気がした。みなさん出払うせいだろうか。明けて三日目。近所は閑散としていた。靴が乾いた音を鳴らす。平日の住宅街もそう。自分の足音だけ、いやに響く。どこか知らない街の、がらんとした住宅街をたまにひとりで歩く。思い立ったとき。誰もいない。自分さえいないような。記憶だけが浮かんでいる。いつの記憶かも定かでない、あやふやな。足音が鳴る。過ぎていく。そのたびごとに。






コメント

anna さんのコメント…
風邪は治りましたか?
私も年末に風邪を引いて寝込んでました。
最初インフルかなあと思ったぐらいめまいがして頭が痛かったんですが、結局、熱はあんまり高くなく、その代わり喉がいつまでたっても痛くて咳込みました。やっと治りましたが、下手すると死んじゃうような変な風邪でした。

nagata_tetsurou さんの投稿…
まだ鼻水がずるずる出ます。わたしも似たような症状です。喉痛と頭痛が主で発熱はすこし。でも全身が怠い。立っていられないほどで、いったん倒れて気絶したら快方に向かいました。名付けて、気絶療法です。壊れかけのテレビを叩いてなおすような方法ですね。運がよければ治ります。今回は運がよかった。お正月はほとんど何も食べず、甘酒ばかり飲んでいました。