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日記721



窯に入れて溶かすみたいな。ドロドロに。人になにかを見せるってそんなことなのかも。なんでもそう。なんでも。ドロドロにしてもらう。あるいは、ドロドロになってしまう。いやでも。とにかくドロドロになる。ああドロドロ。

めでたしめでたし。




コメント

anna さんのコメント…
ドロドロの語源って泥がどろどろだからドロドロなんですかね?
ついでですが、お化けが出てくるときの効果音の「ひゅ~、どろどろ」のどろどろって何だろ。
溶けてドロドロとは違うような。
あ、でも、お化けが、人に見られるために出てくるときだからドロドロであってるのか。
nagata_tetsurou さんの投稿…
「泥がどろどろだからドロドロ」って循環がすごくおもしろいです。語源はわかりませんが、「ど」はたしかに土を連想させますね。そして土は始まりの場としても、終わりの場としても語られます。

土の塵で神は人のかたちをつくったと、たしか『創世記』にあった。「母なる大地」なんてのもよくいわれる。いっぽう「さいごは土に還る」ともいわれます。こっちは仏教的かもしれない。

始点であり終点でもある。「ドロドロ」がそんな土のイメージに基づくことばだとすれば、「どろどろだからドロドロ」という循環的な説明はとても的を得ているのかも、と思ったり。始まっては終わり始まっては終わり……。どろどろだからドロドロだからどろどろだからドロドロだからどろどろだから……と。歴史はつづく。どろどろと。

おばけのどろどろ。なんでしょうね。木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんによると、古典芸能の幽霊は〈歴史を再現する〉ために現れるそうです。過去をあぶりだす装置として出現する。幽霊はそう、時間軸の溶融点なのです。過去と現在がどろどろに溶け合う点。

おばけのみならず、「見る」という経験はそんな錯綜的な時間軸上に浮かぶものなのだと思います。あるいはここでのやりとりも、わたしの時間をannaさんが組み入れてannaさんの時間をわたしが組み入れる、ひとつの循環を描いていますね。書かれたことばは、みんな〈過去を再現する〉おばけなのだと思う。

と、本文より長いコメント。笑