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日記732





あさ、鏡を見てふと「くちびるかわいい」と思う。自分のくちびるが特別かわいいのではなく、人間のくちびる一般につきそう思う。それから「人間の顔は解剖学的には内臓が露出している部分」という三木成夫のことばを思い出し、「ここが臓器の突端なのだなー」とも思う。

かわいいのはそう、臓器っぽさ。虫っぽさ、とも言える。バッタのからだみたいなふくらみ。イヤな重ね合わせかもしれない。しかし内臓は事実としてかなり虫っぽい。それも、うねうね動くやつ。ミミズ系のやつ。乱暴ながら、人間の中身は虫なんだと半ば思っている。「虫けら」と貶めているわけではない。わたしは虫が好き。マジ虫リスペクト。そのうえで虫だと思っている。

人体を個別にバラして見ると、「虫っぽさ」が見え隠れする。虫は愛らしい。「抽象的な人類なら愛せるが生身の人間は憎まざるをえない」と誰かえらい人が書いていたけど、生身もバラせば愛せる。たとえば嫌いな相手の耳だけを見てみる。耳はみんなおもしろい。寄生虫みたいにユニークなかたちをしている。わたしは「うわっ、耳きた!かわいい!」と心ひそかによく思う。トータルでは殺したいほど憎い人間も、耳だけに還元してしまえばあんがいキュートなのだ。

いわば対人関係ではなく、対耳関係としてみる。「人と人との関係」なんて、ごく少数としか結びえない。大半の人とは「耳として」付き合う。べつに「くちびるとして」でも、「鼻として」でも、「眉として」でも、「アゴとして」でもなんでもいい。

一部なら、みんな愛せる。この人めっちゃウザいけど、アゴの形状だけは最高!みたいな人物はいる。たぶん。これは世界平和へ向けた、まじめな提言です。まじめなアンガーマネジメントです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とならないように。「坊主」と「袈裟」は明確に分離し、憎い坊主の相手をいさぎよくやめる。憎くない「袈裟として」付き合うのだ。袈裟がなんか言ってらぁ!

って、そう器用にトリミングできるものでもないのかしら。都合よく切り分けて、都合よく接続しなおすの。これができるのは、けっこうな人でなしにかぎられる可能性が高い。でも人はたぶんね、思ったより人じゃないのよ。ときには虫っぽくも、魚っぽくも、植物っぽくもある。鉱物っぽいところさえあると思う。人なだけではない。そんなにね。






耳の話がしたい。とうぜんながら自分もまた「人として」の大枠のなかで「耳として」も生活している。だから、たまには耳の訴えをつづっておく。

ここ数ヶ月でマスクの着用が常態化した。せっせと耳に紐をひっかける日々。しかし耳はほんらい紐をひっかけるための器官ではない。べんりに使われてしまっている。耳の立場からすれば、かなり不本意だと思う。そんなことされる筋合いはない。こんなもののために生まれたんじゃない!と、耳が嘆いている。目的外使用も甚だしい。

でもいまのところ、そうするより仕方がない。ならばせめて、耳周辺へのいたわりは忘れないようにしたい。マスクを長時間つけると耳のうしろが痛んでしまう。繰り返すが、耳はそもそも紐をひっかけるための場所ではない。余計な負荷をかけているので、ちゃんとケアしたほうがよい。わたしは暇なとき、マッサージをしている。耳のうしろに親指の腹を押し当て、適当にぐりぐり動かす癖をつけた。それだけで痛みは軽減する。

「目的外使用」を好意的に見れば、「マスクは耳の用途を拡張したクリエイティブな発明」ともいえる。メガネの発想も同様に。いまではあたりまえだけれど、マスクもメガネもドゥンカーのロウソク問題で測定される「機能的固着」を乗り越えた発明品なのだと思う。







ことばとはこんな、触角みたいなものか。と思いながら、カタツムリを眺めていた。ことばのふるまいってそのぐらい、なまなましい。あるいは、ナメクジが這ったあとに残るぬめりのごときものかもしれない。人間でいえば、内臓が這ったあとか。顔が這ったあと、とも言い換えられる。顔は内臓が露出している部分だった。

文章とは、誰かの顔が這いまわった痕跡。読むのはそこへ顔を這い合わせる行為。いくつもの顔が時を超えて這いまわり、読まれゆく。顔は個別にそれぞれの時空でことばのうえを這う。内臓同士が契りを交わすように。読まれ、また書かれる。いつまでも、どこまでも、あらゆるところで。顔がのたくっている。






コメント

anna さんのコメント…
これはきっとドゥンカーのロウソク問題の中身を調べて「あなたならどうする?答えなさい。」ということかなあと思って考えてみました。
私なりの回答は、「画びょうを2個少し離して水平にコルクに刺して、その間にマッチで橋を架けて足場にする。その足場の上にロウソクを置いて火をつける。後は、ろうが床に垂れないように、たれてきたロウを受けるようにマッチの箱でその下に画びょうで貼り付けて受け皿にする。」でした。
残念、不正解でした。。
私は普通にマスクをかけるとゆるゆるになってカパカパしちゃうんで、耳の前でかけひもをクロスして長さを調整してます。そのせいで耳がめっちゃ痛い。
nagata_tetsurou さんの投稿…
アクロバティックな忖度をありがとうございます。しっかりとした不正解を提出できるannaさんは誠実ですね。力技の回答にはたくましさも感じられます。正面から格闘している。すばらしい。

わたしはこういうとき、すぐに答えを見ちゃいます。そこから出題者の思考を逆算し、問題の意図を考える。つまり正面はスルーして、背面から行く。問題の背後にある洞察が気になる。みたいな、小賢しい人間です。おなじ理由で、科学系の本はだいたいおわりの章から読み始めます。

マスクのサイズ問題って、ありますね。ゆるい人、きつい人、両方います。調節可能なマスクがいずれ広く普及するのだと思う……。いや、思いたいものです。というか、マスクせずに済む世の中になればいちばんいい。が、それもしばらくはないかなー。ひとまずは耳の周辺をゴシゴシいたわってしのぎましょ。