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日記741




9月9日(水)


爆音が静まり、耳鳴りが始まる。
遠くから響く歓声のように。

ひさしぶりの感覚だった。下北沢CLUB251。ライブハウス。知らないバンドを、知らないまま見に行った。受付で目当てのバンドを聞かれ、戸惑ってしまう。やや間を置いて、「NONMALT」と答えた。事前にSNSを通じて名前を覚えていた。きっかけをつくってくれたのがNONMALTだった。

出演バンドは5組。遅れて入場したので、Hard To Forgetというバンドは見逃す。それでもドリンク込の2,600円が格安と思えるほど、いいライブだった。なんというか、クオリティ過剰。事前にほとんど知らなかったせいか……。ネタバレなしでいきなりライブへ行く経験はおもしろい。虚を突かれる。八方から。








ハシビロコウズ。
青い照明が似合う。







久々のライブだったようで「感極まっちゃいますね」とお話されていた。コロナ以後。逆に、わたしは鈍感になり始めていた。感覚が矯め直される。依然として先は見えない。各地のライブハウスも、営業を再開してまだ日が浅い。閉店した場所も身近にある。切実さを、じかに知ることができた。これは、ライブに行ってよかったことのひとつ。


なんだか優等生的なコメントだ。「依然として先は見えない」の紋切り型っぷり……。ワイドショーのよう。世間がしゃべる、通りのよいフレーズ。だから書くと気持ちがいい。しかしワイドショーは「営業自粛」を喧伝しても、「営業再開」はあまり報じない。通りのよいフレーズとともに、通りよく営業再開をつたえておきたい。先の見通しは悪くとも、足元に鮮やかなライトがともっていた。ライブハウス、やってます。










SoberBrown。
「音楽は人をこうする」と思った。







たのしかった。アホみたいな感想だけど。演奏に加え、動きの気勢に感応する。身体がつたわる。とくに鍵盤の神谷茶子さん。独特な、顔を小刻みに傾げながら宙を見つめる感じ。そんでたまに微笑む感じ。合間を縫ってガッツポーズする感じ。頭の振りでメガネが飛びやしないか心配になる感じ。それらすべての原因が鍵盤上の両手に端を発している感じ。「音楽は人をこうする」と思った。









NONMALT。











身体をつんざく音に乗る。呼吸の機先を制すような、内受容まで届くシンプルな感覚。それが「説得力」かなと思う。音と、それ以外の失認。説得とは同時に、失認への誘いでもある。ひとつの時空間に全身が説得され、そのほかの世界がなくなってしまう。音楽による一時的な失認。あたりが静まりかえり、ひとりに戻って思いだす。帰りコンビニでおにぎり買おう、とか。そのほかのこと。

ドラマー、ウエダテツヤさんの笑顔が印象深い。SoberBrownのときもなんとなく感じたけれど、わたしは人の笑顔への感応性が高いのだと思う。よく笑う人とは身体が同期しやすい、というか。タイミングがとれる。自分自身もよく笑ってる。バカみたいに。あと、ウエダさんの脱ぎっぷりがセクシーでした。

ちなみにツイートの写真、左から3人目のシルエットがわたしです。
丸い頭。







Synchre。







「シンカ」と読むそうです。トリ。終わってしまうのが寂しかった。やはり、音楽が好きだと思う。人が赤ん坊に話しかけるような自然さで、音楽は何も知らないわたしにも響きつづける。先が見えたためしなんてないから、自分には音楽が必要なのだろう。音楽という「わからなさ」が薬になる。

ウォルター・ペイターによれば、「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」らしい。それは、なんとなくわかる気がする。それぞれの楽曲についてわたしが書けることはない。その都度の「思ったこと」を書いた。変なライブレポかもしれない。写真が免罪符。

蛇足ながら「stuck in the crowd」のMVを見て、セルゲイ・ポルーニンを想起しました。













帰りの電車でWifiに「ピッコロ」と名前をつけている人がいて、「この車両のどこかにピッコロがいる……」と思った。








コメント

anna さんのコメント…
コロナでできなくなってたことが、最近、やっと少しですが元に戻ってきましたよね。
昨日、教育番組で9月2日の何か月ぶりかのN響のコンサートの様子をやってましたが、なんか嬉しくなってモーッアルトの交響曲を1曲聴いちゃいました。
早く、いつものことが普通にやれるようになったらいいなあ。
nagata_tetsurou さんの投稿…
すこしずつ、ですね。「ライブハウス」ということばに不安をおぼえる人もいるので、話しづらい感覚はあります。一時期、槍玉にあげられていましたから。その幻影を長く引きずる人もいる。ことばについた「色」を塗り替えるには、時間がかかります。微力ながら、塗り替え作業のお手伝いができているといい。

そうそう。音楽の始まりは、むしょうにうれしい。拾わんでいいところでしょうが、「モーッアルト」の誤字に笑ってしまいました。拾わんでいいですね。笑
anna さんのコメント…
モーッアルトってのは、ちょっと声が高くてアルトの音域でモーッって鳴く牛です。
三重県の松坂あたりでよく見かけます。
って、書き間違いに厳しいなあ。
nagata_tetsurou さんの投稿…
中国人の毛さんにアルトバイエルンを食べられた人が怒っているようすかと思いました。毛、わたしのアルトバイエルン食べたでしょ!の略。モーッアルト!

「厳しい」というより、好きなんです。本を読んでいても誤植を見つけるとうれしくなります(笑)。街を歩いても「ちょっとしたズレ」を写真に収めがち。会話でもことばの意味のズレを気にしてしまう。収まりの悪いものをなおすのではなくて、そのまま肯定的に収めたい。

だからバカにしているのではなく、ストレートに「いいね!」ってことです。「拾わんでいい」ってのは「一般的にはそうなんだけどね」という話で、個人的なトコを白状するならここを広げたいんです(笑)。牛や毛さんの話がしたい。意味を豊かに耕したいのです。

人間はどこからでも意味を汲みだすことができます。それはすごいんです。でこぼこ道や曲がりくねった道、地図さえないそれもまた人生みたいなことです。「モーッアルト」もまた人生!