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日記747

ここんとこ伊藤亜紗さんの『記憶する体』(春秋社)を読んでいた。気になったところの感想を書きたい。個人的に興味深く読んだのは痛みに関するお話。この本ではさまざまな痛みの当事者たちが登場する。痛みはやはり、包括的に「いる」と表現したくなる。読みながら改めてそう感じていた。

おもしろいと思った部分を引用する。


 痛みとは本質的に自分の体の輪郭に関わる現象です。「どこまでが私の体か」の境界に、痛みが生じるのです。別の言い方をすれば、痛いとき、私の体の境界は混乱している。p.218

 一方で痛みは他人とは共有できない、私だけのものである。他方で、痛みは私の境界を混乱させる。表象文化論が専門の橋本一径は、この痛みと私のパラドキシカルな関係について論じています。曰く「痛みという『他者性』を内に抱え込んだときに、身体は初めて私の一部になる」。つまり、痛みは私でないからこそ、体を私のものにする、と言うのです。
 どういうことか。橋本は、アメリカの精神科医アラン・フランセスとレナード・ゲイルが手がけた、一八歳の先天性無痛症者の言葉を参照します。報告によれば、この少年は、自分の体を「誰が乗ってもいい自動車」のようなものと感じていた。自分の手足は「道具」のようなもので、自分の一部だとは思えなかったそうです。
 これを受けて橋本はこう論じます。「痛みがあるからこそ体は私の一部となるのであり、痛みがなければ、それは『自動車』や『道具』のような、私の所有物と変わらない。だが痛みとは一方で、私の意志に反して訪れる、私の自由にはならない、私を超えたなにかである。所有物のように私が意のままに使うことができるのは、むしろ痛みのない身体だ」。
 痛みは、私の思い通りにならないものです。痛むとき、私たちは自分の体が「持って行かれた」ように感じます。けれども、そもそも体とは「持って行かれている」ものなのです。自分の思い通りに操ったり、使いこなしたりできるようなものは、体ではない。体とは私にとって、本来的に未知なものです。にもかかわらず、そこから出られない。それが生きるということです。pp.218-219


ねじれを含みこんだ記述で、ちょっとすっきりしない。そこがおもしろい。ややこしくてうれしい。痛みとは境界の問題であり、そして境界はたぶん論理的に扱いづらいのだろう。どこまでが自己で、どこからが他者なのか。誠実に考えようとすればするほど判然としなくなるものだから。

わたしなりの平たい解釈でいえば、ここでは「ある」と「いる」について語られているのだと思う。先天性無痛症者の少年は自分の体を道具のように表現する。つまり自分が「いる」のではなく、体がモノとして「ある」と感じている。痛みはたぶん「ある」を「いる」に変えるための媒介的な役割を果たす。

わたしたちは「ある」と「いる」のはざまで生きている。健康とされる人はそこそこ意のままに「ある」し、そこそこの痛みも宿して「いる」。無痛症者の場合は、「ありすぎる」。痛みのないぶん意のままに動きすぎてしまう。逆に、痛みに苦しむ人は「いすぎる」。不如意に動きが制限されてしまう。

「痛いとき、私の体の境界は混乱している」と伊藤さんは記すけれど、わたしはむしろこう思う。痛みとは、境界がはっきりくっきりむき出しになってしまう状態なんではないか。つまり、「いる」が鮮明にわかりすぎる状態。逆に痛くないと境界がわからない。無痛症者の少年のように、自分の体が自分の一部だとも思えなくなる。

痛みによってはっきりするのは、「私の体」と「私」との境界だと思う。痛みをめぐって「私」のなかに時差が生じる、ともいえる。「私の体」にディレイがかかり、「私」を引きずりまわす。痛みを発する「私の体」と、痛みを感じる「私」とのあいだで時間がひずむ。

「持って行かれている」という表現からディレイのような時間的ズレをイメージした。思うに、意識はつねに体とズレている。ズレは通常、とてもちいさくてそれとわからない。動こうとすれば、すぐに動ける。どこか痛むときはじめて、その断層があらわになる。

つまり、境界があいまいな状態が標準なのだ(※それっぽく言うてますが、めっちゃ勘で書いてるだけ)。わたしの生きている実感だと、輪郭が連なってなんとなくぼやけた状態がふつうだと感じる。言い換えると、境界があたかもないかのようにふるまうことができている状態がふつう。あそびがある状態、ともいえる。そこまで「ある」わけでもなく、そこまで「いる」わけでもない。はざまでたゆたうような。

『記憶する体』にある「自分に主導権があるとうまくいかないけれど、相手の行為の文脈に自分が乗っている状態だとうまくいく」とか「吃音の人が、リズムに任せてノっていると問題なくしゃべれる」といったお話も、境界の曖昧化といえるのではないか。「私の体」がうまく外側の速度感(相手の文脈やリズム)と同期し、境界があいまいになるとスムーズにいく。

痛みが境界の鮮明化なら幻肢痛はどうなんだと思われそうだけど、これも、あったはずの境界を体があきらかにしようとするがゆえの痛みなのだと解釈している。というか幻肢痛にかぎらず、人間は「ない」ってことを正視できない。それはあまりにも鮮明すぎるから。逆にいえばわたしたちはあいまいな、あまりにもあいまいな認識を頼りに生きのびてきたから。

話がちょい逸れるけど、「ない」をそのままの意味で一意的に処理できないってとこに虚構の契機があるんだと思う。あくまで「そんな気がする」ってだけですが……。「ない」をなくすことによって『サピエンス全史』でいうところの「認知革命」が起こった説。あながち、まちがいではないのではないだろうか(ないとは言い切れない!)。※ここは個人の臆見をひたすら突っ走らせとくブログです。

 

 注目したのはあくまで「体に刻まれた記憶」であり、「具体的な出来事がローカル・ルール化する過程」です。

 それはいわば、小説が対象とする「具体的な出来事」と、科学が対象とする「普遍的な法則」の間を埋める作業、といえばいいでしょうか。

 特定の日付をもった出来事が、経験の蓄積のなかで熟し、日付のないローカル・ルールに変化していく。つまりこの連載で注目しようとしたのは、記憶が日付を失う過程でした。

 別の言い方をすれば、それは偶然が必然化していく過程です。体は、そんなふうにして作られていきます。

 体のローカル・ルール | 記憶する体 伊藤亜紗 | web春秋 はるとあき

 

記憶が日付を失う。単行本ではプロローグに置かれているこの文章を読んで、『記憶する体』はある意味では忘却の過程が記述された本なのだと思った。日付という、決定的な境界(=痛み)の忘却。それはきっと、生の形成過程そのものでもある。

自分が生まれたその日の出来事をわたしたちは知らない。誰もがまず最初に、記憶のない日付をあたえられる。そこから日付を失って失って成長する。こども時代に人は数々の偶然をつかまえ、その偶然を基礎に体がルールを敷いてゆく。時間の軛から抜け出したあとで、記憶は事後的に立ち上がる。

きっと偶然という不確かさのうえに、世界のすべての記憶は浮かんでいる。日付というのは、とてもおもしろい。誰かの運命にとって決定的な一日と、誰かの代わり映えしない一日がおなじ場所にある。日付からすれば、すべては偶然の産物にすぎない。わたしは日付の、そんな性質に惹かれる。


成熟とは、「自分がおおぜいのなかの一人(ワン・オブ・ゼム)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である」という矛盾の上に、それ以上詮索せずに乗っかっておれることである。

中井久夫・山口直彦『看護のための精神医学 第2版』(医学書院、pp.188-189)

 

きょうの日はおおぜいの人々が過ごした一日であり、同時にわたしだけの目にうつった一日でもある。夜になれば、「わたしだけ」にしがみつくことなく、かといって「おおぜい」に埋まりきることもなく、明日のためにふたたび眠る。日付をまたぐ。

安心してきょうの日をあとにできることを、あるいは成熟と呼ぶのかもしれない。やすらかに眠ること。それはたぶん、培われた記憶がしたたかに為すわざ。

 

 十月十七日(木)

 仲間と、スメデレボ郊外の小学校のこどもたち四十三人を招き、工芸美術館の見学をする。多くがコソボから難民となったこどもたちだ。ひろびろとした美術館、みんな瞳を輝かせ、作品を観ている。
 地下には、建築学部の学生たちによるインスタレーションが展示されていた。螺旋階段を気をつけて下りていく。音楽が流れる仄暗い空間には、同じ大きさの白い長方形の板が置かれ、ひとつひとつが青い光を放っている。板には、それぞれ言葉が記されていた。
 「どの場所にあっても、私たちの願いは思い出と混ざりあっている……」この言葉の記された板の前で、私は歩みを止める。化野の念仏寺だったろうか、行き倒れの旅人たちを葬ったというあの墓地を思い出していた。ときは春、私は十四歳の少女だった。今、この場所で、美しい痛みのように、記憶に刻まれていた遥かな光景が蘇った。
 光をさえぎり、私たちは碧い闇をわたる。螢を感じる。それは死者の魂を迎える、夏祭に似ていた。気がつくと女の子が私に寄り添い、手をつないできた。手のひらに、私は力を込める。作品は、死者の町と名づけられていた。
 遠くに儀式を失った私たちは、ふたたび儀式の意味を求めている。

山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田、p.46)


いっぽうで人は、忘却しきれない日付を抱えて生きる。またぐことのかなわない追憶の渦に飲み込まれながらも日々はつづく。そのなかで絶えず、日付と日付をつないでくれる、偶然を必然化してくれる意味を求めている。

あの日と、いつかが接続するはずだと願う。そう、わたしたちの願いは思い出と混ざりあっている。美しい痛みと、死者の魂と……。

体は日付を縫合する。『記憶する体』は日付が縫い合わされてゆく過程の本だともいえる。しかし日々のなかには、ほつれて孤絶した縫い目もある。断ち切られて、なにかが取り残されてしまう。そこでとどまっているのは声にならない声。理に落ちない偶然。反復される祈り。取り残されたこどもの問い。行き場を失った感情。うずくまる体。

きのうまでの道理がきょうからの不条理と化したかのような、けっして縫合されえない境界がわたしたちの輪郭をかたちづくっているのではないだろうか。輪郭とは、痛みのかたちである。眠られぬ夜である。忘却しえない「あの日」から滲む微光である。こんな人間観は悲観的すぎるか。成熟とはほど遠い考えかもしれない。まいにちめっちゃ寝てはいるけれど。


コメント

anna さんのコメント…
たしか小学校の4年生の時でした。外で遊んでいて左手の人差し指にとげがささりましたが、すぐ抜けたんでほっておきました。何日かたって指が腫れてきましたが、どっちかというと「ぽわ~ん」とした性格の子供だった私は、なんか痛いなあーって思いながらも1か月ぐらい過ぎてしまいました。どんどん痛くなってきたんで、とうとうお医者さんに行くと、指の中が化膿して骨までちょっと腐ってますって言われてすぐに切開手術になりました。爪をはいで切開して骨を出してなんか機械でウイーンって指の骨を削られました。手術が終わって麻酔が切れると、まあ痛いのなんの。この世の終わりってぐらい痛くて、痛すぎて泣くことも声を出して苦しむこともできませんでした。指が痛いの通り越して周りの空気も部屋中が痛かったです。苦痛が体の輪郭をはみ出してました。今は人差し指も元通りになってますけどね。
私が経験した一番痛い話しでしたー。
nagata_tetsurou さんの投稿…
薄い紙で指を切って、赤い赤い血がにじむ。これっぽっちの刃で痛い痛い指の先。チャットモンチーの歌を思い出しました。ハナノユメ。ちょっとしたトゲでも痛い。しかし骨まで腐るとはすごいです。そこだけ瀕死だったのでしょうね。死にかけた部分が痛みでふくれあがって、そればかりになってしまう。「老い」ってそんな感じなのかなと思う。若ければたいてい元通りになるけれど、お年寄りは痛みの話ばかりです。

ことばって痛みそのものなのかなーみたいな、へんなことも思います。溜めこまず適切に出していかないと、どんどん亢進しちゃう。ことばは体の輪郭をはみ出しますね。輪郭がちょっとひらける。と同時に、その人のかたちがつたわるものでもあります。痛みの言語化は、弱さの言語化でもある。すべては弱音なのだと思う。どんなことばも。ひとつの読み解き方として、ありうるんじゃないかな。

わたしもどちらかというと「ぽわ~ん」とした性格のおっさんなので、自分の痛みを見過ごしがちです。人のばかり見てるような……笑。腐る体をなんとかするのは、生きることのきほんですね。田村隆一の「腐敗性物質」という詩があります。

“われら「時」のなかにいて
時間から遁れられない物質”

生きるって、すこしずつゆっくーり腐っていく過程なんだと思う。死体は放置するとすぐ微生物や細菌にやられてしまうけど、生体は抵抗できますね。それでも、やはりジワジワやられている。やられながらも抵抗して、またやられて。腐りきらないから生きていられる。ポジティブにいえば、発酵プロセスです。笑