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日記753

寒いと手足の血管が収縮して、動かしづらくなる。そのまま冷えきってしまえばやがて動かなくなり、さいごは壊死する。動かしづらい部分はうっすら死にかけている部分ともいえる。手足にかぎらず、全身がたぶんそう。動きを止めると死ぬ。

「やわらかさ」が生涯を通して重要なのだと、さいきん身にしみて感じる。このくらいのことは10代で感得しておきたかった。全身を適度にバラすこと。固いと体は、無駄についてきてしまう。ついてくると、バランスがとりづらい。転びやすい。「転ぶ」は言い換えると、「ぜんぶがついてくる」ってことだ。全身が一気にズコーッとなっちゃう。立ち姿勢は適度に体がバラけているからこそ可能となる。

部分部分の自律性がたいせつで、それを保持するためにストレッチをおこなう。部位ごとの切り離し。やりながら、時差をつけているのだと感じる。体の同時的なまとまりをすこしずつほどく。指の一本一本から順に自律させて、べつべつの時間をあたえていく。

 

 眼のためにあるものと耳のためにあるものとが重複してはならない。p.78

年始にディスクユニオンで購入したロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房)より。映画監督のメモ書きだけれど、ストレッチに役立つ知見もふんだんに得られるすぐれもの。冗談ではなく、半ば本気でそう思う。

固い体はつまり、重複的なのだ。たとえば股関節が固い状態は、大腿骨と骨盤が重複して動いてしまう状態といえる。大腿骨のためにあるものと骨盤のためにあるものとが重複してはならない。股関節をほぐせば、大腿骨と骨盤のあいだに時間差が生まれる。ついてこないように、余計な連動をほどいて、すれちがいをつくる。これは全身、どの部位でもおなじこと。

 

 人は、手で、頭で、肩で、どれほど多くのことを表現しうることか!…… そうすれば、どんなに沢山の無駄で疎ましい言葉の数々が消え失せることだろう! 何という倹約! p.174 

 

ようするに「無駄口を叩く暇があったらストレッチでもしてやがれ!」って話だと思う。そう読めなくもない。ブレッソンがそこまで言うならもう、ストレッチするしかないでしょう。というわけで、暇さえあれば体を伸ばすよう心がけたい。なにより、いい暇つぶしになる。ひとりでできて、お金もかからない。何という倹約!

昨年は股関節が中心だった。ことしの抱負は背中。長年の猫背が祟ってガチガチだから。背中を中心に耕す。ストレッチは、耕作にも似ている。体という土地をざくざく開拓する。肉に埋まった骨を生やす。奥のほうから埋蔵金とか出てきてほしい。脇腹あたりにありそう。

固定と観察。これが体を伸ばすキーワードだと思う。具体的な方法よりも、大雑把な把握を重視している。なんでもまず、ざっくり全体をつかみたい欲望があるらしい。そういえば「最初に十五もの授業を受けなくても、その科目にパラシュートで一気に飛び込めるような本を求めていた」という話がグレゴリー・チャイティンの『セクシーな数学』(岩波書店)にあって、とても共感した。正月に読んだ一冊。

チャイティンの語り口には、妙に親しみをおぼえる。『セクシーな数学』は彼の講演やインタビューをまとめた本で、数年の間隔をあけて3回くらい読んでいる。再読するような本はすくないので、好きなんだと思う。セクシーだからか……。

 

 数学は、発見されるのかそれとも発明されるのか。若い頃は、物事は、黒か白かだと思っていましたが、年をとるにつれて、すべては込み入っていて、異なったものの見方も正しいのだということを理解するようになりました。そこで、週のうちの何日かは、数学は発明されるものだと考えますし、他の日には、発見されるものだと考えます。どちらの観点も妥当であり、同じ主題を異なった観点から説明しているのです。pp.101-102

 

たとえばこのような、あいだに分け入る鷹揚なしぐさがセクシーかな。「黒か白か」はぜんぜんセクシーじゃない。ガキの発想だ。すべては込み入っており、ヌルヌルしている。そこへ分け入る手つきがセクシーの見せ所となる。

「美しい数学のアイデアには、何か官能的なところがある」とチャイティンはいう。きっと、そこに隠された何かを感じるのだろう。その何かを探ろうとする物腰にセクシーが宿る。エロい人は、「隠された何か」をあらゆるところに見出せる。暴いても暴いても、なお。「黒か白か」ではない。世界は隠れている。官能は終わらない。

1月5日(火)

友人と寺社をめぐった。

帰り道、Suicaの残高が888円だった。

いいことあると思う。誰かに。



コメント

anna さんのコメント…
あけましておめでとうございます。今年もよろしくです。

グレゴリー・チャイティンの『セクシーな数学』って初耳だったんで、なんだろって思ったてネットで調べたんですが、ゲーデルの不完全性定理とか出てきました。以前、私、ハイゼンベルクの不確定性原理とかここでちょっと書いたことあったと思うんですが、それで興味がわいてこれもwikiとかで調べてみました。そしたら、まあなんということでしょう。想像を絶する程の難解さで全く理解できないというか、一行、一言すら意味がわかりません。これに比べたらラテン語とかの方がまだわかるんじゃないかなあ。(ラテン語しらないけど。)とーいう意味なのか簡単な日本語で分かりやすく教えてほしいです。よろしくお願いします。それにしても難しい本よんでるなあ。


nagata_tetsurou さんの投稿…
あけましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。読んでくださる方がひとりでもいる、と思えるかぎり書きつづけます。

『セクシーな数学』は講演やインタビューの寄せ集めなので、そんなにむずかしい本ではありません。口語体のやさしい日本語です。ただ一見してやさしいことばのなかに、豊富な含意がこれでもかと詰まっています。わかりそうでわからない。わたしにとっては絶妙なさじ加減で「知りたい」と思わせてもらえる。愛の予感ですね(©松田聖子「白いパラソル」)。欲望を賦活する、そのエロ仕掛けがすばらしいのです。読むと元気になります。精力剤みたいな。笑

数学のみならず芸術や哲学などにも話が及ぶ、横断的な語りも魅力です。個人的にいつも考えてしまう、「信じること」に関してのヒントもある(気がする)。予備知識なしでも(たぶん!)たのしめます。大丈夫です、本はそもそも読めないものだから。

わたしもゲーデルの不完全性定理を理解しているなんて、口が裂けても言えません。誤用の多い定理で『ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド』(みすず書房)なんて本も出ています。誤用を素材にした解説書です。それだけわかりづらいのです。不用意に理解しようとしないannaさんは誠実ですね。

「わかりやすい」ってのは例外なく、目くらましだと思います。チャイティンも話すように、すべては込み入っている。「わかったら負け」と心得るぐらいがちょうどよいのです。油断すると人はすぐ、わかったつもりになってしまうから。そして「わかった」は往々にして、お別れのことばでもあるから。

たいせつなのは「知りたい」という「愛の予感」だけなのです!笑
それをたぐりよせてください。