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日記763


 

 

日記に回帰しようと思う。

日記回帰。

夜に短文を日毎つける。
あまり考えず雑に。

 

YouTubeで「リハはつらいよ」という動画を見ていた(30分~はじまる)。臨床心理士の東畑開人さんと、作業療法士の仲地宗幸さんがご登壇なさっている。司会は理学療法士の張本浩平さん。対人支援のお話。なんだけど、一般的な対人関係につうじる話でもあると、わたしは思う。

東畑さんは「心」という掴みどころのないものについて考えておられる方。でも、ぼんやりした話はしない。たいていパキッと分析してくれる。そこがいい。たとえば動画のなかで、「周波数」なる曖昧な概念について話を振られたとき(56分ごろ)に見せた「鵜呑みにしない感じ」。ここにわたしは信頼を置いている。

人との周波数が合う/合わないみたいな感覚は、たしかにある。でもそれってなんだかわからない。「周波数」ってなんやねん!と個人的には思ってしまう。めんどくさい人だけど、そこを不問に付したくない。しかし実際の会話の場面では軽やかに流すだろう。なぜなら、めんどくさいから。

そういえば動画のなかで、「めんどくさいことを肩代わりする」というお話があった。たとえば皿を洗う。掃除をする。そういう細かな肩代わりがケアとして機能する。きっとことばをつかってあーだこーだ考えることも、「めんどくさい」の肩代わりなのだと思う。

多くの人は、ことばをめんどくさがる。個人的な肌感覚では、ちょっと信じられないほどめんどくさがる。たしかにことばを尽くすのは非常にめんどくさい。でもわたしはたまたま、めんどくさいことを厭わず考えられる人間だから、こうやってうにゃうにゃ考えている(あまり考えない予定だが!)。

我ながらめんどくさい人間だけど、これがめぐりめぐって知らない誰かのケアになっている可能性もなくはないので、よしとする。なくはない。というか、まず自分自身のケアなのだった。めんどくさいな、と思いつつ。「めんどくさい」を厭わないところからケアが始まるのかなー。

「めんどくさいことを肩代わりする」。これって商機を見つける発想でもある。皿洗いの肩代わりには、食洗機がある。掃除の肩代わりには、掃除代行サービスやロボット掃除機などがある。経済は基本的に「肩代わり」でまわる。世界はめんどくさがっている。

東畑さんが動画内で説明している「ケア」の概念と労働はかなりちかいのではないか。というか「肩代わり」は、お金の機能そのもの。というか、冒頭から「みんなでいっしょに作業をするとなぜ人はケアされるのか」の問いが持ち上がっていた。労働とケアは不可分なのかもしれない。

お金を払えば、手厚いケアやセラピーを提供してもらえる。このあたりはジェーン・スーさんの『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)がタイトルからして雄弁に物語っている。マッサージなどのリラクゼーション体験遍歴をつづった本。

動画の最後のほうにあった、看護師さんが患者さんに対して「甘えてる」などとこぼす心理も、わたしは労働環境への愚痴だと感じた。ケアを考えることはたぶん、労働を考えることにも直結する。対人支援の話は社会そのものの話にも思える。

「支援の場で起きた事件やトラブルを通して、多職種の支援者同士がひとつにまとまる」という知見を拡大すると、災害時に皆が手を差し伸べあういわゆる「災害ユートピア」にもつうじる。良くも悪くもトラブルで人はまとまる。「歴史大事」と東畑さんがさりげなく漏らした声に深くうなずく。 


東畑さんのお話ばかり取り上げてしまったけれど、仲地さんの沖縄なまりもよかった。かもしだす雰囲気に、妙な安心感をおぼえる。「その人の目から世界がどう見えているのかを感じようとする」、というお話はすばらしい。相手を見るのではなく、相手の見ている世界を見ようとすること。向き合って相対するのではなく、その人と同じ方角を向くこと。この感覚はきっと、経験のたまものなのだろう。文化人類学っぽい気もする。

 

別角度からこの動画に関連する本として、中森弘樹『失踪の社会学』(慶應義塾大学出版会) と、平井秀幸『刑務所処遇の社会学』(世織書房)を挙げておきたい。『刑務所処遇の社会学』では「本人に還元されるセラピー」の弊害について論じられている。自分用メモ。




それと。

周波数って「恐れ具合」かなーと思った。仲地さんのご体験からの連想。相手をどれくらい恐れているか。自分がどれくらい恐れられているか。そのチューニング。まだぼんやりしているけれど、いちおうメモ。

 

「短文」はむずかしい。


 

4月12日(月) 


仕事が早めに終わったので、高円寺の西部古書会館で催されていた大均一祭へ。古本、1冊50円均一。7冊買って350円。アインシュタイン『晩年に思う』(講談社文庫)、紅野敏郎『本の散歩◇文学史の森』(冬樹社)など。

帰りに新宿のビル群を眺めながら、おおきなものはなかなか遠ざかってくれないなーと思った。電車の中で若いお姉さんが佐藤究の『Ank: a mirroring ape』(講談社)を読んでいた。文庫ではなく、単行本の。

 


 

 

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