スキップしてメイン コンテンツに移動

日記784


 

牛乳石鹸の広告。

手洗いに「解除」はありません。終わりなき手洗いを生きろ、みたいな。手洗いは永遠なり。つまり「感染症対策に終わりはない」と。そんな含意かと思う。自然相手なのだから。地震対策や台風対策とおんなじ。自然はキリを知らない。

始まりも終わりもないもの。それが自然。「始まり/終わり」を想定する思考は社会的。線を引く、カテゴリカルなことばの使用に依存している。では、自然にちかいようなことばの使用法があるとしたら、それはどのようなものだろう。

 

驚くのは
僕らの五体が石油になるということだ
何十万年もあとに
思念が油の中で揺れるというのだ
 

書きながら、犬塚堯の「石油」が浮かんだ。唐突に「何十万年もあと」を語る。なんと、思念が油の中で揺れるというのだ。ここには始まりも終わりもない。あるのは、ただ永遠の上に浮かんで生きる驚き。自然にもっとも接近することばは詩なんだと思う。

 

それか、牛乳石鹸の広告。


 

コメント